反AIは発達障害傾向なのか?~「概念理解」という側面から見る彼らの困難性の考察~
※chatGPT君の書いてくれたものとセルフでコンペをし、無事負けました。なのでGPT君の原稿にファクトチェック、編集、加筆したものを上げています。
※この記事に関しては無断転載コピペ等の複製を許可します。己の良心の範囲内でご使用ください。クレジットも使用報告も特に要りません
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』
オットー・フォン・ビスマルク
ドイツ語の原文では「愚者は経験に学び、賢者は失敗に学ぶ」という意味になるそうですが、大まかな意味は同じです。
どうも炎上ソムリエと一級クソリプ師を自称する金鹿トメです。さて、皆さまは近頃いかがお過ごしでしょうか。私は所詮AI無法派こと反AIと日々つまらない舌戦を繰り広げております。
そんな彼らを見ていて思うことないでしょうか? 単純な知能の低さという訳ではない違和感。
彼らにはどういうわけか「たとえ話」が理解してもらえないということを。
今回の記事では「なぜ彼らにたとえ話が通じないのか」という事を考察します。まあ結論から言えばタイトルに書いてあるのですが。それに対して偏見を持てという訳ではなく、当事者である一人として彼らがどういう状態にあるのかを解説して、簡易的ながら対処方法を伝えることが目的です。参考にしていただければと思います。
さて先の言葉が示唆するのは、知恵を持つ者は過去の知見を借り、抽象的な教訓を日常に活かせる一方で、愚者は自分の経験に囚われがちだという対比です。この言葉を通して、「愚者」が己の経験からしか学べない人を指すのではないか、という問いを立ててみましょう。この問いは、AIに反感を抱く一部の人々が、過去の経験や既成概念から抜け出せない点と重なります。
特に発達障害の特性を持つ人にとって、「経験からしか学べない」ことは多くの困難をもたらします。
発達障害の特徴の一つとして、「概念理解」の難しさが挙げられます。例えば、「廊下を走らないで」という否定的な表現(もっと言えば絵に描くことが難しい概念)よりも、「廊下は歩きましょう」と具体的に肯定的に表現(もっと言えば絵に描ける概念)した方が理解されやすいと言われます。
※筆者も発達障害傾向持ちなのですが、先の説明は合ってはいるものの正確性が低い可能性があります。概念の理解自体が難しいというよりは、相手の使用している概念の基準に即座に合わせられないので問題行動を引き起こしているパターンも存在する気がします。
具体的な事例をあげますと、私のミスで怒り狂っている相手に「何回言ったら分かるの!」と問われ「100回」と答えたという筆者の子供の頃のエピソードが大変分かりやすいかと思われます。(今は流石にこのレベルなら分ります)
いや……回数を聞かれているのだから回数を答えるべきって考えたのですよ。単純に自分が怒っていることを概念として伝えられているだけだと思わなかったのですよ……。多分彼らも基本的にこういう理解をしてるんじゃないかなと思います。もっと言うと言葉通りにしか理解できないという認識で良いかと思いますね。※
否定的な表現では何をすべきかが曖昧に感じられ、動作を変えるための手がかりをつかみにくいのです。このような状況では、具体的な指示が理解を助け、適切な行動を導きやすくします。
AI生成物に対する反感も、この「概念理解」の難しさに関連している可能性があります。具体的な事例が伴わない抽象的な変化に対しては、自分の中のルールや価値観に一致しないと感じ、不快感を抱きやすくなるのです。
例えば、「AIで作られたキャラクターの髪型や目の色が一定しない」という批判は、変化が予測できないAI生成物に対する拒絶反応を象徴しているかもしれません。固定されたルールや視覚的一貫性が保たれないAI絵には、苦手意識が生じやすく、安心して楽しむことができないのです。
こうした反感が生まれる背景には、「経験から学ぶ」という方法のみに依存していることが関係しているかもしれません。人間がもつ「概念理解」がうまく働かない場面では、自分自身の体験を超えた新しい価値観やスタイルに適応するのは難しくなります。
AIは未踏の領域であり、その創出物も従来の美的価値観から外れていることが多いため、抽象的な理解を難しく感じる人々にとってはストレスや拒否反応を引き起こしやすいのです。
発達障害者の視点をふまえ、「廊下は歩きましょう」のように、具体的で肯定的な表現がなされると理解しやすいという指摘は、AIとの関係でも大きな示唆を与えてくれます。AIの創作物が従来の枠を超えているとしても、ルールをわかりやすく設定し、具体的なメリットや適用の範囲を伝えることで、より多くの人が理解と受容を深められるかもしれません。
まとめ
いわゆる穏健な規制派ではなくてAI過激派こと反AIは概念理解(たとえ話の理解)が苦手な人たちなのではないか。つまりたとえ話が理解出来ないので具体的に言ってもらわないと分からないのではないか。ということです。
本当のところは分かりませんが……信憑性の判断は読み手の方にお任せします。
簡易対処法
簡単ですが彼らへの対処法として有効そうなものを書いておきます。
手間をかけたくなかったら→たとえ話をして理解していない様子だったら対話終了してブロック
(正直なところ初手クソリプしてくるタイプだったら即ブロックでもいいと思いますけどね。例えば私とか(オチ))
ある程度なら手間をかけてもいいなら→否定的な言い方をしないことです。「廊下は走らない」ではなくて「廊下は歩きましょう」です。もっというと「直接イメージ出来ないことは言わない」を鉄則とすれば少しは通じると思います。
あとはたとえ話ではなくて具体的な説明をする。ただしAI関連情報は概念的な理解が必要な場面が多くある関係でこちらはとても難しいでしょうね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。この文章が皆さまの役に立てたのなら幸いです。