ぼくは映画が好き、君は? 映画『I Like Movies』感想
上田映劇さんで、こちらの作品を鑑賞してきました
映画が好き過ぎて言動が痛い高校生男子の話、という印象の予告編を観ていたので、自分が彼くらいの年頃だった記憶と照らし合わせて共感したり、しんどくなったりする映画かなあと思っていたのですが、わりとそんな事もなく、終始イライラしながら彼、ローレンスのやらかし続ける模様を見守る他ない映画でした
ローレンスはすごくみっともないし、恥ずかしい、可哀想なところもあるけど増長していたり自己憐憫の肥大が激しくて他者への優しさも配慮もない、だから自分に向けられてるそれへの気づきもない
そういう描写が容赦ないのに、それでもローレンスの事を嫌いになれないのはどうしてだろう
役者さんがチャーミングだからだろうか?
それとも自分の中にもあるローレンスみたいだった記憶が呼び起こされるから?
でも、それよりも、アルバイトとして入店したローレンスの世話をするはめになるレンタルビデオ店(ゲームも置いてあるゲオみたいなお店)の店長のアラナの方が、年代的にも立場的にも共感できるので、年少者のメンタルケアに追われる管理職辛いなあって思ってしまった
ローレンスに対する鬱屈も、自身の事情を思わず打ち明けてしまったことも、ローレンスを罵倒するところも、分かるよ…分かるよアラナ…って泣きたくなった
ローレンスとアラナは、かけ離れた性質のように見えるけど、口に出せない苦しみを抱え続けて心が磨り減ってしまっていた同士で、ローレンスはそれを別の形で吐き出していて、アラナは押し殺して耐えていた
互いに傷つけあって、失望もしたけど、ローレンスの側に大きな変化があって友情と尊重が結び直される展開は、とても納得がいったしそこでの話題もとても良い、好きです
映画が好きな人間の映画だけど、映画が観たくなる気持ちになる成分は少な目で、それよりは大切な人を尊重して大事にしないと駄目だよ、そして自分に向けられた優しさも愛情も感じなさいって啓蒙の強いところもある作品に見えます
なので、別に人と仲良くしなくてもいい、それより映画のことを考えたい、むしろ創作論の話の方が良かったって考えてしまう部分が自分のどこかあるので、それこそ目覚める前のローレンスみたいな思考だと気が付いてしまった だからローレンスを嫌いになり切れない
映画を観たくなるよりは、レンタルビデオ店で働いてみたかったな、なんてことも思ってしまう
この作品の舞台は2003年のカナダの田舎なので、2025年になったら、ローレンスとアラナはどうしてるんだろうとも想像する
縁が無くなってても、幸せであってほしい
欲を言うなら、店長とバイトとは違う形で、一緒に働いていて何かを創作する仕事をしてくれたらいい
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ここからは重要なネタバレですが
ローレンスは4年前に自殺で父親を亡くしている自死遺児で、それがひきこもりの原因になっていたことと、その件がアラナとの友情を結べるきっかけにもなるし、叱責を受けるポイントでもあった
自死遺族のメンタルケアの難しさと、それゆえに周りから腫れ物のように扱われることも、家族が自殺したことを同情を引く材料にするなと叱責を受けるのも、筋が通っていると感じました
父親、夫の自殺を経てローレンスと母親のギクシャクした関係が出来上がっているし、そこに関わるアラナの態度(同情と共感から、謝罪、自身の事情の打ち明け、苛立ちと叱責、それを経て和解と友愛が結ばれる)も丹念で、“家族の自殺”を悲劇のフレーバーとしてでなく、登場人物の心の動きとストーリーに納得のいく形で落とし込まれていることが、とてもいい映画です
しかしローレンスは、おそらく女性への憧れと劣等感が強いせいなのか、女性蔑視が激しい側面もある子なので、それがアラナへの侮りや親友との亀裂の原因にもなったし、アラナが映画の業界に居ることを断念した原因は上役からの性加害が原因だったことを打ち明けられても(そんなことを自分に言って傷つけたいのか?)という発想になってしまう子なので、こいつ本当にダメだな…と、感情論ですが、ローレンスのそういうところは大嫌いです
その一方で、身近な人間の自殺も性加害の体験も、何であれ手酷く傷ついた経験は、人に打ち明けることも打ち明けられることも、極めて困難なのだと再確認するエピソードでもありました
ネガティブケイパビリティと、トキシックポジティビティという言葉を最近見聞きしたのですが
辛いこと、どうにもならない変えられないことを癒したり忘れようとするのではなく、受け入れること
過剰な前向きな発想は、むしろ心を病ませる原因になる、毒になりかねない感情であること、を差して言うそうです
この映画を観た上でこの言葉を咀嚼するならば
自身の辛い記憶や体験を乗り越えたり克服するよりは
「わたしはこれが好き、あなたは?」って、好きなものの話をして楽しんで違いを知ったりすること、そんな穏やかなやり取りが誰かと出来れば、
そんな問いかけを発したり、聞いたりしてもらえることが出来たなら、何よりの喜びになる、生きるよすがにだってなる
そんな幸せを目指す映画だったんじゃないかと、色々と書いた上で思えた次第です