【孤読、すなわち孤高の読書】大江健三郎「死者の奢り」
作者:大江健三郎(1935〜2023)
作品名:「死者の奢り」
刊行年:1958年刊行(日本)
戦後日本の不条理と存在の虚無を鋭く描き出した作品。
[あらすじ]
主人公である「私」は、病院の死体安置所で働く若い男である。
彼の日常は、死者たちを運ぶ単調な労働によって成り立っている。
しかし、その単調さの中に、死の冷たさや生きることへの不可解さが浮かび上がる。
ある日、「私」は職場の女性である「彼女」と関係を持ち、次第に心のバランスを崩していく。
その結果、「私」は生と死、欲望と虚無の狭間で揺れ動きながらも、自分の存在の意味を問い続ける。
[大江健三郎という巨大な存在]
太宰治は芥川賞を懇願し、受賞するために様々な画策をしたことは有名である。
ところが、太宰は結局のところ受賞することができなかった。
それに対して、大江健三郎という小説家は、ほぼあらゆる主要文学賞を獲得。
そして日本で二人目となるノーベル文学賞も受賞した、いわば“賞ハンター”でもある。
一説によると、大江はフランス語に翻訳しやすくなるような日本語文体で小説を書いていた、と否定的に指摘されるほどだ。
ある意味で、大江は小説の普遍的な主題や哲学的テーマの模索や探究のみならず、“賞ハンター”としても野心的あるいは戦略的小説家だと言えるかもしれない。
それは、「死者の奢り」でも如実に現れる。
本作の文學界新人賞の受賞によって、大江健三郎は静かに張り詰めた文壇の空気を一瞬にして裂く鋭利な刃そのものとなった。
彼の筆致は戦後日本の混沌たる現実をも鋳直すかのようであった。
大江の文体は、戦後文学の既存の形式を逸脱し、むしろそれを呑み込むほどに野心的であった。彼の描く文章はまるで渦巻く暗雲の中に隠された稲光のように、哲学的観念と現実的写実を絡み合わせている。
それは一見、冷徹なまでに硬質であるが、内には灼けつくような生命の苦悶が潜んでいる。
戦後という時代の不安定さを背景に、大江は「個の存在の重み」と「社会の矛盾」という二律背反を、精密な筆運びによって描き切ることに成功したのである。
彼が登場した時代、文壇には既に確固たる地位を築いた巨星たちが君臨していた。
太宰治、川端康成、三島由紀夫――彼らは戦前の文学の系譜を受け継ぎながら、戦後の新しい表現の地平を切り開いていた。
だが、大江の登場はその系譜に直線的には繋がらず、むしろ文学の根幹を揺るがす地殻変動のごとき新鮮な衝撃であった。
特に、彼が戦後の知識人層から強く影響を受けたサルトルやカミュの実存主義を日本的文脈に落とし込んだ試みは、同時代の作家には見られない独特のものであり、彼の存在を唯一無二のものにしている。
「死者の奢り」や「飼育」に見られる死と生の狭間を往還するテーマは、大江の根底にある「生きるとは何か」という問いそのものである。
病院の死体安置所や動物たちの檻という極限的な舞台で、人間の本質に迫るその筆はあたかも読者の感覚をひとつひとつ鋭く刺し貫くかのようだ。
その中で描かれる主人公たちは決して英雄ではなく、戦後日本の不確かな空気に苛まれる弱き人間である。
だが、その弱さの中にこそ大江の文学的美学が宿る。
大江はまた、その独自性ゆえに文壇の中で孤立を余儀なくされることも多かった。
伝統的な日本文学の美意識とは異なる現実主義、さらには社会的な批評性が、保守的な批評家たちの不興を買ったのである。
しかし、この孤独こそが彼を一層孤高たらしめ、同時に彼の文学を鍛え上げた。
その名が日本文学史に刻まれるや否や、大江健三郎は若き巨星としての地位を確立した。
その文学的軌跡は、戦後日本の新しい光景を切り開き、やがてノーベル文学賞受賞へと至る。
だが、その原点であるデビュー当時の輝きこそ、彼の全ての創作に通じる「存在の闇と光」の根源であり、戦後文学の中で揺るぎない位置を占める所以である。
[読後の印象]
この作品の主題は、死者と生者の間に存在する境界の曖昧さにある。
死体安置所という舞台は、生の終焉がもたらす冷徹な現実を象徴しつつも、その背後には生者が死者をどう受け止めるべきかという哲学的問いが潜んでいる。
死体を扱う仕事を通じて、主人公は日常的に死と向き合わざるを得ない。
その結果、死は彼にとって次第に「非現実的な現実」として映り、生きること自体の虚しさが浮き彫りになる。
このようなテーマ設定は、大江が一貫して関心を寄せてきた「人間存在の根源的な不安」を端的に示している。
また、女性キャラクターとの関係は、主人公にとって死者の冷たさとは対照的な生の欲望を象徴する。
しかし、彼女との関係もまた生々しい肉体性と虚無感の狭間で描かれており、安定した愛情関係とは程遠い。
「彼女」は「私」に生きる実感を与える一方で、それが一時的でしかないことを暗示する。
このダイナミクスを通じて、大江は人間の欲望が持つ二重性、すなわち生を肯定しつつもそれに囚われることで生じる矛盾を描き出している。
「死者の奢り」はその鋭利な文体と独特な構成でも注目に値する。
簡潔でありながら感覚的な描写は、死者の冷たさや病院の異様な空気を生々しく伝える。
例えば、死体を運ぶ場面の描写には、労働の機械的な性質と死の存在感が混在しており、読む者に強い印象を与える。
また、物語が進むにつれて、主人公の視点は次第に不安定になり、読者も彼と共に不確実な世界に引き込まれる。
このような文体の選択は、主人公の内面世界をより効果的に表現するためのものだと考えられる。
「死者の奢り」は、大江健三郎の文学的才能を証明した出発点であり、戦後日本文学の新しい地平を切り開いた作品でもある。
戦争という大きな出来事を経験し、それをいかに個人の文脈で解釈するかという問いに対して、大江は直接的な答えを提示するのではなく、より内面的で哲学的なアプローチを取った。
これにより、戦後の混乱と再生の中で苦悩する人々の姿を、普遍的な人間の問題として浮かび上がらせた点がこの作品の意義である。
「死者の奢り」は、死と生の曖昧な境界を描くことで、人間の存在の本質に迫る野心的な作品である。
その哲学的深みと鋭敏な感覚描写は、読者に強烈な印象を残す。
初期作品でありながら、大江健三郎の文学世界の核が既に形作られていることがわかる一作であり、戦後日本文学において欠かせない重要な位置を占めている。
大江なき現代、世界は再び核という言葉が日常的に耳にするようになり、戦争という不穏な空気が日増に濃厚になりつつある。
その最中、2024年のノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が受賞した。
もしも大江が生きていたら、ウクライナ危機、ガザ問題、そして日本被団協の受賞を耳にしたら、何を書くだろう?