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1976年8月15日、夏の日の思い出(03)

思い起こせば、初めて会ったのは去年の10月にヤングセンターのリンク上でだった。
ヤングセンターとは、屋内で夏期はプール。冬期はスケートリンクに切り替わる公共施設。
そのとき、雪はクラスメートの女の子3人でヤングセンターに来ていた。
その雪と来ていた2人の友達は、僕と小学校に通っていたときのクラスメートで面識はあったのだ。
それでその後に女の子3人と男の子3人で僕らがよく行っていた喫茶店に行ったのだがその喫茶店は4人掛けの席しかないので、雪と僕以外の4人が同じ席について、雪と僕が同じ席ついた。
となりの席では、会話かが弾んでいた。
雪以外は、同じ小学校に通っていて、今は僕たち男の子と女の子たちは別々中学校に通っていた。

僕らふたりはこの数時間前に初めて会った者同士なのでお互い何を話していいかわからない。
この時、僕は注文はエビピラフとアイスティーでいいかなと思っていた。
そして、改めて見ても目の前に座っている女の子が素直に美人だと思った。
あまり話さないし視線は落として僕と会わさないようにも感じた。
メニューを見ていてなかなか決まらない感じがして思わず「何にするか悩んいる?」と僕はやっと口を開いた。
そうするとやっと「初めてでよくわからないの。それと今あまりお金持ってないので」と雪がぼそっと小さな声で言った。
僕は、雪に小さな声で「お金のことは気にしなくていいよ。今日はおごる。ここのミートスパゲッティが美味しいから迷っているならそれがいい。それと飲み物は何がいい?」ととなりの席には聞き取れないくらいの声で言った。
小さな声で「いいの?」と言った。
ちょっとだけ今までより雪の表情が明るくなったように感じた。
僕は、軽くうなずいた。
それに同じ席で1人で食べて同席の相手が何も食べないところを他の人が見たら僕が何となく気まづいと感じると思った。
これが雪と初めて会ったときのことである。

それから、何度かヤングセンターで会うことがあり、リンク脇のベンチに座って話すようになっていた。
雪も次第に僕に慣れてきたのか、自ら自分自身のことも話すようなった。
雪が小学4年生の時、お父さんが農作業中トラクターの横転事故が原因で亡くり母子家庭となった。そして雪が小学6年生になる時にお母さんとふたりで帯広に引っ越して来た。
お母さんがホステスをしていること。
お母さんが夜仕事なので夕食は独り食べていること聞いて、僕の家で一緒に夕食を食べないかと誘った。
家は、夕食の時家族以外の人もいつもの何人かいて、1、2人増えたところで食べ物が足りなくなるということはなかった。
雪を家に連れて行くとすぐに妹の里華(さとか)が雪を“おねぇちゃん”と慕った。
それから、大人たちもすぐに受け入れてくれた。
初めは、遠慮していたが度々くるようになっていた。
大人たちからは、素朴なところが受けたようだ。

そう言えば、5月のゴールデンウィークを過ぎあたりから、ぱったりと家に来なくなっていた。
ちょっと前に妹の里華が「おねぇちゃん、来ないね」と言っていた。
僕は、単に友だちの1人という認識しかなかったのか3ヶ月以上も会っていないのに最近家に来ないなというくらいにしか思っていなかった。
普段から中学生になってからは家に友達が来ることもなかったので特に気にしていなかった。

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