愛の免許合宿
「こんなに脱輪する人、初めてだよ。」そう言われた私の体はさらにこわばり、入校数日目にして、卒業までの道のりは完全に見えなくなった。
3年半ほど前の冬、私は普通自動車免許を取得した。一般的な取り方ではなく、教習所の寮に泊まり込み、約20日間で卒業する、いわゆる「免許合宿」だ。
短期間で取得できるという手軽さや費用の安さに惹かれた。また、遠方からの応募者には交通費が出るので、実家への帰省の費用を出してもらおうということで、実家のある県内の教習所を選んだ。
ところで、合宿免許に交通費が出るのは、そうでもして生徒を集めないと教習所が潰れ、周辺の住民が苦労するからである。よって、この施策を出している教習所は往々にして、いわゆる”ド田舎”にある。
私が行った教習所も例外ではない。実家と同じ県内とはいえ、最寄り駅から2時間半以上列車に揺られ、やっとついた海辺の町。そこで私は地獄の20日間を過ごした。
メリットだけを考えて合宿を選んでいた私は、20日で免許を取得するというのは決して楽な道のりではないということを、入校初日に思い知らされた。それは、授業の日程表を見れば一目瞭然だった。
学科試験の勉強と運転の練習が所狭しと並べられているのだ。午前に勉強があれば午後に練習があり、また、夕方にも勉強がある、と言った具合に、とにかく詰め込まれている。
私は別に運転がしたかったわけではない。今免許を取っておいたほうが後々便利だろうと思ったから取りに来たまでである。そんな消極的な私は、このスケジュールに精神的にやられてしまった。
さらに私は、運転が下手だった。というよりも、運転することが怖かった。自分よりも遥かに大きなものを、自分ではコントロールできない力で動かしてしまうことに大きなためらいがあった。
だから上達が遅かった。講師にどれだけ怒られても、運転技術は遅々として向上している気はしなかった。
しかしそれでも日々は過ぎていく。毎日新たなことに挑戦させられる。今日の練習をやっと終えたと思っても、明日にはそれ以上の試練が待ち受けている。
私の心は限界に来ていた。
外は寒空。草木は枯れ、なんとも淋しい景色である。寮の部屋からは教習所の練習用の道路と、それを囲む山の木々しか見えない。
有料で借りられる自転車で少しは閉塞感を紛らわせようと教習所を出てみたが、そこはど田舎。田んぼと川と、海しかない。道を歩くのは老人ばかり。完全に修行だった。
そんな生活の中で唯一私を助けていたのは音楽だった。授業の合間で海に行き、砂浜に腰を下ろして音楽を聞いた。自分のできなさを慰めた。
そんな日々を過ごしていたとき、少し妙な変化が起こった。ある日を堺に運転練習の教官が、Kという人に固定されたのだ。普通なら毎日違う人と当たるはずが、5日間ほど連続で彼になった。
私は彼が嫌いだった。10歳くらい年上のこの男の口調は乱暴で、必要以上にこちらを見下し、バカにするようなセリフを言ってくるのだ。
嫌な教官は当たらないように事務所に言うこともできたのだが、私はそうしなかった。なぜなら、それは彼に屈したことを認める行為だと思ったからだ。彼から逃げることになると思ったからだ。
私は彼よりも高いレベルで生きていると思っていた。私は彼にどんなひどい言葉をかけられようと、気にしない。そういう次元で生きているのではない、と信じていた。
私の気高さは彼が傷をつけられるような位置には無い。そう信じていた。
それでも嫌なことには変わりないので、5日も連続で彼と過ごしたことは大きなストレスになっていた。
そして翌日の6日目、私は彼の口から信じられない言葉を聞いた。
「ごめんね。」
何に対して言った言葉なのかは忘れてしまったが、何か小さなことについて彼は私に謝罪をしたのだ。以前の彼からは想像もできない態度である。
その日は彼の様子が全く違っていた。丁寧な言葉使いで、口調も優しい。教官の上から目線ではなく、友達に近いような語り口だった。
挙句の果てには、「君と俺は水と油だね。ぜんぜん違う。だけど知ってる?水と油でも、高温だとちょっとは混ざり合うんだよ。」というなんとも言えない話しまで繰り出された。
おそらく事の真相はこうだ。
Kは横柄な態度で全ての生徒に接していたため、私以外の全員から総スカンを食らっていた。つまり、5日間連続で一緒になったとき、それは、Kが私の担当になっていたのではなく、実質、私がKの担当になっていたのだ。
そして、そのことを上司に怒られた彼は、その現状に気づき、そんな中でも彼を拒絶しなかった私に大きな感謝と申し訳なさを感じ、態度が一変するに至ったのだ。
これに気がついた時、私は彼に完全に勝利したと感じた。
彼の未成熟な心を遥かに高い次元の行動で包み込んだのだ。彼は完全に私の味方になった。
ただ、これも、すぐに別れると分かっていたからできたことではある。一生付き合っていくとしたら、あのような態度を貫くことはできなかっただろう。
しかし、それでもここには大きな教訓がある。それは、誰かが気持ちを本当に入れ替えるとき、そのときに必要なのはその人が愛を感じることであるということだ。
私は彼に愛を向けてはいなかった。しかし、彼は私の態度、彼に全く反抗せず、ただ言われたい放題に言われ、なお、あくまで生徒としての姿勢を崩さなかったというその態度に、愛を感じたのではないかと思う。
そして、その気持ちは、たかだか1週間たらずの間に、革命的な変化を彼の言動にもたらしたのだ。
人は、愛を受けて、初めて、愛を与えることができる。
免許を取れれば良いと思っていた合宿で、愛の法則を持ち帰ることができるとは思っていなかった。
愛はどこにでも見いだせるものなのだろう。あなたが会ったその人が、愛を与える対象になりえる。愛を感じてもらう対象になりえるのだ。
結果的に私は、予定通りの日程で卒業することができた。
帰りの列車に揺られる私の心には、風船のように軽くなった気持ちと、土産話がいっぱいにつまっていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!