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沖縄野菜クラブ 14 木枯しに抱かれてセンチメンタル・ジャーニーをしていたら、初期化された畑が人類史を教えてくれました。

沖縄に冬が来た。

先送りにできるものはなるべく先送りにしながら生きている私が、衣替えを完了してしまったことからも、これは確実なことである。

野菜クラブの畑にて毎週のように浴びていたあの陽光は、来年4月にここを去る私にはもう縁遠いものになってしまったようだ。

今日の曇り空が運んだ灰色にくすむ空気は、そんなセンチメンタリズムに拍車を掛けてくるようだった。

しかし、身体の動きを伴う活動というのは、いつのときにも、良くも悪くも、感傷を霧散させてしまうものである。

本日、私の前に用意されていたのは、沖縄野菜クラブ第二期のキックオフを飾る、畝つくり&植え付けの作業だった。

私のセンチメンタルジャーニーは、早々とその終焉を迎えることになる。

いざ鍬を持ち、畝つくりを始めると、それまではただ陰鬱な雰囲気を醸し出すだけだった低い気温と曇り空が、いかに屋外での作業を快適にするものなのかを実感した。

環境の如何は、自分がその中で行う活動と密接に関係しているようである。

寒い日を、ただ、「寒い寒い」と思うのではなく、「体を動かすのに適した日」だと捉える。世界を変えようとするのではなく、世界との関わり方を変えようとする。そういったことが重要なのだ。

そんな言葉が説得力を帯びるくらいに、今日という一日は、本来は大変なはずの作業を比較的楽にしていたように思う。

その証拠に、本日は私を含めて3名のみで作業を行ったのだが、畝13本を作り、その約2/3にはマルチングフィルムを被せ、さらにサンチュと玉ねぎの植え付けまで行うことができた。

もちろん、しっかり疲れはしたのだが…。

ちなみに、この畑は先日、部長のご家族の手によって、”初期化”が完了している。

今日私が足を踏み入れた時にはすでに、一部の作物を残して、畑は一面きれいさっぱりに耕し直され、その土は新たな作物のゆりかごとなる準備が整っていた。感謝である。

しかしこれは、第一期が始まった時とは少し状況が異なっている。

4月の活動開始時には、ただ雑草が生え放題の土地を耕しただけだったが、その後の敷き藁等の手入れよって、その土は以前よりも肥沃なものに変化しているのだ。

我々メンバーもそうである(ことを願う)。

半年以上活動を続けてきたことによって、なんとなくではあるが、どのような感じの作物が、どんなことに弱そう、あるいは強そうであるのかということが、おぼろげながらも分かってきた気がしないこともないように感じたり感じなかったりする日もあったりなかったりするのである。

太古の昔、まだ農業などという概念も無い時代に作物を栽培していた人々も、このような感覚をたよりに毎年改善を加えながら日々の糧を育てていたのだろうか。

前期の反省を活かし、今期からは作業内容を記録することに決めたという部長の言葉に、人類史の変遷を垣間見た一日であった。


と、いうことで。

沖縄野菜クラブ第二期、細々とスターット!!です。

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Takumiのessay
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