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春の風が運ぶ母の声

私は先月まで中東にあるヨルダンという国にいた。
某国際ボランティア団体の一員として活動していたが、コロナの影響で帰国せざるを得なくなった。
あの活動早くやっておけばよかった、もっと積極的に動けばよかった、と次々に後悔の波が押し寄せてくる。
でもまぁ、人生そんなもんだと思いたい。
後悔を繰り返してこそ、後悔しない選択をできるようになるのだ。
なんてことを、この有り余る暇な時間に考えた。

暇だ。とても暇だ。
暇なときに私がよくやること。
過去の脳内アルバムを見漁る。
今日はヨルダンに旅立つ時の気持ちに戻って、脳内アルバムのページをめくる。

sumikaの春風

私にはこの曲を聴いたら無条件に涙が出てしまうという曲が何曲かある。
sumikaの「春風」がその一曲。

「ヨルダンに行きたいと思ってる」
「うん、いってらっしゃい」

私の意を決した一言は、母の二つ返事であっさりと返された。

私「え?いいの?」
母「だって行きたいんでしょ?」

母はいつもそうだ。私がやりたいって言ったことを止めたことはない。
でもさすがに、中東に行くのは反対されると思っていた。世間からしたら危険なイメージだから(ヨルダンは比較的安全な国)。
もちろん母も心配したと思うが、かわいい子には旅させよスタイルで背中を押してくれた。
いやー、かっこいいなぁ我が母。
そんな母に感謝しながら、私はこの曲を聴いていた。

心配なんてかけぬように
この街の好きな所を見つけて
故郷の方角に
なびいてる木々を羨んで
くわえた親指から飛ばしてみる

母の声が聴こえる春風

ヨルダンでの生活はうまくいかないことだらけだった。
これが異文化で活動することなのだと、痛すぎるほど痛感した。
たくさん泣いた。そしてこの曲を聴いて、母を思い出した。

「さあさあ、まだよ。これからよ」
皺混じりの声 空耳した

ハッとした。
背中を押してもらったこと、色々な体験をさせてもらってること、ちゃんと自分の糧にしなきゃと。
そう思えたのがちょうど春だった。
春の陽気に包まれ、春風が母の声を運んできてくれた気がした。
距離は離れていても、どこかで誰かが見守ってくれてると思うと、一人じゃないと思えた。

帰れる場所があること

この街の話の下に一行
「次に帰った時にゆっくり話すね」
と付けて

今は実家に帰ってるので、母とたくさん話をしている。
このタイミングで帰ってきたからこそ、母の還暦と誕生日も祝えた。

意としない帰国は後悔だらけだったけど、その分気づけたことが私を満たしていく。
不幸と幸せは紙一重だなと思ったり。
自粛ムードで暗い空気だが、春の空気は暖かい。
そして、ホームはとても温かい。

見えないものと闘っているからこそ、見えない幸せに気づいて生きたい。