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失くした夏の音


 山の中を綺麗な川とまで呼べない小さな“沢”が流れる風景が、少しずつ木の伐採で壊れていく。
 やがてダンプカーが山の土を運び出しアスファルト道路が開通する様子を遠くから見ていた。
 あの沢は無機質なコンクリートの側溝に流され“排水“され、山に生きる多くの生物の糧までも奪い、道路重視の乾いた山が悲しそうに思えた。

 道路開通を懇願したのは、この山村に多くの人が住んでいた40年も前で今の山村は廃墟が多く開通しても、運転免許を返納した人が住む村は喜ぶ元気すらない。
 いつもの事だけれど行政の計画や都合と、実行まで時間の進み方が違うみたいだ。

自由研究

 
 あの山に住んでいた蝉は夏に騒がしく鳴いていて、僕がまだ小学校の頃に夏休みの宿題の“自由研究”で、蝉を調べた事を思い出していた。

 蝉がうるさい程に鳴いていたあの夏、母さんが「ねー、智久、自由研究で蝉を調べるのを、母さんも一緒に手伝うからさ!」と言った。
 暑さでダラダラしていた僕だったが、嬉しくて「うん!」と応えた。
 早速、母さんと一緒に“虫かごと虫あみ”を用意しに、駄菓子屋に行き買って貰った。
 嬉しそうな僕を見て駄菓子屋のおばあちゃんが「よかったねー、ともちゃん!」と、話しかけられたりして。
 
 次の日の朝早くから“沢”の有る山へ母さんと一緒に蝉を探していたら、大きな木の幹に“真っ白な蝉”を見つけ母さんに知らせた。
「蝉の子供が土から出て来て殻を破って、おとなの蝉になる瞬間だよ」と優しく教えてくれた。
 僕は真っ白な蝉に釘付けなり、長い時間離れずに観ていると、少しずつ羽根が白から透明になり体が黒っぽくなっていくのを見ていた。
 やがて蝉は羽根を動かし、空へ飛んで行った。
 見上げていた僕に「大人になったら、羽ばたくんだよ!」と母さんが屈託のない微笑みで、笑いながら話した。

 蝉取りをした後に、僕は母さんが買ってくれた真新しい昆虫図鑑で蝉を調べていたら、夏を生きる蝉のその短すぎる命と長過ぎる様な土の中の幼虫時期に寂しい気持ちになり泣いていた。
 7〜10年間の土の中での生活を終えて、成虫の蝉は7日程の短い命を夏に終える。
 子供の僕は涙していた。

夏の音


 歳月が流れ年老いた母と共に夏を迎え、道路工事が始まった。 
 ダンプカーで山から運ばれる土に、あの蝉の子供がいたり、アスファルト道路にする時に潰されたものも居るんだと思うと、刹那さを飛び越え虚しさだけが心に残る。
 完成した綺麗なアスファルト道路は、自動車を数台見かけるだけで。
 
 夏が来る度に蝉の声が騒がしいと思えた、あの夏の若かりし頃の母との思い出が恋しくなるが、再び騒がしい程に蝉が鳴く事はなくなった。


 夏の早朝にあの道路を自動車で走ると蝉が道路に落ちていた。
 蝉の最後に見たものは、恋い焦がれ飛んだ青空でもなく、健やかに産まれ育った“沢の有る山”でもない。

 蝉の亡骸の横を通り過ぎ、家路に戻る道路は綺麗に舗装され無機質になり、道を行き交う自動車を見かけない。

 いろんなものを手に入れて、多くのものを失った。

 あの騒がしく聞こえた、蝉の声はもう戻らない。

   …………… 終 ……………

 

 

 

 


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