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『ツミデミック』刊行記念【一穂ミチ】ロングインタビュー|聞き手:三宅香帆

世の中は流行り病で変わってしまった
――その渦中で市井の人々が起こした「犯罪」を描いた短編集を、人気作家・一穂ミチさんが刊行した。『スモールワールズ』『光のとこにいてね』で直木賞にノミネートされた作家が今回描いたのは、コロナ禍に翻弄される人々の物語。ぞわりと背筋が凍るような小説もありつつ、一方で光が差し込むようなラストに救われるような小説もあり、犯罪というコンセプトのもと多様な人間関係が描かれている。「現実に引っ張られながら書いた」と語る一穂さんの、コロナ禍と小説の関係について伺った。



コロナ禍は私たちにとって「箱庭の洪水」だった

コロナ禍を描いた『ツミデミック』

―― 今回の『ツミデミック』は犯罪小説というコンセプトが、一穂さんのこれまでのイメージを刷新する印象がありました。犯罪小説集になった経緯を教えてください。
一穂 実は、元々「犯罪小説」という統一感を持たせるつもりはなかったんです。というのも、どの短編も『小説宝石』の月々の特集にあわせてお題をいただいて書いたものだったんですよ。
 「違う羽の鳥」は〝繁華街〟、「ロマンス☆」が〝出会い〟、「憐光」が〝帰郷〟、「特別縁故者」が〝お金〟、「祝福の歌」が〝隣人〟というお題で。「さざなみドライブ」だけお題のない状態でしたが。なので結果的に、気づけば犯罪小説集になっていた、というのが正直なところなんです。ただ三話目の「憐光」くらいから「このシリーズはすべてコロナ禍の話に統一しよう」とは考えていて、すると自分自身ニュースに触れているなかでやっぱりコロナ絡みの犯罪を目にすることが多くて。そういう状況が小説を書く根っこにあったとは思います。

―― 小説を書いていた時期、ちょうどコロナ禍の渦中だったということですね。
一穂 そうなんです、一作目が発表されたのが2021年秋。そこから少しコロナが収束したかなと思ったらまたまん延防止等重点措置が適用されたりして、コロナ禍がどうなっていくか分からない時期に書いたという感覚が強いです。私自身、会社の勤務形態に影響があったり、身内にコロナ感染者が出たりしてばたばたしていましたし、『小説宝石』編集部の方ともずっと会わずにZoom で打ち合わせしていました。

――コロナ禍の状況もいろいろ変わっていましたが、小説への影響はありましたか?
一穂 やっぱり小説を書く時のテンションは現実に引っ張られていました。たとえばコロナ禍の渦中って、収束しかけてもまた変異株の話題が出てきたりして、「ああまたか」とすごく気持ちが落ちることが多かったんです。だから三話目の「憐光」あたりまではすごく憂鬱になっていた時のことが反映されている気がします。でも四話目の「特別縁故者」くらいから、現実とリンクして徐々に物語も明るく終わるようになってきました。そのくらいの時期から、私自身なんとなく希望が持てるようになってきて。

―― たしかに「祝福の歌」を読んだ時、明るく救われるような話だなあと感じました。現実に小説が引っ張られるというのは、ほかの小説を書かれた時もよくあることなのでしょうか?
一穂 いや、今まではあまりなかったです。今回は自分もコロナ禍に振り回されながら、コロナ禍のことを書くという試みだったので、現実を反映せざるを得なかった。やっぱりこれを書いていた時期って「コロナの状況が変わらないまま十年、二十年って過ぎるんじゃないか」と思ったこともありましたし。小説にそういう緊迫感を保存したような気がします。

―― たしかに、ほんの一、二年前は本当にコロナがどうなるかわからないと思ってましたね。
一穂 私の中ではコロナって、普通の人々が住んでいる小さな箱庭に、突然洪水が来たようなイメージなんです。洪水に巻き込まれていない人はいない。極端なことをいえば、コロナが与えた影響で苦しんでいない人って、ひとりもいないのではないかと。だからこそみんないろいろあるなかで、私は大きな犯罪をやらかした人ではなく、もっと取るに足らない人たち、つまりニュースにならないような人生の一部を切り取りたいな、と思っていました。

―― 今回コロナ禍という主題を選ばれたのは、これまでも市井の人々を描かれてきた、一穂さんの作家性と呼応するものがあったのでしょうか。
一穂
 うーん、私は全然自分の中にあるテーマなんて興味がないのです。自分以外の人のほうに興味がある。だから作家性だなんて感覚はないのですが……でもひとつ言うとすれば、コロナ禍って世界中の人が当事者なんですよね。例えば災害を描こうとしたら、当事者性の部分は非常に厳しく見られがちになります。極端な言い方をすると、「あなた被災してないのに、震災の話書くんだ」と思われかねないかなと。でもコロナ禍は、感染したかどうかは関係なく、みんな世界中が当事者だったよね、という感覚が私の中にあるんです。だから書いてもいいんじゃないのかなとちょっと思えた部分はありました。

―― 当事者性みたいな話は、例えば一穂さんのキャリアのなかでBL小説からスタートされた影響はあるのでしょうか。
一穂 逆にBLではない分野を書くようになって意識するようになりました。BLに関しては、私はどう頑張っても男性にはなれないんです。で、読者も女性が多くて、ある種の性的なものを含むファンタジーとして読んでほしいところがあった。でもそうじゃない、一般文芸のお話はやっぱりいつも当事者性について不安があって……。たとえば子供を産んだことのない自分が、子持ちの女性を書くだけでも、ちょっと不安になることはあったりしますね。とんでもなく的外れことを書いてるんじゃないのかなと。街で見かけた親子連れを見て想像したりしているだけなので。

『ツミデミック』サイン本づくりの様子

人の弱さを描くということ

―― 街の親子から小説を連想することもあるんですね。『ツミデミック』のそれぞれの小説のアイデアはどこから生まれたのでしょうか?
一穂 今回は新聞やニュースから小説の種みたいなものを拾うこともありました。たとえば「持続化給付金をめぐる詐欺で若い人が不正受給をした」という記事から「憐光」を思いついたり。「祝福の歌」はタイの代理母が赤ん坊を一時的に育てる施設で、コロナ禍のため通常より長い期間育てているうちに情が移ってみんな渡したくないと言い始めた、という記事を読んで思いつきました。新聞は興味のない情報にも触れさせてくれるところが好きです。最初は「ふーん」と流していた話に、ふっと興味がわいてくる瞬間がある。SNSやネットニュースだとどうしても自分が選んでしまうので、興味のない情報にも触れさせてくれるという点で、新聞は大切なメディアだなと思ってます。

―― 新聞やテレビのニュースから、日々アイデアをためておくんですね。
一穂 小説の断片をためておいて、いざ「じゃあ次こういうテーマでお願いします」と言われた時に冷蔵庫のありものを探るような感じです。あ、今思い出したんですけど、「ロマンス☆」はニュースではなく実体験が元になって生まれました。私がたまたますれ違ったUberEats の配達員の方が、めちゃめちゃイケメンだったんです。颯爽と通り過ぎていかれたんですが、思わず振り返ってしまうほどで……そこから「そういえばウーバーの配達って指名できないんだっけ」「コロナきっかけでデリバリーをたくさん使うようになったなあ」と連想して、こんな話になりました。

―― そんなところから「ロマンス☆」に至るのがさすがすぎます……! 他の作品にしても、『ツミデミック』には、「悪い人じゃないんだけど、ちょっと沼にはまって悪い方向に向かってしまう一般市民」の物語という印象が強いのですが、もともとこういう人々への興味があるのでしょうか?
一穂 うーん、というか私は、たとえば自分がこの先一生逮捕されずに生きていけるのか、あまり自信がないんです。自分もいつか何かのぬかるみの中にはまってしまう瞬間があるのかもなと常に思ってしまう。だからこそ悪い人を見ても、最初から「よっしゃ俺悪いことするぜ」というわけじゃなかったんだろうなと。生まれながらの悪人なんてそうそういなくて、その人が持ってる弱さみたいなものが前面に出てしまった結果、悪い作用をしてしまったんだろうな、といつも思っています。

―― 人の弱さにフォーカスが向かうのは、小説家としての興味ということでしょうか?
一穂 強さより弱さの方が魅力的だなと思いますね。たとえ好感の持てる形でなかったとしても、そっちの方が人間らしいなと。といってもこの感覚も最近の話です。例えば私は独身なのですが、年末年始に家族で過ごす相手がいなくて寂しいみたいな感覚、昔は全然わかんなかったんですよ。1人で好きなとこ行って、好きなことできるじゃん、と。でもやっぱり最近になってクリスマスとか年末年始とか、メディアがファミリーやカップルといった「理想の過ごし方」を推してくる時期に、ふっとわびしさを覚える時があるようになってきたんです。その時「あー、なんか人間年齢を重ねると弱くなっちゃうんだな」と。やっぱり色々心細くなってきちゃう。
 だから他人に対しても「弱くなっちゃう時もあるよね」と思うようになりました。書く以上、突き放すようなことを書いてはいけない。自分も完璧からはほど遠いことなんて、自分自身でよく分かるから……「人間そういう時もあるよね」と、弱さに対して一種の連帯を持って書いているのかもしれません。

――『ツミデミック』で自分に近しいと感じるキャラクターはいますか?
一穂 憎めないのは「特別縁故者」の恭一ですね。やることがたくさんあるのに、スマホをだらだら見てしまったり。世の中の流れについていけなかったり。自分がつけられた傷のことを、ずっと気にして踏み出せなかったり。分かってはいるんだけどできない、という臆病さも含めてなんだか愛着があります。

―― 臆病さ、ってすごく一穂さんの小説の主題のひとつのように感じます。
一穂 そうですねえ。やっぱり臆病さも弱さのひとつですし、裏を返せば優しくなれるということでもあると思うんです。人間はみんないい面とわるい面が表裏一体。優しさは甘やかしだったりすることもあるし。それがくるくる変わっていく様が好きなんだとは思います。別にそれは劇的な人生を歩んでいなくとも、日常の暮らしの中で起こりうることですよね。

―― 逆に強いキャラクターといえば、「祝福の歌」の菜花ちゃんがすごく好きでした。
一穂 彼女は「最近の陽キャってこんな感じなのかな」と自分なりに考えて作られました。最近の子って、私から見るとみんな賢くてそつがないんです。会社で一緒に働いてても、私が20代半ばの頃はもっととんでもなく常識なかったなと反省するくらい。だから彼女に関しては、今時の賢さと明るさを込めようと思いました。あとは私自身身近にこういう子がいたら楽しいだろうなという夢みたいなものもあったのかな。彼女が背負う若い世代の妊娠や出産に関しては、むしろ彼女たちの世代が子を持つことについての不安やネガティブなイメージを吹き飛ばす時代になってほしい、という願いも込めて書きました。

一穂さんの素敵すぎるサイン…!

兼業作家をやめない理由

――『ツミデミック』で、書いていて印象的だった作品はありますか?
一穂 「憐光」は意外な結末に至った小説でした。書き始めた時、主人公の女の子が変わってしまった故郷を見てしんみりするだけなのかな、と思ってたんです。でも結末が意外な感じで終わりましたね。書きながら、あらあら~そんな人出てくるの~と。

―― 結末は考えずに書き始めるんですね。
一穂 うーん、六割くらい考えたところでもう書き出しちゃいますね。頭の中で揉んでいても、オチを思いつかないことはよくあるんです。でもそうしているうちに物理的に締め切りが迫ってきちゃう。締め切りを過ぎてしまうと「途中まででいいので見せてください」と編集者の方に言われるので、とりあえず途中まででもいいから出さないといけない。だからとにかく書き始めちゃいます。書いているうちに物語が転がり出すと、勝手に着地点ができてくることがよくありますね。登場人物が想定していなかったことを言ったりし始めると「あ、今回もなんとかなりそう」とほっとします。

―― キャラクターが動き始める、と。
一穂 いや、でもまあ書いてない時も原稿を抱えてる間は原稿のことをずっと考えてはいるので、無意識のうちに頑張って自分が考えているんだと思います(笑)。火事場の馬鹿力みたいな。その結果、思いがけない結末が生まれるんじゃないですかね。

―― 物語への工夫をずっと考えているんですね。
一穂 まあ、私が書いているのはエンタメといいますか、大衆小説の枠組みだと思うので。明確な起承転結をつけようとは思っております。読むのは一見起伏のない静かな小説や説明しづらい小説も好きなんですけれど。

―― どのような作家の方がお好きなのですか?
一穂 川上弘美さんの小説が好きです。あと、海外だとイーユン・リーやハン・ガンが好きですね。好みの小説は自分とかなり遠いところになるので、影響受けたくても受けられないような気がしてますけど。

―― 自分の小説は好みの味そのもの、ということはないのでしょうか?読者としてはすごく近いものを感じるのですが……!
一穂 だったら嬉しいのですけれど。自分の小説って、自分で作ったご飯と一緒なんですよね。めちゃめちゃおいしいわけではないけども、味付けを自分で把握していて、慣れ親しんだ味のようなものです。好みというより、味付けが分かっている感じですねえ。といっても刊行から数年経たないと自分の小説は冷静に読めないのですが……数年経って読むと、「まあいいじゃん」と思えてきますね。

―― 今回は短編小説集ですが、長編小説を書かれる時と違いはありますか?
一穂 短編のほうが取り掛かりやすくて、楽ですねえ。長編だとダメだった時の損失が大きいんですよ。直すにしても、長い物語のどこから直せばいいか分からない。でも短編だとおしまいもすぐ見えるし、精神的に楽です。やっぱり長い話を自分自身どうなるんだろうなと思いながら書くのは、結構きついものがあって。「最後の最後までいって、どうにもならなかったらどうすんだろう」と思いながら書いています。

―― それでもこれだけ長編小説も短編小説も書かれながら兼業作家というのは驚異的な仕事量だと思うのですが、今後も兼業作家でいらっしゃるつもりなのでしょうか。
一穂 基本的にはそのつもりです。会社をやめる理由もなくて。刺激をもらえるのもありますし、なにより会社を辞めたら私は果たして真面目に小説を書いて、月給分の働きをするんだろうか? と言われると、しないなあと思うんですよ。むしろこの時間には絶対会社行かなきゃみたいな区切りがあるほうが書ける。会社にいる間、小説を書きたくても書けない、そのほうが切り替えができるかなと。

――一穂さんが会社勤めもされていることが驚きなのですが、いつ書かれているのですか? 読者はみんな「一穂さんって小説いつ書いてるんだろう」と思っている気がします。
一穂 私もそう思ってます。なぜ間に合ってしまうのか、毎度、謎です。まあ、いつもどうにか帳尻を合わせて、締め切りに向けて書いているんですよね。ちょくちょくご迷惑おかけしたりしつつ。でも、原稿ができあがってみると私自身「なんで間に合ったのかわからない」といつも思っています。

生活を描く、なんでもない人生を描く

―― 小説を書くのは、一穂さんにとっては日常の楽しみなのでしょうか。
一穂
 うーん、そんなことはないです。もうお金いただく仕事としてやっちゃうと、楽しいという感覚にはならないですね、うん。思うように書けたなと思う時なんてほとんどないですし。大半の時間はうんうん唸って、文章や展開に頭悩ませています。だから依頼がなかったら書かないタイプです。零細工場が発注と納品を繰り返しているような感覚です。編集者の方から発注をいただいて、「こういうお題で」「こういうのが読みたいです」と言われて、アイデアを膨らませるのは楽しいんですけどね。でもやっぱり書いている最中は苦しいことも多いかなと。未熟ゆえに。

―― 読者としては一穂さんが仕事として小説を書いている様子と、一穂さんが書かれるキャラクターたちが生活するために仕事をしている様子って、なんだか近しいものを感じます。
一穂
 あ、そうかもしれない。あんまりバリバリ仕事してる人のことを、想像できないのかな。学生の頃読んだ向田邦子さんのエッセイにあったエピソードを私すごく覚えていて。向田さんがシナリオを書く時、例えば主人公の部屋のはしっこに「夏物」と書かれた段ボールが置いてあるとか、そういうディテールを大切にしている、と書かれてたんです。その話がすごく印象的で、私もやっぱり細かい生活感を大切にするようにしています。

―― 生活を描く上で、こだわっているところはありますか?
一穂
 逆説的ですけど、設定を作り込みすぎないことかもしれない。その人の暮らしを一緒に眺めている気分でいると、ふっと好きなものや嫌いなものが見つけられることがあるんです。たとえば靴下はどっちから履くか、とか。それは例えば会社の同僚のちょっとした癖を見つけてしまう時と同じだと思うんです。最初から設定を作り込むより、その人の暮らしをなんとなく追っかける感じでいるほうが、生活を描ける気がします。だから最初は年齢と性別と、なんとなくの性格と職業くらいしか決めずに書いていきますね。

――『ツミデミック』も、やっぱりこのコロナ禍のような大きな話のなかで、UberEats や持続化給付金の話みたいな生活に根差したエピソードが印象的です。
一穂
 なんでもない人の、なんでもないはずの人生のワンシーンの方が書きやすいんです。小さい出来事の方が想像が及ぶので。

―― 給付金にしてもデリバリーにしても、一穂さんは常にコロナ禍の身近な私たちの物語を描いてくれている気がします。
一穂
 私自身が自分の生活から遠いものって想像できないんです。いや、とんでもないスパイとか書けたら楽しそうですけどね。でも自分から遠すぎるものは想像ができないんですよ。私は半径十メートルくらいのところで、ずっと目を凝らして、小説を書いている気がします。

圧巻の積み積み『ツミデミック』と一穂さん

現実と小説の狭間で

―― 個人的に2020年頃は、コロナ禍を題材にした特集や小説がわっと増えた印象だったんです。でも最近はもう「コロナ禍なんて意外と忘れられていくのかな?」と思うほど、コロナは過去の話になってきたように感じていて。少なくとも出版界においては。だから今回、こうして一穂さんがコロナ
禍と向き合っていたことがとても新鮮でした。
一穂
 私自身『ツミデミック』の小説を読み返していると「あ、コロナ禍の最初の頃って本当に不安だったな」と思い出しました。覚えてます? コロナ禍の最初のほうって、どこかのエレベーターに爪楊枝が置かれていたんですよ。ボタンを素手で触らないために、爪楊枝で触れと(笑)。今は笑っちゃうし、マスクが手に入らないとかも何だったんだと感じますよね。それでも当時は、本当に切迫していた。人に触れるのが悪という感覚があった。でも今から生まれてくる子たちには、そんなこと昔話ですよねえ。街中静まりかえって誰もいなかったんだよ、世界中そうだったんだよ、って噓みたいな数か月があった。そのことを小説に書くと覚えておけるなという感覚があります。

―― 小説は一穂さんにとって、創作であるとともに、記録という側面もあるのでしょうか。
一穂
 やっぱり現実が色濃く投影されているので、読み返すと自分の日記みたいなところがあります。ちょっとした言葉や展開に、自分が忘れてしまいそうなエッセンスを書き留めている。私にしか分からない形ではありますが、誰かに対して抱いた感情とか、忘れてしまいそうな記憶を書いているんです。

―― フィクションの世界だけではなく、現実の世界も反映した物語を一穂さんは描き続けていますね。
一穂
 やっぱり現実を生きている人間が書いている以上、何のジャンルを書いても、たとえフィクションであっても完全に現実と切り離すことはない、と私は思っています。小説もやっぱり、現実を反映するもの。そう考えて、小説を書いていますね。

――『ツミデミック』に関して、読者の方にメッセージがあればぜひお願いします。
一穂 ひょっとしたらコロナ禍初期の緊迫感なんて、みなさんもう思い出したくもないかもしれないですけれど。でもあの三年間を一緒に追体験するような気持ちで、「みんな大変だったね」「みんな必死だったよね」ということを私は分かち合いたいです。あまり人に言えない、否定されるかもしれない感情も分かち合えるのが、物語のいいところだなと思うので……誰にも言えない、だけどたしかにあったコロナ禍の記憶を、ぜひ一緒に嚙み締めていただけると嬉しいです。

《小説宝石 2024年1月号 掲載》


『ツミデミック』あらすじ

『ツミデミック』

大学を中退し、夜の街で客引きのバイトをしている優斗。ある日、バイト中に話しかけてきた女は、中学時代に死んだはずの同級生の名を名乗り――「違う羽の鳥」 調理師の職を失った恭一は、ある日息子が近隣の老人から旧一万円札をもらってきたことで、その家に挨拶に行くが――「特別縁故者」 
禍にのまれた人生は、思いも寄らない場所に辿り着く。稀代のストーリーテラーが放つ、「パンデミック」×「犯罪」全6編。

著者プロフィール

一穂ミチ(いちほ・みち)
2007年『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。『イエスかノーか半分か』などの人気シリーズを手がける。’21年『スモールワールズ』が大きな話題となり、同作は吉川英治文学新人賞を受賞、本屋大賞第3位。『光のとこにいてね』で直木賞候補、本屋大賞第3位。今最も新刊が待たれる著者の一人。

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本インタビュー掲載の小説宝石1月号はコチラ


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