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【海外子育て】ドラえもんにお礼が言いたい

うちの娘が、ドラえもんにはまりつつある。

きっかけは、地域の日本人コミュニティが運営する図書館を訪れたときだった。

小さな一部屋ではあるけれど、日本語の本がびっしり詰まった空間である。海外に住んでいると、日本語のみに囲まれたときの安心感と幸福感といったらない。

ああ、たとえ、だらりんと95パーセント脱力したって、なんの努力もなくすっと頭に入ってくるこの言語。愛おしすぎる。母国語、バンザイ。

わたしはこの小さな図書館へ来るたびに、そんな気持ちになるのだが、アメリカ生まれ、アメリカ育ちの子どもたちにとってはまた別の見方があるのだろう。

日本という身近でありながら、今いるところとは違う世界。英語よりも複雑で難解な文字列。優しい顔をしているのに、なかなか打ち解けられないヤツ。

わたしは、子どもたちの心に食い込むコンテンツをいつも探している。心を掴まれるなにかがあれば、そこから日本語の世界へ自分で潜っていけるようになる。……と信じている。

この日も、わたしは子どもたちに「ちょっと来てごらん」と言って、いくつかの漫画が置いてある一角へ誘った。大人の身長を越す高さの棚2つにぎっしりと漫画が並ぶ。

これまでも、ここへ来るたびに紹介しようとしてきたのだが、子どもたちはあまり興味を示さなかった。

前回はそうでも、今回はなにか違う反応があるかもしれない。

わたしは棚からいくつか手に取って、中をぱらぱら見せながら、どんな話なのかを簡単に説明しながら紹介していった。

息子は、ふーんといくつかページをめくってみたものの、すぐに別のところへ行ってしまった。関心がないらしい。日本語を読むことに苦手意識のある息子は、読みなれた本を何度も繰り返し借りたがる。新しい本を自分で読んでみようというまでには至っていない。

一方、娘はドラえもんの本を手に取って、なにやら見入っている。その本は、日本語と英語が併記されているバージョンだった。英語があったので、すらすら読めたのだろう。もうストーリーを読み始めている。

本当は、日本語で読んでほしいんだけどね。でも、いっぺんに全てを望んではいけない。まずは好きなものを見つけること。そこから日本語を結びつければいい。

娘は、ドラえもんの漫画を4冊手にして、「これを借りたい」と言った。その中には、英語が併記されていない、日本語のみの版も1冊含まれていた。わたしはしめしめと思った。

その日から、娘はドラえもんを読み始めた。どうやらお気に召したらしい。その証拠が2つある。

一つは、「日本語図書館に行きたい」と言い出したこと。前回言ってから数日も経たずに、である。もっとドラえもんの本を借りたいらしい。

これまでは、子どもたちから日本語図書館に行きたいと言い出すことは稀だった。わたしが子どもたちを誘って出かけるのが常だ。

さらに、「この図書館へ行くことは楽しい」と意識づけるために、お楽しみイベントと抱き合わせにすることが多い。

本を借りた後に、近くのパン屋さんに寄って好きなパンを食べながらティータイムをしたり、ギョウザの美味しい中華料理屋さんでランチをしたり。そんな涙ぐましい努力をして、母は日本語のイメージ向上に努めている。

それが、お楽しみイベントを抜きにして、図書館に行きたいと言い出すなんて。しかも、1回きりではなく、ことあるごとに言うのだ。

もう一つは、ドラえもんについての小さな本を作ったこと。

娘の作った本の表紙。
見切れているけれど、作者として自分の名前も載せている。

娘は、自分が気に入ったものを小冊子にまとめるのが好きだ。これまでも、テレビ番組や学校で習っておもしろいと思ったことを本にしてきた。

こういうちょこちょこ書くのが好きなところ、わたしも同じなので共感できる。構成もなかなか悪くないと思う。

1ページ目(右)にはドラえもんとは何者かについての説明。
2ページ目(左)にはドラえもんの道具の紹介。
3ページ目以降は登場人物の紹介が続く。


これは、かなりハマっている。

日本語のみの版も、知らぬ間になんとか自分で読んだらしい。

おお、コンテンツの力よ。わたしがどんなに本読みをさせようとしても嫌がって、半ば強制しないとやらないのに、ドラえもんなら、放っておいても勝手に読みにいっている。

ドラえもん、ありがとう。アメリカにまで進出してくれて嬉しい。これからも娘を魅了し続けてください。よろしく。

それから、ついでに息子にもその力を及ぼしてやって。

(おわり)


読んでくださってありがとうございます。

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