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【人生最期の食事を求めて】160余年続く京都伝統の味との対峙。
2023年4月13日(木)
「にしんそば松葉北店」(京都府京都市)
京都への道は険しい。
歩き続けても探り続けても、ひとりの観光客である以上、この街の本質に触れることはできない。
千年の都は絶えることなく和の情緒を守り、様々な天災や戦禍をくぐり抜け、日本の観光都市のメッカとして名高くなった近年でもコロナ禍を耐えて現在に至る。
“そうだ京都、行こう。”のJRキャンペーンのコピーによってその真髄はよりいっそう全国に知れ渡り、どこか心の拠り所のように人々が集結する。
それほどにこの街の魅力は奥深い。
人によって大いに異なるが、私にとっての京都は、哲学者西田幾多郎が辿った哲学の道こそ、“そうだ京都、行こう。”であった。
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朝、無人に等しい京都御所を抜け、昼前には下鴨神社に至る。
その目的は、敬愛する鴨長明が約800年前に建てたとされる、まさに移動式住居である方丈庵の見学だった。
だが、ちょうど移設中のためにその目的は脆くも崩れた。
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気を取り直して、哲学の道へ。
その途上、京都大学の広大なキャンパスや学生たちの離散集合に塗れた。
時刻はまさに正午だった。
朝からミネラルウォーターしか飲んでいない体と、4月にしては強い日差しのせいでバックパック越しの背中が俄に汗ばんでいくのを感じた。
ランチの店ならば学生たちに塗れさえすれば食することもできたであろう。
それでも尚、哲学の道は日差しや汗や空腹を跳ね除けて私をいざなう。
ようやくにして哲学の道の案内看板が見えた。
車道は突如として途絶え、流れの止まったかのような水路が出迎えた。
哲学の道は銀閣寺と南禅寺とを結ぶ。
その道程はおよそ2kmで、南下するほどに森閑とした山が迫り出し、冷厳とした空気が辺りを支配し始める。
それを打ち消すかのような強烈すぎる匂いが鼻を襲った。
それは、明らかにフランス語で語り合う集団が残していった香水の残り香に違いない。
しばしばインバウンド向けの飲食店やお土産店とすれ違うのも無理はない。
賑わう人々のほとんどが欧米系の外国人ばかりだった。
無論、西田幾多郎が毎朝歩いたとされる時代は戦前だけに、このような光景や鼻を突く強烈な香水に出くわすとは当の本人も想像の埒外であったであろう。
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哲学の道を抜けた頃には空腹と疲労が同時に襲いかかってきた。
また別の季節に訪れることを誓い、タクシーに乗り込んだ。
14時を過ぎていた。
四条大橋は、コロナ以前と変わらぬ、いやむしろまだコロナ禍といえる現在のほうが多いように思われるほど、西洋の観光客が埋め尽くている。
京都の代表のひとつに、にしんそばがある。
そば好きとしては京都において欠かせぬ逸品である。
にしんそばを求めてタクシーを降りたものの、あいにく「総本家にしんそば松葉本店」は休業していたが、向かい側にある「にしんそば松葉北店」が営業していることに安堵を覚えて入店した。
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右側のカウンターは外国人観光客が埋め尽くしていた。
女性スタッフのにこやかな案内によって左側の大きめなテーブルに案内された。
行き届いた清潔感と落ち着いた雰囲気が漂う店内は居心地が良い。
それに委ねるようにビールを欲した。
次いで「にしんそば」(1,650円)を求めた。
ビールが体内を駆け巡る。それは爽快で痛快な飲み心地をもたらし、疲れを帯びた体を如才なく受け入れた。
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時間も時間だけに来客は少ないが、カウンターを占領したままの外国人観光客が一向に食べ終わる気配がないどころか、次々と新たな料理が運ばれていて、ちょっとした宴会の体裁を成している。
「おまたせしました。」
女性スタッフがにこやかな声音を発しながら、お盆を持って訪れた。
ひとつひとつを吟味して削ぎ落とし辿り着いたような風貌のにしんそばは、まさしく京都の食材と技の粋の到達点と言って良い。
細く引き締まった麺の奥底に横たわり抱かれた鰊の甘辛い風味、それと相俟った出汁の研鑽。
この味を160年以上も伝統を守り抜き、誰にも真似できない粋まで達したこの店の秘技。
その味は伝統が物語るように奥深く、気高い。
そしてそれだけではない。
伝統を守るからこそ、伝統に甘んじることのない静かに秘めた革新の継続がある。
そば、鰊、出汁を体内に染み込ませるように反復しながらそう思った。
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店を出ると、快晴の空に君臨する太陽日は頂点を降りようとしていた。
にしんそばとビールの余韻を鴨川の畔に預けた。
『にしんそばは、人生最期の食事としてふさわしいだろうか?』
その内省に耳を傾けた。
緩やかに流れる川面が陽を反射してきらめていた。
そして、四条大橋を隈なく埋め尽くす人の往来を眺めた。
ふと空を見上げると、快晴の中に一筋の雲が哲学の道に繋がっているように見えた…
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