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論理とナラティブの使い分け

弊社では3年目までの若手は育成期間として、配属先のOJTとは別で人事部の共通プログラムに沿った課題や研修を受ける。
私の担当にも3年目の子が一人いて、育成期間の集大成を発表するための準備等を手伝っている。

アカデミーもそうだけど、というか生産活動の一環なので当たり前だと思うけど、プレゼン能力というかプロデュース能力ってどうしても一定水準は必要だと思うけど
※素地の能力が圧倒的で、プロデュース全般を外注したほうがむしろ効率的な人は一旦置いといてね
誰しもが舞台に立ってエチュードできるかって言うとそうでもないのと同じように、準備期間が平等に与えられていたとしてもプレゼン能力はそれぞれなので、業務上の達成度といわゆる「業務報告会」における見栄えは比例しない。
私の担当にいる子は業務理解、本質を掴む能力が高くて頭もいいし必要な相手と交渉する力も少しずつついているけど、
いかんせんセルフプロデュースや演技的なプレゼンテーションは苦手なようだ。

資料作成に難航していたのでいくつかアドバイスをしたんだけど、
業務ができているので必要なデータや客観的な事実は網羅されていて、ただそれを並び立てると論文とかなら問題ないのかもしれないけれど、誰が見るかもわからぬプレゼン資料としては当然伝わらない。
なので、

「プレゼンのつなぎやメリハリ、ストーリー性を持たせたほうがいいよ」
「各スライドの時系列で感じたこと、気づきをコンテで書き出してみて」

とある日、先輩風を吹かせる万希のDMより抜粋

と伝えたんですが、よく考えると自分にとってこのプレゼンにおける感情面や定性的な要素がそのほかの業務情報や事実、データと横並びのパーツ扱いなんだなと後で気づいた。

私も程度は違えど人事部の育成研修を経て、またアカデミーやその他PJに参画してプレゼンをする機会はそれなりに得てきたけれど
そのプレゼンによって得たい成果や伝えたいことから逆算してストーリーを立てていくことが多い。
実際にそう思ったから書く、というよりはこの感情、このストーリーがウケそうだから書く、みたいな。
しかもそれをやっているとき、別に無理して寄せている感覚はなくて実際起こしたプレゼン資料にちゃんと自分の感情も乗っている。それが本心かどうかを考えたことがないというか、それが本心と思いこむというか…

ベースの感情と全くのウソを書いているとさすがにもんにゃりするけど、比較的「そういわれればそうかも~」な感情で違和感をなくしてしまっている。
ただ、表面的に寄せた結果なので正直業務データのことより「どう思った?」みたいな質問をされた方がウッとなる。

ちなみに、このナラティブを意識したテクについて自分を中心とした業務に対してだけでなく、相手のナラティブを意識(想像もしくは聞き出す)するという発展形を身に着けつつあるけれど、これはこれで感情、個人の感想みたいな余分な情報とかコミュニケーションコストというよりも交渉材料の感覚でやっている。つまりその人が感じている相手先会社の課題や困りごとと、その相手先会社の事実データを私は同列に扱っているわけで
それでも寄り添っている、理解してくれていると思われている(多分)んだからASDの擬態ってもしかすると「感情や空気の定量化」なのかもしれんなとちょっと考えている。
もちろん、定量化ができない空気は読めないし認識できません。
だから人生経験がものを言うんだろうね。

後輩指導を通じて面白いことに気づいた話でした。
連休中に資料仕上げますって言ってたけど大丈夫かしら…

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