「俺、ジブリ見ないんだよね。」をアイデンティティにするな! 上
私達は何かとアイデンティティというものを重要視する。「自分は今までこう生きてきた。だから、こういう人間である。」このように明確に言い切ることができると、外の世界に惑わされることが少なくなり生きやすくなる。
一般的にアイデンティティは確立されるべきものであると言われているし、近頃は自分探しの旅と銘打って、アイデンティティ確保に走る若者も多い。
しかし、何でもかんでも自分のアイデンティティとして位置づけてしまうことには危険が伴う。
私が危惧しているのは、「〜をしたことがない」ということをアイデンティティにしてしまうことである。「自分は今まで一度も〜をしたことがない。」これをアイデンティティにすることには慎重になるべきである。
その理由は、この「〜をしたことがない」という種類のアイデンティティには、可能性の喪失と、不用意なアイデンティティ喪失という危険があるからである。
例えば、筆者は今まで一度も中部地方に行ったことがない。これは確かに私の特徴の一つである。中部地方に行ったことがある人達に囲まれたときには、それは私の個性となる。
しかし、それを自分のアイデンティティにしてはいけない。
もし私が、中部地方に行ったことがないということを自分のアイデンティティだと思ってしまうと何が起こるだろうか。
まず私は、中部地方に絶対に行かないように心がけるはずである。行ってしまえばアイデンティティの喪失になるので、当然である。
しかしこれは非常にもったいないことである。中部地方には素晴らしい観光地が数多くある。これらの場所で楽しむ機会を自ら捨ててしまっている。
また、避けようとしたところで、避けきれるという保証も無い。
仕事の関係で岐阜に出張、なんてことは十分に起こりうる。こんなとき、岐阜駅にたどり着いた自分はどうなってしまうだろうか。今まで自分だと思っていたものが壊れてしまい、アイデンティティの喪失に苦しんでしまうのではないだろうか。
このように、「〜をしない」をアイデンティティにしてしまうことには危険が伴う。
よって私は、「〜をしない」ではなく、「〜をするとき、こういうやり方でする」をアイデンティティの拠り所にするべきであると考える。
つづく。