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占領下

松岡正剛著 白川静ー漢字の世界観ー 平凡社

呪能、じゅのうと読むらしい、白川先生の著作には、何とも意味のとれない言葉、漢字がある、これもその一つ
松岡さんにして、白川先生のお考えを解説いただき、私にもようやく少しだけわかった気になってきた

私たちが明日をも知れぬ、より動物だった頃は、言霊を込めて、畏れの対象と会話することがどれほど重要だったかということだ
考えてみれば、当たり前の話だ、現代は、不測の事態を避けるように、社会を造ってきた、今日と同様の明日が当たり前の様にやってくると思い込んでいる
いや、明日のことがわからないなんて云う不安に耐えられない

人は、貞卜、ていぼくに心の安らぎを求めてやまないのだ、そのための道具が、字であって、だから、字通、字訓、字統なのだ

だから、詩経が万葉、古今とも通じるのだ

我が国は、とんでもない戦争をして、とんでもない負け方をして、進駐軍のローマ字表記にしろと云う命令に対し、当座は、漢字を使わせて下さいと、お願いし、当用漢字なる言葉を使って、変体の文字を義務教育、報道機関を使って教育し、なんら恥じない

最近開通したマッカーサー道路と云い、羽田の超々過密が根本原因であることを誰も声高に言わないこと、能登の大震災に全力を尽くさないで、政党の中の権力闘争に明け暮れ、災害と悲惨な国民に眼をつぶっている、政治家、報道、そしてわたし達

要するに最大の侮辱を晴らさない限り、私たちの優先度は、なおらないのだろうか

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