時計は時を刻むのではない。あなたを刻むのだ。

あなたの部屋に時計はありますか?その時計は今何時を指しているでしょうか?

私の部屋には置き時計がありません。その代わり、腕時計を枕元に置いています。その針は、今が11時13分であることを教えてくれています。

さて、11時13分とは何でしょうか?

人間は一日を24で割って、さらにそれを60の分という単位で割っています。つまり、一日を24×60=1440の時刻に分けているのです。

この考えでいくと、11時13分とは何かという問いの答えとして、「一日のうちの673番目の時刻である」と言うことができます。

しかし、「今は一日を1440に分けたうち、673番目の時刻である」という事実は私達にとって何かを意味するでしょうか?

少なくとも、私は意味を見出すことができません。なぜならこれは、ただの数字の羅列だからです。

そうです。時刻とは、数字の羅列にすぎないのです。

しかし、私達はしばしば、この数字の羅列に自分の行動の基準を委ねます。

「もうそろそろ○時だし、ご飯食べる?」

「これから○時までは集中して勉強するぞ〜。」

こういったセリフがそれを証明しています。

ではどうして私達は数字の羅列でしかない時刻というものに価値を見出しているのでしょうか?

それはひとえに、そのように生きることが、社会での生きやすさに繋がっているからです。

時間に限った話ではありません。洋服の流行、最新のデバイス、新発売のお菓子、型にはまった結婚式。これらは全て、本質的には”そうである必要は無いもの”ばかりです。

人間は、このように、素朴な感覚からすれば何ら意味を持たない様々なものに対して社会的な意味づけをしながら(させられながら)暮らしているのです。

今年流行っている服装をしなくても決して死ぬことはありませんし、iPhoneは、6でも12でも、できることに大差はありません。

本当はどっちだって良いのです。

ただ、他の人と同じ数字で一日を分割しているほうが、生きやすいのです。新作のお菓子を一緒に食べて、「おいしい!」と言っているほうが生きやすいのです。

しかし、それはあくまでも絶対的な価値では無いということは覚えておかなくてはいけません。

なぜなら、そうしなければ、あなたの人生そのものが社会によって切り刻まれてしまうからです。

いざというときには、これらの価値など忘れ去って、あなたにとって本当に価値のあるものが何であるかを考えなければいけません。

時には、今が何時だというつまらない概念に惑わされずに、目の前のことにのめり込む瞬間を持たなければいけません。

あなた自身の体で時を刻む。そんな瞬間を持たなければいけません。

そうすることで、あなたはあなた自身になれるのです。その代償として、社会での生きやすさは減るかもしれません。しかし、あなたはあなたらしく生き始めることができるのです。

そして、それよりも素晴らしい生き方は存在しないのです。


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Takumiのessay
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