仕事で文章の理解力が不足していると思ったので『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~』を読んだ
どんな本なのか
文章を読むとき、わかったつもりになっているだけで、正確に文章を読めていない時がある。知っている言語と知っている単語だけで構成されているはずの文章を、一語漏らさず読んでいるはずなのになぜそんなことが起きるのか。また何を意識して文章に向き合えば文章をより深く読むことができるのかが書かれている。
読もうと思った理由
自分はプログラマをしているのだけれど、仕事中は基本的にチャットでやりとりをする。そのとき相手からのメッセージを読んで理解できなくて「ここってどういうことですか?」って返信して、相手からの返信を待っている間に相手のメッセージを読み返していると、自分の質問が見当違いだったり、質問した内容の答えは元のメッセージにちゃんと書いてあったりすることに気づくことがよくあった。
つまり文章を正確に読めてなかった。自分のその悪癖に気づいてからは注意深く文章を読むようになったけれども、それでも文章の意味を取りこぼしてしまうことはある。
注意して文章を読んでいるはずだし、文章に出てくる単語はすべて知っているはずだし、理解もできているはず、なのに読めていない。この現象はなんなんだろうって思って、「読解力」とか「文章 読み方」とか「文章 読めない」とかで調べてたら、本書『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~』が出てきて、なんか良さそうな感じだったので読んでみようと思った。
読む目的は、読み終わったあとに文章をよりよく読める状態になっていること。あるいはよりよく文章を読むための努力のベクトルを理解していること。
読んだ感想
いかに自分が文章を読めていなかったか
最初に面白いなって思ったのが、「サリーがアイロンをかけたので、シャツはきれいだった」という文章は理解できる。でもこれが「サリーがアイロンをかけたので、シャツはしわくしゃだった」となると自分は理解ができなかった。これはアイロンはしわを伸ばすものという知識を使ってこの文章を読んでいるから文章の前後がちぐはぐになってしまって読めなくなってしまっている。アイロンをかけたらふつうシャツはきれいになるはずだ。そして「サリーがアイロンをかけたので、シャツはしわくしゃだった」という文章は、サリーがアイロンがけが下手という仮定をして読むと、なるほど理解できるようになる。アイロンかけが下手なサリーがアイロンをかけたのでシャツはしわくしゃになってしまったということだ
こういう具体例がいくつも出てきて、自分が文章を読めていない原因をいくつも目の当たりにしていくことになる。
ちなみに友人に「サリーがアイロンをかけたので、シャツはしわくしゃだった」という文章を見せて「この文章の意味わかる?」って訊いたら、いっしゅんで「アイロンがけが下手だから、シャツがしわくしゃになってるってことでしょ」って返ってきて、読める人はふつうに読めるんだなあって、自分の文章の読めてなさをあたらめて自覚した。
文章をより良く読むためには、「わかった」ではなくて「わかったつもり」状態であることを認識すること
自分は文章をいちど読んだだけで「わかった」と思っていたけど、それはただの「わかったつもり」だった。わかったつもりというのは、浅い理解ということで、文章同士の関係性がまだ緊密に視えていないということ。
自分がいま「わかったつもり」の状態にあるということを意識しないと、よりよく文章を読むことは難しい。自分が「わかったつもり」の状態だと認識できれば、つまりわかっていない部分があるということを認識できれば、もう一段階深い理解があるんじゃないかという読み方ができるようになる。よりわかるために必要なのは、丹念に文章を読むことで「わかったつもり」を破壊すること。そして「わかったつもり」を破壊したときに出てくる矛盾を解決すること。それはつまり現れた矛盾と整合性のある答えを見つけるということ。そのサイクルを廻していく。
この「わかったつもり」状態は意識していきたいとおもった。
文脈は文章を読むために必要なスキーマを活性化させる
文脈というのは、文章を読むときに使用するスキーマ(知識)を示唆してくれるものという説明はなるほどと思った。途中から参加した会話で、使われている単語は全部知っているのに何の話をしているのかわからないのは、文脈が視えていないから。「いま xxx の話をしてるんだよ」と文脈が与えられれば、使用するスキーマが把握できて、とたんに「あー、はいはい」ってかんじに情報全体がとたんに理解できるようになる。
つまり文脈を切り替えることによって示唆されるスキーマが変わり、部分から引き出される情報も変化するということが起きる。これは完全に認知の世界というか、ミステリ小説でいうところの叙述トリックそのものじゃん。
スキーマって認知心理学の言葉らしいけど、千葉雅也の『勉強の哲学』にも出てきてたから、わりとすんなり理解できた気がする。たぶん同じような意味で使われているはず。
途中で退屈になって読むのをやめようと思ったけど最終章まで読んで良かった
3 章か 4 章くらいでなんか読むのしんどくなってきて、読むのやめようかなっておもったけど、とりあえず最後まで読もうと思って読んだ最終章がめちゃくちゃおもしろかった。というか最終章にすべてが詰まってた。
解釈の妥当性を正しさに求めるのではなく、整合性に求める
引用するけど、この一文がいちばん自分の意識を変化させた。
正しいことなんてなにもない、それは現状、整合性がとれているだけのこと。
より良く読むことは深読みすることに似ている
深読みをするために必要なのは、文章に対して「why」を考えること。
why を考えることはつまり妄想することで、その妄想が文脈の中で整合性があり、妥当性があるなら、ありえる解釈ということになる。解釈は一通りではない。整合性と妥当性があれば、どんな解釈も成立しているといえる。これはいってみれば辻褄合わせみたいなものなのかもしれない。たとえば平城京の『虚構探偵』で岩永琴子が繰り広げる、でたらめな推理は、けれど整合性と妥当性があり、ひとつの可能性をいつも示している。意図的に矛盾を含ませて、次の飛躍した推理の足がかりにすることもあるけど。
それと why を考えて、具体と抽象を往復するような思考法は細谷功の『具体と抽象』にも書かれていたな。
千葉雅也の『勉強の哲学』に通じるところもあった
それと読んでて思ったのが、千葉雅也の『勉強の哲学』と通じるところが割とあったということ。スキーマ、仮固定、再構築。先に『勉強の哲学』を読んでいたので、わりとすんなり理解することができた。仮固定と再構築は、本書で語られる「よりよくわかる」のサイクルと全く同じと言えると思う。
読後の行動の変化
文章の読み方が劇的に変わったということはないけれど、整合性を意識して文章に向き合うようになった。整合性を意識すると自然と why を考えるようになっていることに気づく。そして解釈の妥当性を正しさではなく、整合性に求めることによって、文章を読むのが楽しくなった。
仕事でもチャットのメッセージ、ドキュメント、ミーティングでの会話を理解するときは、整合性を意識して具体と抽象と往復しながらよりよく理解しようと努めている。本書を読む前よりも読めるようになっていると思う。自分の解釈に固執せず、文脈や部分との整合性を意識して、解釈を再構築させようという姿勢で情報と向き合うことができるようになった。
おすすめ度 ⭐⭐⭐⭐⭐
読解力を身につけたいと思っている人にはおすすめ。
関連書籍
具体と抽象
読むと抽象的な視点を持てるようになるからおすすめ。ここに書かれていることは他の書籍を読んでてもよく出てくる。「あ、ここ進研ゼミでやったところだ!」レベルで「あ、ここ『具体と抽象』でやったところだ!」がまじで頻発する。
それくらい重要で汎用的なことが、めちゃめちゃわかりやすく書かれているのでおすすめ。常に本棚の目に付く位置においておきたい
よりよい勉強とは何かを教えてくれる。勉強に対する姿勢が変わる。知識の仮固定と再構築を繰り返してスキーマを鍛えていき、拾える情報の質を高めていくみたいな思考が身につく。
今回紹介した書籍。
解釈は唯一のものじゃない。整合性である解釈はすべて保持されていい。そして不整合性が証明されたとき、その解釈は破棄されなければならない。そしてまた解釈を再構築する。文章を読む上でめちゃめちゃ大事なこと。