小説:狐009「来店客」(998文字)
開きつつある扉。誰だろうか? 時刻は、20:45。あらゆる可能性が押し寄せる。
スミさん説
「おう! ナリさん。調子はどうだ? お、今日は飲みもんにタコワサついてくんのか! おいら好物なんだよなあ。マスターいつものー」
きっとこんな調子だろう。尚、このたこわさびは私が注文したものであって、自動的についてくるものではない。
マニさん説
「ナリさんこんばんは。先日学園祭で来場者参加型のクイズ大会やっていましてね、優勝してきました」
だいたいそんな感じだろう。はい。よかったですね。以上。
タロウさん説
「ねえねえ、ナリさんって大学出てましたっけ? どうしたら入れるんすかね?」
もし、そんな質問をされたら、大学のランクを選ばなければいいこと、ライター仕事の合間に勉強するのは困難なこと、そしてここに出入りする時間を勉学に充当するのがいいことを伝えるだけだが。
カズミちゃん説
「ナリさーん、こんばんはー! この間のNNKのオーディション、最終選考まで行けましたー! 応援してくださーい!」
およそこんな感じだろう。
彼女は常連には違いないが、来店頻度は私たち程ではなく、準レギュラーのような存在かもしれない。
二十代前半。役者のたまごらしい。劇団員、声優をしつつ秋葉原ヶ丘のコンセプトカフェでも働いているようだ。この『狐』のアイドル的な立ち位置でみんなから愛されていると言っていいだろう。誰が見ても若くかわいい女性だが、特に声に特徴がある。アニメ声という言葉で片付けるには惜しい声であり、ストレートな美声とも言いがたい。高すぎず、低すぎず。他の誰にも似ていない声だ。
風変わりなメンバーが、それぞれ自由にこの空間を楽しんでおり私はそれも込みでここを愛しているわけだが、彼女の存在如何で場の空気が180度変わる。特に男性陣はカズミちゃんの味方をしようとするし、よく思われたいためかいつもとは違う立ち振る舞いになる。
ただ、私としては彼女のあざとさ、何とか売れようとするしたたかさ、野望めいた内奥の黒さを感じずにはいられなかった。
この『狐』という空間そのものを私は愛している。女性が嫌いなわけではないし、カズミちゃんに魅力があるのもよく分かる。しかし、カズミちゃんが存在する『狐』は『狐』であって『狐』ではない。
扉が開いた。
入店したのはリスト化コンサルタントのリスティーさんだった。思惑は全て外れた。