柊ゆき
どんな人生にも、希望はあると信じて。
あの時幕を閉じていたら、私は私の人生を『儚く美しい物語』として終えることができていたのに、と思うことがある。一番ドン底に居た時、あのまま、闇に吸い込まれるように消えていたら。 でも幸か不幸か、私は生き残っている。しかも割と元気になってしまった。今となっては、そこそこ普通に働けて、週末は適当に遊び歩いて、何か充実した風のどこにでもいるただの独身お姉さんなのだ。 今、私の人生はそんなに悪くない。でもじゃあ、辛かった過去が無かったことになるかといえば、当然そんな訳はない。
先日、後輩作業療法士が精神科訪問看護基本療養費算定要件研修に参加した。簡単に説明すると、精神疾患のある人のところへ訪問看護をする場合に必要な精神科の基礎知識を習得するための研修だ。 大して特別な講習ではなく、ほとんど学生時代に授業で習った基礎的な内容ばかりだが、離れていると忘れてしまう専門知識も多いので改めてその復習をする訳だ。そして、この研修を受けられるのは看護師と作業療法士のみと決まっている。 研修や勉強会に参加すると伝達講習をするのが医療業界では一般的だ。後輩
ー10年。 長いようで、短いようで、少しは成長できたような、やっぱり何も変わっていないような、振り返れば駆け抜けた日々だった。がむしゃらに、時に荒々しく、夏菜子は目の前の患者に向き合い続けた。 うつ病から復帰して何年かは、職場で過換気症候群に襲われて休ませてもらうことがあったり、朝目覚めたら失声症状が起こっていることがあったりした。看護師よりも負荷の低い仕事が他にたくさんあると分かっていながら、それでも看護師を続けたのは『恩返しの気持ち』に起因するところが大きかった。
作業療法士という職業があることを知ったのは、高校3年生の夏だ。 小さい頃から絵を描くのが好きで、元々は漫画家とかイラストレーターとか表現する職業に興味があったが、親に大反対されて淡い憧れはサッサと捨てた。実際のところ大した才能もなかったし、反対されて捨てられる程度の夢だったのだと思う。 他にやりたいこともなりたい職業も浮上してこないまま、なんとなく言われた通りに公立の進学校に入学して、なんとなく得意な文系科目を選択し、模擬試験の結果もまずまず良かったので地元の難関私
2019年5月、ふと思い立って友人とカリフォルニアを旅行してみた。その場所を選択した経緯は思い出せない位で、とにかくどこか遠くへ行ってみたくて、行き先は別にどこでも良かった。 車社会のカリフォルニアで、移動は全てUberを利用した。時々怖い事件もあるようだが、配車から決済までの全てをスマホで済ませられ、会話を一切しなくても目的地まで送り届けてくれる利便性は魅力的だった。 とは言え、少し喋れる程度の英語力を鍛えたい意欲と、せっかくだからローカルとコミュニケーションを取
鼻ピアスを開けたい、と不意に思った。 思えば、ピアスホールを増やしたいとかタトゥーを入れたいとかいう衝動は、いつも突然沸き起こる。 初めてピアスを開けたのは、確か高校1年生の時。クラスメイトが耳たぶにシンプルなピアスを着けているのを見て、自分は人と違うことをしたいと思い軟骨部に穴を開けた。 ピアッサーを持って耳にあてがってもなかなか勇気が出なくて、手に力が入らなかったのを懐かしく思う。 一度開けてしまえば、後は簡単なものだ。耳たぶに開け、また軟骨に開け、みる
最近いつもボーッとしている。脳に薄雲がかかったように思考がハッキリしなくて、視界が霞む。自分の目で見ているビジョンがどこか遠い世界のことのように感じて、まるでテレビで他人の物語を眺めているようだ。今さっきの出来事がしっかりと思い出せなくて、生きている自分に色を感じない。 夏菜子はこの症状が何なのかを知っている。離人症だ。 よくは思い出せないが、中高生とか思春期の頃によくこの感覚に陥った。と言っても、病院で診断された訳ではない。心理の勉強をしている中で、たまたまそれに
複雑性PTSDとは、一人暮らしの安全なベッドの中で穏やかに目を閉じながら、次の瞬間には誰かに刃物で滅多刺しにされる恐怖を抱えて生きている、ということだと思う。 少なくとも私はそうだ。 誰と居ても、否、誰とも居なくても、いつ他者から侵襲されるかも知れないという緊張感を捨て去ることができない。眠っている時以外は常に、人間不信の野良猫のように周囲の様子に過敏になっている。 例えば、繁華街を歩いている時、混雑した電車に乗っている時、360度を敵に囲まれた戦場に放り出され
「佐藤さんは、いつもお弁当を自分で作ってるんですか?」 昼食を摂るために休憩室にいると、不意に声を掛けられた。いつも看護師長との面談の時に、隣でパソコンを操作している事務スタッフの中村だ。妻子のある中村は、いつもコンビニ弁当を持って休憩室に現れる。穏やかな口調で、いつも目尻に皺を寄せている眼鏡をかけた細身の男性だ。 「はい。でも、作ってるなんて大層なものではないですよ。前日の残りを適当に詰めているだけなので」 退職の話をし始めた頃から、看護師長はもちろん中村ともなんとな
自分以外の全ての存在を敵だと思っていた思春期に、自分の価値観を完全にぶち壊された衝撃的な出逢いがあった。 高校3年生で初めて同じクラスになった有花のことを、私はそれまで認知していなかった。それは決して有花が目立たないタイプだからという訳ではなくて、1学年10クラスある規模の高校で、クラスや部活動や余暇時間の使い方のベン図においてたまたま重ならない存在のうちの1人だったということだ。 有花は私からはとても変わった人に見えた。 当時の私たちにとって髪を明るく染めるこ
「退職の意向に変わりはありませんか」 看護師長は溜息まじりに夏菜子に問いかけた。 やはり退職したいと看護師長に願い出てから1週間が過ぎていた。治療をしながら仕事を続けるよう勧めてくれたのは嬉しかったが、カウンセリングを受けると決めて以降の体調は最悪で、しかも寝坊をして業務に支障を来してしまって、これ以上迷惑を掛けられないと退職の意向を明らかにした。 改めて面談の場を設けてくれると言われたので、その時に精神科受診した時のことや、過去のトラウマのこと、新たについた診断名の
夏菜子は決して人を寄せ付けないタイプではない。 むしろ病院ではいつも笑顔でいて、冗談を言っては患者を笑わせるタイプだ。浮き沈みがなく患者を一番に考えて行動するので、患者からもスタッフからも人気が高かった。側から見ると、明るく元気で前向きな女性に見える。夏菜子はそういう自分を完璧に作り上げていた。 わざわざそうする訳ではないが、夏菜子は自然とそう振る舞ってしまう。家庭環境が作り上げた虚像なのだろう。誰かの期待に応えること、誰かの求めるものになることが夏菜子の処世術だった
調子が悪い。看護師長との一度目の面談以降、どんどん調子が悪くなっているのが分かる。その理由だって夏菜子はちゃんと理解している。自分と向き合うために、過去を思い出し過ぎているからだ。 自分が大切に扱われなかったことを象徴するような事実の数々に目を向けるのは辛いことだ。疑似体験ですらストレスとなって身体化して現れているのに、体験そのものを思い出して不調が起こらない訳がない。増してやその時抱いていた感情が蘇ってしまったら、そのままズルズルと当時に引き戻されそうな気がして怖い。
同じところに長く勤めていることがしんどい。そうハッキリと自覚するようになったのは、ごく最近のことかもしれない。勤めているのが、というのは、業務内容云々を指してはいない。私は、同じ人間関係の中に長く留まり続けることが難しいのだと思う。 複雑性PTSDと診断されたのはつい2週間前のことだ。なんとなくそんなような性質があるのだろうと自覚はしていたが、改めて診断名をつけられるとそれはそれで複雑な気持ちになった。やはり自分は普通ではない環境で育った普通ではない人間なんだという絶望
近くの精神科クリニックはインターネットですぐに見つけることができた。 夏菜子がうつ病で心療内科に通っていた15年程前は、心療内科や精神科を受診するハードルが今よりももっと高く、まずもって予約制のところばかりで、1ヶ月待ちなんていうことがザラにあった。1ヶ月後の予約が取れたところで、その日の調子がどうなるかは分からないし、もし行けなかった場合、次に受診できるのは必然的に1ヶ月後ということになる。そんなに先になるようでは内服薬が足りなくなり治療に影響を及ぼすので主治医には向
高校時代、友人と映画同好会みたいなものを作っていた。お互いに興味のある映画を探してきては映画館で鑑賞し、帰りに感想を語り合うというシンプルな会だった。良かったところや理解できなかったところを発表し合ったり、考察を述べたり、意見が合わない時には白熱して討論を繰り広げたりした。答えのない問題について、自分が持たぬ価値観を知ることが楽しかった。 ある日の活動で、「ブリジット・ジョーンズの日記」という話題の恋愛映画を観に行くことになった。 その映画を観たがったのは清美の方で