![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162448250/rectangle_large_type_2_8680e613aba58441839feb4c980e05b3.jpg?width=1200)
生きていくことは難しいけれど
先日大好きな親友と会った。
お互い大学進学を機に関西にやってきて一年目の19歳のころから毎年ふたりでちっぽけな誕生日会をする。
ふたりでケーキの材料を買いに行って、おうちで作って、プレゼントを交換して、テレビでYouTubeを流しながらケーキを食べる。しょっぱいものが食べたくなってコンビニまで行く。
毎年のルーティーン。とっても素敵なルーティーン。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162448286/picture_pc_dd35ca3158e1d25dd99d840ddc60aca0.jpg?width=1200)
身バレ防止のために途中経過のケーキ𖤐 ̖́-
そんなルーティンの途中
親友と買い物帰りに話したことが心に残っている。
私たちは周りから「真面目だ」とよく言われる。
周りの友人が大学の授業をそそくさと抜け出したり、課題をchatGPTを使って手抜きしていたりしても私たちはしない。しないというよりできない。
半分くらいは自分の執念じみた信念。
そんな友人より大学の授業の評価が低いなんてことは悲しくもよくあるのだ。真面目が損を見ている。
そんな状況を「努力が報われないね」「悲しいよね」「苦しいよね」「みんな要領よく生きているんだよね。」「なんで自分はうまく生きられないのかな。」なんて話していた。
悲しい気持ち苦しい気持ち悔しい気持ちで胸がいっぱいの中、親友が言った。
「でもさ、そういう子にあこがれはしないよね」
そうだ。あこがれはしない。それが私の信念の答えではないか。
私は自分があこがれる自分でいたい。自分で自分をあきらめたくないし、かっこ悪いって思いたくない。
どれだけうまく生きられなくたって泥だらけでいいから、自分があこがれる自分でいたい。
そんなことを思った一日だった。来年もできたらいいな。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162448458/picture_pc_8d4337df3d3955a12752cabea586dfd3.jpg?width=1200)