『Here』と『ゴースト・トロピック』を上田映劇さん姉妹館のトラゥム・ライゼさんで鑑賞してきました
先週に続き、長野県上田市の上田映劇さんの姉妹館である、トラゥム・ライゼさんで映画を観てきました
こちらはその感想文ですが、例によってネタバレにはあまり配慮していない文章なので閲覧にはご注意ください
ベルギーの映画監督、バス・ドゥヴォス氏の作品の二本立てで、初めて観る監督さんでした
『Here』
まったく分かりやすくないのに、観ていると引き込まれるし、しっかり見ごたえもあるし、画面に映る光景の美しさや力強さが格別な物語でした
どういう話かと言えば、かりそめにすれ違った男女が森の中で再会して、ひたすら森を歩く、という場面とあとそれぞれの生活の場面が交互に示される内容です
男は工事現場の作業員で、長い休暇に入ったところで、どこかへ出かけようとしているか引っ越しをしようか迷っている
そのため冷蔵庫の中身を空にするためにスープを作り、友人や縁者に配って歩いている
女は大学の教職員でかつ研究者、近隣の森の中でフィールドワークに勤しみ、研究対象である苔の採取と分析を黙々と行っている
そんな2人が、わずかなひとときを、苔の観察をしたり、採取をしたり、たわいもない話をしたり、摘みたてのベリーを一緒に食べたりする
それぞれが考えていることが推し量れるような、掴み所がないような、でもひとつひとつの場面が切ないほどに美しい
男は地元に帰ることを悩んでいそうだけど、苔の持つ生態の木のように根を張らなくとも、その地に生い茂ることができるという生命力に魅せられて、ほんの少し気持ちが変わって前向きになれたのかも知れない
冷蔵庫の中身を空にするために作っていたスープを、改めて作って彼女に届けたのは、この地でもう少し生きていこう、そのために冷蔵庫にたくさん備えようと思い直して作った、とびきりのスープだったのではないだろうか
それにしても、たくさんの印象的なシーンがあって、そのひとつひとつはとても静かで淡い、でも尊いものなのですが、こういう話だと感想をまとめるのが難しいです
何かストーリーがあるかと言ったら無い映画なので
男の方が、いつの間にか自分のポケットに入っていた植物の種子を、どこかに植えようか迷って、家庭菜園のレンタルスペースにでかけるとか、
女の方が大学で行ってる講義の内容は、洪水が起きても腐らずに浮草のように漂い、たどり着いた岸で花を咲かせる植物の話だったり、
花の浮草と、しぶとく強い苔が、ふたりのそれぞれを暗喩しているのかなあとか思ったりもします
スープを配って町を歩き回ったのちに、男が自宅で眠りに付いていて鳥の音と雨音だけの夢を観ているとか、
2人が初めて出会った、女の伯母さんがやっている中華料理のレストランで、雨の中に配達員の人がやってきて、こんな雨の中に大変だ…と、立ち働く人への敬意が台詞にも場面作りにも強くあることなんかが凄くいいです
映画館のスクリーンで観ると雨に濡れた地面師の苔むした匂いを感じて、どこか緊迫感も覚えます
観なければ! という強迫観念を抱くというか、どのシーンも見逃したくない心地にさせられる
そう言えば、2人の固有名詞って作中でちゃんと呼ばれたり名乗ったりをほとんどしてない ただの男と女として、恋愛にも友情にもなってないけど、そこはかとない絆が生まれている、それがまたお洒落です
でも、虫の居所の悪いときに観てしまったら、肯定的な感想を抱けるだろうかと考えると難しい映画です
「だからなんじゃい」な感想になってしまいそうだし、鑑賞する側が多くを汲み取らないといけない映画って嫌いではないけど、たまたま近しい映画を続けて観てしまうと、変な言い方ですが汲み取り疲れに陥るのも確かだなと、うっすらとした反発を感じたりもしました
『ゴースト・トロピック』
とても地味でありふれてる、画面に写る何気ない場面、どうということのない、普通の人々の生活、その中でかりそめに縁があって、すれ違って、すこしだけ心を通わせたかも知れない
でもまた日常は始まるし続いていく、今日も仕事をするんだよ…って話です(多分)
良かったことや嬉しいことよりも、上手くいかない、ツイてない、しんどい場面が多いし、結末もハッピーエンドではない でも、悲しみや不幸を感じないのは何故なのか
そう、この映画で感じたのは、不運は不幸ではない、ってこと
そんなことより、明日のために、生活のために、歩いて帰るんだよ…帰ったらまたすぐ仕事だけど…って話です だから、変則的なロードムービーと言える
ベルギーのブリュッセルに暮らすムスリムの、おそらく50代くらいの女性が、深夜まで及ぶ仕事に疲れて地下鉄に揺られていたら、終点まで眠ってしまって、所持金もなく、徒歩で帰宅するしかない…という一晩の話なのです
そこかしこに車は走っているし、歩いてる人もいる、深夜でも灯りが付いた家は無数にある
でも、彼女はどこまで歩いてもずっと1人
あくまでも適切な距離感で親身になってくれる人も居れば、トラブルに巻き込まれそうになることもあり、しかし淡々と寒風吹きすさぶ都会の町を歩き続ける
家族に連絡をしても繋がらず折り返しがない
ATMのあるビルは閉まっており、無理を行って開けてもらっても残高がない
深夜運行のバスに乗ったら発進寸前で運行中止になる
ようやくたどり着いたガソリンスタンドに併設されたコンビニもほどなく閉店してしまう…しんどいことや不運続き
でもビルの警備員さんは親切だし、ガソスタコンビニの店員のお姉さんはやる気のない店員に見えたけど、こっそり案じる表情をして、控え目に、自分の車に乗っていくかと提案をしてくれる
ちょっとの良いことと、じんわりした嫌な目がたくさん含まれてる
アキ・カウリマスキ監督の映画に出てきそうなええ感じの犬ともすれ違うのですが、犬の扱われ方と距離感はだいぶ違いました
作風そのものも、一見近いかな? と思ったけど、やっぱりだいぶ違った
日常の何気ない場面の尊さや、市井の人を取り上げる作風に似たところがあるように見えるけど、こちらの監督さんはベルギーという舞台におそらくこだわっていることと、“移民”の心もとなさや貧困の問題に着目してるのだと思います それを直接的に描写するわけでなく、汲み取らせる作品作りをされるのかなと
『Here』と同じ日に鑑賞したのですが、不穏さとしたたかさを感じる分、若干こちらの作品のが好みです
考察というより推測で、深夜に歩き続けるこの女性の人となりや背景が感じられるし、“よう分からん”という感想にはなりにくい気がしました
でも、分からなかったこともあって、『ゴースト・トロピック』というタイトルは直訳すると“幽霊熱帯”ですが、たどり着けない遠くの国という意味だろうか
物語の冒頭で、それらしいエピソード(都市開発で熱帯地方の国を再現した公園ができる、今の風景は幽霊のように消えてしまう)が出てきたのと、ラストシーンはそんな南国の風景だったんです
しかしそこに彼女はおらず、いるのは娘の方だった どうしてそういう幕切れだったのだろう?
母がひとりで都心を歩む間に、娘が夜遊びをしているところを目撃してしまう場面があるのですが、それでどうしてあのラストに? と分からない
娘に対して母は、夜遊びを咎めたりはせずに、そのまま帰路を歩み続けるのですが、娘は娘、自分は自分って事なのかな
ところでこの2作の映画は、よくnoteのネタにしている実家の母と見に行ったのですが
『ゴースト・トロピック』の娘の解釈については
「ベルギーは寒いから、娘には暖かい国で遊んできてほしいなぁ~って思ったんじゃないの?」と言ってて、そんな甘やかし解釈すんの!? と、まあまあびっくりした(反論はしなかったけど)のと
『Here』に対しては「帰ったらスープ煮ようかな~」と素朴な感想を述べていたので、それはきっと監督が言われて一番嬉しいんじゃねえのと思ったりもしたのでした
こちらは恒例の映劇はんこです