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沖縄野菜クラブ 16 飾りじゃないのよタープは
畑に着くと、雨が降っていた。
活動時間中にこれほどしっかりと降水があるのは野菜クラブ始まって以来のことかもしれない。
しとしとと表現するには少し大きすぎる雨粒が、畑とそれを映す私のメガネに当たる。
タープを立ててブルーシートを敷き、居場所件荷物置き場を確保する。ふと、屋根というものの価値を再考する。
日光を妨げ、雨を防ぎ、その下にいる人間に、談笑し、食事する機会を与えるもの。
今日は小さな女の子が参加してくれた。
会うのはもう何度目だろうか。
とても恥ずかしがり屋で、その声を聞いたことは殆どない。
今日も、お母さんに促されて挨拶をしたとき、とてもとても小さな声で話してくれた。
そこでお母さんが、もっと大きな声で言いなさいという意味で一言。
「口は話すために付いてるんでしょう〜?」
確かに、私達は口で話している。ふと、口というものの価値を再考する。
話し、食べ、呼吸する。
人間にとってとてつもなく重要であり、かつ全く違った機能を3つも担っていることに気がついた。
しかし、口とは何であろうか?
目であれば、水晶体や網膜といった物体がそこにある。
心臓も、筋肉の固まりでできている。
しかし、口とは、空洞のことである。
唇に周りを縁取られた空洞。
それが口の正体である。
と、するならば、人間は空洞によって人とコミュニケーションを図り、栄養を取り、酸素を吸入していることになる。
屋根というのも、その下に”屋根に縁取られた空洞を作り出すもの”と言えるかもしれない。
その空洞の中で、日光や雨にあたらず、人々と交流することができる。
空洞、すなわち、何も無いというところにしか存在し得ない価値があるのではないだろうか。
畑においてもそうかもしれない。
今、畑の3/4以上にはすでに作物が植わっている。
サンチュ、玉ねぎ、じゃがいも。
それに加えて、本日、人参とかぼちゃの種を撒いた。
しかしまだ、何も植わっていない土地が残っている。
ここに何を、どのくらい、どのように植えるのか。
それは未確定である。
言い換えればその場所には、無限の可能性と、想像の余地と、そこはかとないわくわく感が繁茂している。
これらの収穫は再来週に行われるようだ。
空洞を摘み、その価値を吟味するため、ぜひ参加したいと考えている。
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