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良い企業に勤めたくて、良い大学に行ったわけではない。

M2の私。


この数ヶ月、絶賛進路に悩まされてきたわけですが、、。
(現在、大学院2年生)

何で私はこんなに悩んでるんだろうって考えてて思ったこと。

それは、

良い高校出て、良い大学出て、ってしたら
良い企業に勤めるのが大道でしょみたいな雰囲気あるよなぁてこと。

(ここでいう良いは、高い偏差値とか大企業とか)

けど、改めて考えると自分は、
良い企業に入ることを目標として進路を選択してきたのではなくて、

選択肢の幅を広げるために
ある程度良い高校良い大学に入ることにしたんだよなぁ。

だから本来、
今持ってる選択肢の中のどれを選択してもいいわけで。

就職しても進学してもフリーターしても専業主婦しても。

でも周りは、大学の友人たちは、
ほっとんどが大手企業に就職してるんですよね。

だから錯覚?勘違いしてしまった。
私もそうしないといけないって。

けど、そんな必要全くないんですよね。


そう考えるとちょっとだけ楽になってる。今。
ただ、完全に振り切れてるかっていうとそうではなくて、

そりゃ20数年、周りを気にして生きてきたんだから、
それを完全にやめる!ってのはなかなか難しい。

葛藤はやっぱりまだしている。

今日も、たまたま大学で、
学部生のころの友人に会った。

「就活どうなった?」っていう定型文的な質問に
いちいち心をえぐられている私。w


けどこの葛藤を意味あるものに変えていきたいなぁ。


これまでの私。


子どもの頃から、周りから見ると
いわゆる"できる子"で。

ギフテッドって概念を知ってからは、
共通の人とつながったり発信したり、
まぁある意味する利用する意味でギフテッドを自称してきたけど、
それはそれで自分にプレッシャーをかけるものというか、
すごい自分であらねばいけない感があって。

周りから認識される私だったり、
自分でブランディングしている私が、
ちゃんとした人!って感じだったから、
それに見合うようにしなきゃって思ってた。


けど、それですごくしんどさを感じるようになってきて。

だって、私、
結構クズな人間ですよ?ダメダメですよ?笑


意識や意欲高い系でもないし、なんでもテキトーにしちゃうし。笑

そんな自分も自分として認めることができて、
そんな自分とどうやって楽しく生きていけるか、


少し見えてきた絵というか、生き方について、
気が向いたときに少しずつここでも発信していけたら良いなって思っている。


ギフテッド教育の在り方

最近、特定分野に特異な才能をもつ児童生徒に関する有識者会議が話題になっていますが、

すごく思うことが、

特異な才能を持つ子どもとして認定された場合、
何かしら特別な教育を受けることになるんだろうけど
(そーゆー話になりつつありますが)

そういう特別な教育?なんから別枠で教育を施されたとしても、


最終的にはその子自身が自分の人生について判断できるような形であってほしいなぁって。

特別な教育してるんだから、
なにか特別なものにならなければいけないとか、

そういうプレッシャーみたいなものは絶対に与えちゃいけないと思うし、

極論、

得意なこと≠好きなこと


な場合もあるわけだから、

特別な教育を受けることができたとしても、
プレッシャーを与えるものであったり、
選択肢を狭めてしまうものではいけない。

ってこれはすごく思った。

才能を伸ばす、適切な教育を施す
ってことも大切なのかもしれないけれど、

一番大切なことは、その子が幸せであること

だと思うんですけどね。どうなんでしょうね。



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