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沖縄野菜クラブ 8 夢見る畑じゃいられない

(今回の記事は、筆者が最近読んでいた小説に影響された結果、少々ヤヤコシイ表現になってしまっている部分がございますが、ご容赦ください。ちなみに、画像は破裂したゴーヤです。)

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活動は再開された。

前回の活動から一ヶ月半以上経過した本日、沖縄野菜クラブは再始動した。

その発足以来、日照りや大雨、そして一番の大事件だった部長のお母様の離島など、様々な困難に遭遇してきた私達。

そんな本クラブの目の前に、現在立ちはだかっている最大の敵は、言うまでもなくコロナウイルスである。

その猛威はのべつ幕なしに連日沖縄に襲いかかっており、LINEの沖縄タイムス公式アカウントから配信される記事には一時期、「◯日連続で最多更新」などという見出しが踊っていた。

全国の中でも突出した人口あたりの罹患者数は、必然、本県の医療従事者の心身の疲弊、及び、自由時間の減少を意味する。

本クラブのメンバーは、部長含めその多くが医療関係者であり、彼らが畑に来ることが難しくなるのも自明である。そのような状況下において、野菜クラブの活動を制限するというのはある種の不文律だったと言えよう。

そんなわけで、我々の作り上げた畑は7月中旬から8週間に渡る、予期せぬ”夏休み”を享受する運びとなったのだ。

本日、そんな夏休み満喫中の我らが畑に私達は足を踏み入れたわけだが、その時、筆者の中である思いが頭をもたげた。それは、夏休みという期間の過ごし方は人間も畑もあまり変わらないのではないかという思いだった。

人間にとっての夏休みとは、自由に羽を伸ばし、様々な体験をすることによって、将来一人前の人間として花を咲かせたり、実をつけたりするために、色んな芽を出し、育てる期間だと筆者は考えている。

また、始業式の数日前になると、自分が置かれていた「学生」という立場を思い出し、括弧つきの「本来の姿」に戻るべく机にかじりついて、宿題という名の、決まった答えを出す作業に身をやつすというのもお決まりのパターンである。

我らの畑も同じだった。

我々が姿を現さなくなったのを良いことに、この畑は自由奔放のやりたい放題をしていた。

作物は一部を残して蒸発し、畝は消え去り、雑草が繁茂。芽を出すのは良いことなのだが、どうも植えた覚えの無いものばかり。

「ここに道があったよな〜?」と首をかしげれば、浦島太郎の気持ちも少しは分かるというものだ。

十週間も畑に来ていなかった筆者にとってのこの変化は、例えるならば、一学期は清楚な黒髪少女だと思っていた子が、夏休み明けに会うと、金髪ピアスの厚化粧、おまけにミニスカ、ルーズソックス(懐古主義)という出で立ちになっていたようなものである。

しかし、もう一度言う。活動は再開された。

我々の夏休みに、いくらそれを後回しにしたとしても、最後には必ずやるはめになった夏休みの宿題があったように、我らが畑にも羽を伸ばしきったことのつけを払う時期がやってきた。

「本来の姿」に戻るときがやってきたのだ。

我々は草を抜いた。草を抜いて、草を抜いて、草を抜いた。

筆者など、抜く予定の無かった生姜まで抜いてしまったのだから、その頑張りは讃えられるべきものだと自負している。(立派に育っていました)

約二時間半、八名での作業。

肌にぴったりと密着して離れない太陽光線や、ちょっとした木かと思えるほどに厚く根を張って地面から離れないセンダングサとの格闘は、水分と塩分の大切さを我々に訴えかけた。

数回の休憩を経て作業を終了した時、改めて周囲を見回した我々の前に出現していた畑の全貌は、数ヶ月前の面影を宿すまでに回復していた。

これなら、かつてはここでネギが育っていたことも納得できる。


今回は本来、この除草作業のみを目的としていたわけだが、前述のように思わぬ生姜の収穫もあった。

あれだけの雑草とせめぎ合いながらも地面の栄養を獲得し、力強く育っていた生姜には心から感服する。

彼らにとって、この夏休みは飛躍の期間だったのだろう。

野菜クラブメンバーの中には、まだ学生の方々もいらっしゃる。かくいう筆者も学生である。

十月までの夏休み期間、必ずしも分かりやすく表面を変える必要は無い。しかしその根っこは、生姜のように力強く伸ばしたいと思う。


Before

野菜クラブ1

After

野菜クラブ2


最後までお読みいただき、ありがとうございました!