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神は”はんだ”の玉に宿る

はんだ付けが異様に上手い友人がいた。

中学には技術という教科があり、木工その他、人類が発明した工業技術の一端、かなり初歩的な、単純なものを実習を通して学ぶ。

その中に、ラジオ作りというものがあった。

これは、何もまったくのゼロから作り上げるということではなく、事前に本体の箱や基盤等は作られている工作キットのようなものを用いる。

それらのパーツをプラモデルのように組み立てればラジオができる。

その基盤の電子部品どうしを接続するために、はんだ付けという作業を行う。

金属(はんだ)を熱した棒(半田コテ)で少しずつ溶かし、基盤とケーブルをつなぎ合わせるのだ。

熱したコテにはんだを当てがうと、ジュッと少し煙が出て、面白いようにスルスルと溶ける。

鼻の奥にツンとした刺激が巡る。

はんだを溶かしながら基盤の接続部にたらす。

少しでも温度が下がるとすぐに固まってしまうため、すぐにケーブルの先端を、基盤の上で丸くなったはんだに差し込む。

基盤の接続部(金属製)の範囲に対してはんだの玉が大きすぎても不格好だし、少なすぎるとうまく接着できない。

一瞬で溶けていくはんだを適量だけ基盤に乗せるのは、それなりに高度な技術を必要とする。

「ここは玉が大きすぎるけど、まあいいか。次、次。」

そんなことを思いながら、とりあえず完成に向けて作業を進めていた私は、技術室特有の大きな木製の、タンスがいっぱいついたものものしい机のはす向かいに、いやに真剣な顔があるのを発見し、思わず手を止める。

そして、その手元。はんだの玉が並ぶ基盤に目をやる。

美しい。

私の基盤に並ぶ大小様々なはんだの玉を横目に、彼の基盤の玉は全てほぼ同じ大きさをしている。

基盤の接続部に対しても適量の範囲だ。

尚も黙々と作業を続ける左右の手。

「何なんだ。なんでこんなに上手くて、真剣なんだ。」

こいつは小学校の頃、30秒でできそうなペーパークラフトのシマウマを自由研究と言い張って提出したようなやつだぞ。

勉強だってろくにせず、成績も悪かったはず。

こんなところで、こんな、みんなが当たり前のように手を抜いているところで、これほど頑張るなんて。

理解はできなかった。

しかし、その態度は見習うべきものだと感じた。

先程よりも少し真剣に、はんだを握る。

いきなり上手く行くこともないが、はんだの乗り方は丁寧になった。

完成したラジオは無事作動。

もちろん、彼のラジオも同じく作動した。

卒業すると、彼は高等専門学校に行った。

その後、しばらく話していない。

風のうわさでは、元気に地元で働いているようだ。

みんなが通り過ぎる日常の一コマにあれだけ真剣に取り組んでいた彼。

その能力を活かし、真剣な顔で働いていてくれることを願う。

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Takumiのessay
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