柔術から学ぶことは、技だけじゃない
我が家では、子どもたちとわたしの3人が、そろってブラジリアン柔術を習っています。
いま、子どもたちがプライベートレッスンを受けています。わたしはそれを横目で見ながら、これを書いています。でも気が散ってなかなか書けない。
子どものクラスを見学していると、見ているこっちに変な力が入っていけません。
国会のヤジ並みに次から次へと言いたいことが浮かぶのだけど、それをぐっと吞みこんで、自分を律しています。ここは、先生に任せるべきだし、子どもたちだって、横からママにあーだこーだうるさく言われたくないだろうと思うのです。
わたし自身も柔術を習っているからこそ、我が子のパフォーマンスの改善すべき点が、どうしても透けて見えてしまいます。そして、それをいますぐ教えてやりたい衝動に駆られます。ここをこうしたら、もっと良くなるのに。見ていて歯がゆい思いがします。
子どもにしてみれば、大きなお世話でしょうね。いきなり、1から10までを一気に教え込まれても習得するのが難しいから、やっぱり順を追って一つずつ攻略していくしかないのです。必要以上に強すぎる圧をかけて、子どもたちのやる気を挫いてしまっては本末転倒なので、やはりわたしはじっと黙って、先生にすべてを委ねています。
子どもたちは、組み合ったり、ガードをパスする練習を繰り返しながらも、きゃっきゃと高い声をあげながら、戦うというより遊んでいます。ライオンの子どものじゃれ合いのようです。ときどき、先生から「もっと真剣にやれ」なんて言われてしまっています。そうだ、真剣にやれ、とそのときだけはわたしも声を出します。
それでも、子どもたちは、もう1年近く柔術を続けてきました。今日は行きたくないと表情を曇らせた日もあったし、やめたいと言い出したときもありました。いままでに、いくつかの壁を乗り越えながら、ここまできた感があります。
子どもたちは、柔術をとおして、スポーツとしての、あるいは技としての柔術だけでなく、通常生活に応用できる生き方のコツみたいなものを学んでいるように思います。
例えば、こういうことです。
いまでも試行錯誤ですけどね。必要だと思ったら助言をしますが、基本的には、自分でやってみながら、自分なりの方法を模索していくものだと思って見守ることにしています。
ほかにも、こんなことを発見しているかもしれません。
発見しているといいなと密かに思っています。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
《柔術が好きです》
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