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【人生最期の食事を求めて】雨降る古都で味わう大仏うどんの妙味。

2024年11月16日(土)
奈良うどん ふく徳(奈良県奈良市高畑町)

JR奈良駅で万葉まほろば線に乗り換え、帯解駅に降り立った。
京都駅ほどではないにせよインバウンドの気配が色濃い奈良駅と比較すると、帯解駅の風情はひときわ異質である。
時代を遡ったかのような錯覚に陥る無人駅の佇まい。
古びた民家が雑然と建ち並び、人影はどこにも見当たらない。
その間を縫うように進むと、万葉集の一節に出てくるかのような田園風景が視界を満たした。

帯解駅
圓照寺入口
圓照寺

やがて高畑山道へと足を踏み入れる。
道をたどり続けると、竹林に覆われた小高い丘へと続く坂道が眼前に現れた。
それが圓照寺の入口である。

圓照寺――三島由紀夫が1970年、割腹を以て世を去る直前に遺した『豊饒の海』第4巻であり最後の作品となった『天人五衰』のラストシーンに登場する「月修寺」のモデルである。

私は三島由紀夫を好む者ではない。
とりわけ、晩年の政治思想には嫌悪を禁じ得ない。
だが、それと同時に全集を読破し、彼について語られた評論の数々に目を通し、いまだその死の謎が解けぬままに至っている身でもある。
その謎を解く手がかりが、この圓照寺に隠されているのではないか?
「天人五衰」を読了した直後からそう考え、いつか訪れたいと願っていた場所である。
しかし、圓照寺は拝観不可である。
それでもなお私は少しでもそのラストシーンに近づくため、坂を登り続けた。

竹林が尽きると杉木立が鬱蒼と空を覆い隠し、辺りは次第にほの暗くなる。
聞こえるのは、名も知らぬ鳥の声ばかりだ。

ついに門に辿り着いた。
空の片隅が紅葉の赤に染まり始めている。それだけである。
「天人五衰」の最後の一文が脳裏に蘇った。

“この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。”

三島が見たであろう景色、感じたであろう風、思索したであろう最期――それらに触れようと、私はしばらくその場に佇んだ。

東大寺正門
奈良公園
南大門金剛力士(仁王)像 阿形像
南大門金剛力士(仁王)像 吽形像

やがて坂道を下り、市営バスを待ち、奈良公園へと向かう。
晩秋の冷たい雨が公園の広大な敷地に静かに降り続いていた。
春日大社、東大寺、興福寺、どこに向かおうとも、外国人観光客が鹿と戯れる姿が絶え間なく目に映り続けた。

13時を過ぎた頃、私は圓照寺に訪れた達成感と、公園を歩き回った疲労、そして秋の雨に冷たさを覚え始めていた。
猿沢池を横切ると、紅葉色の暖簾が目を引いた。
中を窺うと、店主の威勢の良い声が耳に飛び込んでくる。
「今、準備しますからちょっと外でお待ちください」
やがて通された大きなテーブル席で、空腹のためにメニューを貪る私の目は「大仏うどん定食」に釘付けとなった。

奈良うどん ふく徳
大仏うどん定食

店内にはイタリア語や英語が飛び交っている。
京都に勝るとも劣らず、奈良もまた欧州の旅人に人気らしい。

そこへ、大仏うどん定食が運ばれてきた。
うどんの入った堂々たる丼を筆頭に、2つの小鉢と漬物とライスがトレイを受け尽くしていると思っていると、それを追いかけて揚げたての天ぷらが運ばれてきた。
とりもなおさず箸でうどんを持ち上げた。
箸からその存在感が伝わってくる。
大阪と同様、麺の柔らかい食感が押し寄せた。
癖のない出汁は頗る上品で食べやすい。
それもさることながら、薄口醤油で味付けされたその外貌、透明感のある淡い色合いは、おしなべて関西風味の範疇なのだろう。
それに対して、揚げたての天ぷらは薄味のうどんを引き立たせながらも、申し分のない食べ応えである。
さらに、小鉢の野菜は奈良の朴訥とした風情を醸し出してご飯を希求する。
気がつけば、私は出汁までをも飲み尽くし食べ終えた。
すべてが穏やかで優しく、どこか情趣が滲む。
それがこの食べ応えのある定食の結末だった。
飽きることなく食べ続けられるような錯覚の中で、私は会計を済ませた。

猿沢池の畔に立つコーヒーチェーンのテラス席に座り、雨粒が弾ける水面をしばらく見つめた。

“この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。”

私は「天人五衰」の最後の一文を再び反芻しながら、猿沢池の水面に三島の面影を探すのだった。……

猿沢池

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