映画感想『場所はいつも旅先だった』
今週みた映画
『場所はいつも旅先だった』(2021)
ドキュメンタリー映画。
サンフランシスコ・スリランカ・台北・マドリード・メルボルンの5つの都市を散歩しまくる。
ほとんど夜なのがいい。夕方から明朝の街を歩く。
スリランカが1番未発展だったけど、1番歩いてみたいと思った。自然が好きなのかもしれん。
景色見てぼーっとするやつ、近所の川でやろうかなって思った。たぶんやんないけど。
サンフランシスコだったり台北だったり、栄えてる街は大抵、1日を終わりきれない大人が大量に徘徊している。たぶん東京もそう。
そういった人を包む店や人がいて、癒されていた。
おそらく俺も同じ人種。満たされたい。
逆にスリランカは良くも悪くもそんな余裕ないので、悪魔と象を追い払って1日が終了。でもなんかスリム。いいなあ。
旅は暮らしによってできている、だそう。
そうかあ。そうなると、人生は旅だなんて言っていないで、「そこで暮らす人」を全うする責任もあるような気がする。
いつまでも何か追い求めているのは、こどもな気がした。
でも旅はその暮らしを豊かにするらしい。じゃあいいか。
ナレーターの人がやたら「自分らしさ」の解放にこだわる。旅によって存在を確認するんだと。
思想偏ってない?という疑問があったが、今書いてて、俺も他人とぶつかって自分の凸部分を確認するからやってること一緒だわって思った。
なんか全体的にエモい。逆張りしたくなる。
こういうキラキラした憧れを持ちすぎたくない。逆張りが故のスリランカ推しかもしれない。恥ずかしい。
俺は海外旅行したことない。してみたら、たぶんこの映画みたいなことする。やだな。じゃあ俗っぽいことしたい。
タクシードライバーの溜まり場、憧れる。
千と千尋の最初のシーンは台北の屋台イメージだったのかなってお茶碗をみて思った。
メルボルンのじいさん、じいさんの割にキラキラした散歩コースでちょっと心配。