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時代を象徴する尾崎豊と米津玄師の孤独

 生きた時代も生い立ちも音楽性もパフォーマンススタイルも、、。何もかもが真逆と言っていいほど違う尾崎豊と米津玄師。

しかし、

「怒り」や「孤独」や「葛藤」を抱え、
生きづらさに苦しみながらも、
必死に足掻き続け、途轍もない才能で
それらを音楽に還元し、表現し、
熱狂的な人気を得たアーティスト

と言う点において、彼らが重なって見えることがある。

 彼らを「カリスマ」と一括りにする気は毛頭ないし、どっちが上だ、下だと比較するつもりもない。

 だが、この2人の天才が残した作品や言動、さらには彼らの存在そのものが、それぞれの時代性を端的に象徴してる点が非常に興味深い。

 尾崎は1983年に18歳でデビューした。70年代末期から頻発していた校内暴力が激化し、中高生が荒れに荒れていた時代だ。

「15の夜」「十七歳の地図」「卒業」の歌詞にもあるように、”夜の校舎 窓ガラス壊して”まわり、”盗んだバイク”で走り出し、タバコをふかしながら、青く暗い炎を大人や社会に向けて燃やしていた。

 彼らは何に怒り、反逆していたのか?
狂おしいまでに希求した自由で何をしようとしていたのだろうか?

 イデオロギーを暴力に置き換え暴れていた大学生とは異なり、幼い暴動には目的などなく、ただただ大人になっていくことへの抵抗と恐れの発露だったのかもしれない。

 この時代はインターネットはおろかケータイすらなく、限られたコミュニケーション手段として、若者たちは良くも悪くも群れていた。

”15の夜”では家出も仲間たちと一緒だし、

「そして仲間達は今夜家出の計画をたてる
とにかくもう 学校や家には帰りたくない」

”卒業”では放課後にみんなでつるんでいる。

「放課後 街ふらつき 俺達は風の中
 孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
 笑い声とため息の飽和した店で
 ピンボールのハイスコア 競いあった」

 焦燥感も閉塞感も虚無感も、そして「孤独」さえも仲間と共有している。

 さらに「校内暴力」が、”みんながやってる事”として社会現象化することで、若者の通過儀礼のような免罪符を得ていたのではないか?

ネット世代の米津との決定的な違い

 一方、1991年生まれの米津は、小学生の頃からインターネットを使いこなしていた。

 ネットに居場所を見出し没頭していく米津が、たった1人でパソコンに向かう後姿は、尾崎よりもずっと孤独に見える。

 しかし、四角いスクリーンの向こうには何千、何万と言う人間が蠢いている小宇宙だ。米津はここで見つけたニコニコ動画で今日に至る礎を築いた。

 米津はフォートナイトライブについてこう語っている。

「ああいう仮想空間だとか、一定の匿名性を保ったまま、一堂に集まれると言うのは、すごく救いとして機能するなと。」

 匿名性のあるバーチャルが救いになるという発想は、ネット世代ならではだと思う。

 怒りの矛先が不甲斐ない自分にではなく、社会など外に向かって暴走した尾崎の時代、不良たちは街にたむろしていた。

 しかし、自己を否定し天に唾するように内へ内へと沈んで行った米津の時代には、”引きこもり”という新たな現象が生まれた。

 攻撃の矛先は大きな社会ではなく、自分自身やより小さな弱いものへと向かい、過激化し集団化した。表からは見えない場所で。

 時代がどう変わっていこうとも、満たされない心に巣食う寂しさを、人は何とかして埋めようとする。そこに尾崎の歌が、米津の声があった。

尾崎の寂しさと米津の寂しさは
全く別物

 触れられるほど距離に仲間といても感じる孤独。制作に行き詰まり、不信感に苛まれドラッグに溺れた尾崎。

 世界中と繋がっている箱の前にたった1人でいる孤独。逆眼鏡”をかけるため、友人たちと夜な夜など飲み歩く米津。

*逆眼鏡とは「過敏な神経を麻痺させることで感じるべきものに焦点を合わせることができるお酒。」と米津のブログで語られた言葉

ドラッグと酒という大きな違いこそあれ、それを過剰摂取せずにはいられなかった己を歌った曲が「太陽の破片(尾崎豊)」「クランベリーとパンケーキ(米津玄師)」だと思う。

どちらの曲も「君」は自分自身。

 「クランベリーとパンケーキ」は、一晩中飲み歩いた「私」が二日酔いで死にそうになっている「君」を見ている。私と君は両方とも米津玄師本人。ダメな自分が、さらにダメな自分に「しょうもねえな」と自嘲しながら「汚れたシーツを洗おうね ほら」と言っている。

 最後の2行「こんな馬鹿な歌ですいません。嗚呼毎度ありがたし」だけファンに向けて歌っている。巷で噂のエロソングではないと思う。

「太陽の破片」は覚醒剤で勾留中に書いた曲だという。この曲の「僕」は勾留されている尾崎豊本人、「君」は一時の欲望によって奪われたアーティストとしての尾崎豊だ。

君を もう欲望の果てに
ただ奪われたくはない

 いずれにせよ、尾崎も米津も凡人には計り知れないほど壮絶な過程を経て、音楽を世に送り出しているのだろう。「天才」と称賛することがおこがましいほどに。

尾崎豊のテレビ歌唱は生涯でたった1回だけ

YouTubeもなかった当時、この放送をリアタイできたことは幸運だったと思う。歌詞に注目してみてほしい。

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