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人生は旅、旅は人生。「キューバ~理想の旅とは?」

「人生は旅」と言ったのは、我が敬愛する中田英寿先生であった。

そんな意味で、色んな旅をしてきた。

また、我が友人の言葉を借りれば「日常も仕事も旅」なのである。

そんな意味で、旅は出来るだけ「わからない」方が楽しい。
別名「リスク」とも呼ぶが。

そして、旅は「フリースタイル」を大切にしたい。

私が旅に求めるのは、雑誌やネットやTVで取り上げられた場所ではなく、「その場所に埋まった隠された宝を探しに行く」ことである。

嗅覚と皮膚感覚を頼りに街を歩き、怪しげな路地があれば首を突っ込む。
街の空気が変わり、その場所の「日常」が見え隠れし始めたら、それは近い。
そして、その場所に隠された「宝」を探し当てた時、その旅は勝利となる。

さて、キューバはハバナの街を歩き回った。

キューバと言えば、の「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」や「ヘミングウェイ」というキーワードの場所は半日で辟易した。

かの有名な「オールド・ハバナ」の中心地は、ヨーロッパからの白人観光客で溢れていた。

「これは私が探し求めていたキューバではない」

チェ・ゲバラの伝記小説を読んで天啓を受けて以来、長年あこがれ続けていたキューバの「宝」が見つからずに私は焦り始めていた。

8月のハバナの灼熱の太陽の下、そのままひたすら街を歩きつづけていると、観光客の姿も見かけなくなり、周りの建物もボロボロになり始めてきた。
この空気が変わるときの「匂い」が好きなのである。

すると、ハバナの下町のとある怪しげなボロ建物の前でふと足が止まり、
直観が「ココだ!」と指示を出した。

目の前の怪しげな扉を開けたら、そこは地元キューバ人100%の「人民酒場」であった。

そこでは昼間っから「人民ラム」を煽る暇な社会主義下のおっちゃんたちで溢れかえっており、そこに交じって一緒に「人民ラム」を煽った瞬間、私の旅は勝利した。

ついにこの街の「宝」を掘り当てたのだ。
もちろん、旅行雑誌にもネット旅行記事にも載っていないのは言うまでもない。

ハバナの人民酒場 その1

旅に勝利したら、
あとはマレコン通りで潮風に当たりながら、貧乏なキューバ人の若者がやることもなくたむろしながらスマートフォンで鳴らしているサルサを小さな音で聴いているだけでよい。

つまり、「勝利」の余韻に浸るのである。

夜のマレコン通り

そしてハバナの一日が終われば「カーサ・パティクラル(人民宿)」に戻って、翌朝は宿のキューバ人の老夫婦に朝の挨拶してから下町を歩き、
「人民カフェ」で極上のキューバ産砂糖で甘々のキューバンコーヒーとトースト頬張るだけでよい。

「勝利」の翌朝のキューバン・コーヒーの匂いは格別だ。

人民カフェ

旅と言えば、例えば昨今流行りの「デジタルなんちゃら」による「新手の旅ビジネス・モデル」の類に近寄る必要を私は全く感じない、
否、「そんな暇」はまったくないのが正直なところだ。

Wi-Fiはもとより、そもそものネット環境すらままならない、ハバナに、キューバにまた行く準備に忙しいのである。

例えば、ハバナの街にはWi-Fiなんて無いので、スマートフォンはただの小型カメラとなる。
あとは、紙の地図と直観に頼るのみである。

そんな旅においては、「著名なデザイナー」によって華美にデザインされた宿泊施設に近寄る暇も同様に全くなく、
キューバ人の大きな収入源でもある自宅民泊「カーサ・パティクラル」に泊まって、朝起きたらチェ・ゲバラのポストカードが貼られたダイニングの冷蔵庫にある冷えた水道水を飲むのだが、不味すぎてやっぱりミネラルウォーターを「人民ストア」で購入する、なんていう旅の方に忙しい。

カーサの冷蔵庫

街では1950年代のボロボロのアメ車が懐かしい匂いの排気ガスを出しながら走っている。

道は穴ぼこだらけ。

建物も1950年代のコンクリの建物が朽ち果てながらも「生きて」いる。

ニューハバナの街(新の方が古いのである)

うかつに次の「人民酒場」で呑んでいると隣のオッサンにに「奢れ!」とせびられるが、安っすい人民ラムでも奢ればご機嫌なのだ。

人民酒場 その2

またそんな旅の準備のために私は忙しいのである。

つづく、、、


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