追浜の地名の由来について調べるためのGoogleの使い方

どうも,海の研究をやっているJAXAみたいなところ(海洋研究開発機構,JAMSTEC)の方から来ました.JAMSTECではこの秋50周年を迎えるにあたって様々なイベント・広報活動を企画しています.詳細はJAMSTEC 50周年とかでググってください.
この記事は,少しでも正しい情報を効率よく調べるための,インターネットのググり方について紹介する記事です.生き馬の目を抜くインターネットの世界では誤った情報が共有されていることも少なくありません.みなさんなるべく高い情報リテラシーを持って生きていきたいですね.

JAMSTEC50周年ツイッターの投稿から

事の起こりはこちらのツイッター投稿からです(本件,修正されました).JAMSTECの50周年企画の一環として,JAMSTECをより多くの方に知ってもらおうとあることあること赤裸々に描いていくぶっちゃけ漫画,ジャムコミ.メインキャラクターが艦隊これくしょんの大井改二に似てるので僕は勝手にJAMSTECの大井っちと呼んでいます.
さて,JAMSTECは横須賀市夏島町に本部を構えるのですが,最寄りの駅は追浜と言います.読めますか? オッパマです.初見で読めるわけ無いと思います.僕も初めて見たときはオイハマって読みました.ちゃんと地名を知っている君は横浜DeNAベイスターズのファンだな!(2軍球場の横須賀スタジアムが駅から徒歩10分).このちょっと変わった地名の由来について,ジャムコミではこう紹介されています.

なんでも,源頼朝の嫡男 鎌倉幕府の第二代将軍 頼家が家臣に反乱を起こされ,追われたのが現在の追浜の海岸近くだったので,「源頼家が追われた浜」から「追い浜」となり「追浜」となったのが地名の由来だそうです.
※諸説あり

最後,※諸説ありできちんと断っているのはそれはそれとして,最初読んだときはへーとなったものなのですが,とある歴史好き同僚からこんな話を聞きました.

「アレ,頼家ってあるけど正しくは頼朝の異母弟の範頼の話だよ.ネットに間違ったこと書かれてるの見て描いてるんだと思う」

ということらしく,確かに軽く検索してみても頼家の名前よりも範頼の名前のほうがそれらしく検索結果に上がってきます.
インターネット上に間違った記事が一度上がると,それがいつの間にか定番化してしまうなんてことはよくあるのですが(有名なのだとビー玉はA玉B玉のB,とか,トトロのメイちゃんは実は死んでる,とか),JAMSTECが記念事業の一環としてそれに噛むのはマズくないですか.…? ということで,追浜の地名が頼家由来という話は実際のところどうなのか,かる~く検索して分かる範囲で検証してみました.

まずは曖昧さを排して検索してみよう

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というわけでまずは軽く検索してみました.まずは「頼家 追浜」とか入れていきましょう.さて,何が出てくるかな~と見ていくと,上の画像のような結果が出てくるわけです.

含まれない: 頼家

いや,含んで,どうぞ.似たようなテーマなら曖昧に検索してくれるのはGoogleのすごいところではあるのですが,こういう検証をするときは邪魔ですね.
というわけで,本日のテクニックその1.絶対に含んで欲しい検索単語は""で括ろう

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というわけで,まずは「"頼家" 追浜」と「"範頼" 追浜」で検索してみました.出てくる検索結果は一つの信憑性の指標になりますかね.
 ・"頼家" 追浜 →560件
 ・"範頼" 追浜 →674件
うーん.…誤差? ただ,1件目に出てくるのが頼家ではハウジング会社の宣伝記事だけど,範頼だと地名の由来を真面目に検証している記事っぽいのは気になりますね(そういう個人ブログの方が慎重に読む必要がある説もある).

意外と便利な期間指定Google検索

ここで記事の中身を精査しにいってもいいのですが,合計1000を超えるウェブサイトを見るのはちょっと骨が折れるので,数を絞るために「ごく最近の記事」を除外します.というのも,最近の記事だと

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すでに検証対象のこのツイートが引っかかってきちゃう.これは検証としてとても良くないので,とりあえず直近2~3年分ざっくり除外して検索してみます.
ここで本日のテクニックその2.検索単語にbefore:2018と入れるとその年までのウェブページしか結果に出てこない(日付まで指定したければ2018-01-01とする)

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というわけで検索してみました.
 ・"頼家" 追浜 before:2018 →40件
 ・"範頼" 追浜 before:2018 →148件
減ったなあw 特に頼家の方は10分の1以下.頼家と追浜を結びつけるウェブサイトの殆どがここ2~3年の間に作られていることがわかります.
ではその中に地名の由来について書いている記事がどのくらいあるかを見ていきましょう.

頼家と追浜の地名を結びつけているウェブサイト.…1件
京急の駅名について調べられている個人ウェブサイトに2016年に下記の記述があります.その情報源については特に記述なし.北条時政に追われたとあることから範頼の誤記ではなさそうです.

北条時政らに謀反を起こされた源頼家が追っ手に追われて逃げた浜ということから追い浜という地名が誕生
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~TKOB/keikyu1.pdf

では範頼説だとどうでしょうか.例えば神奈川県のタウンニュースでは金沢区制70周年の記念記事として源範頼伝説について,金沢区内にあるいくつかの史跡について紹介しながらこのような記述をしています.

範頼は修善寺から横須賀の浦郷辺りに逃げのびて、洞窟に隠れていたとする説が伝わっている。このとき追手に追われた浜が「追浜」で、その追手を土地の漁師が鉈で切って範頼を助けたところが「鉈切」だという
https://www.townnews.co.jp/0110/2017/06/22/386300.html

あるいは,古い記事をもう少し探してみるとこんな記事が出てきました.関西造船協会のらんに掲載されている丸山(1996)として追浜の造船に関する紹介記事です.

追浜の語源は,いくつかの説があるようだが,鎌倉時代に源範頼が兄頼朝の追討を受けて,鉈切岬から夏島にかけての浜を追われた(あるいは,追手を追い返した)ことに起因し,この近辺の浜を「おいはま」と呼ぶようになったと言われている.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ran/31/0/31_KJ00001929742/_article/-char/ja

これも歴史文献を引き合いに出しているわけではないのですが,記名記事として,この地域に広がる源範頼伝説と関連付けられた紹介はある程度信憑性があると言えるのではないでしょうか.

で,結局どうなん?

まず頼家と追浜を関連付けるウェブサイトはここ2~3年で急速に増えたものだという点は注意が必要です.
記事の古い・新しいが必ずしも真偽を決めるわけではないですが,ここ数年でのみ,特にコレといった歴史学の新発見等もないままに関連付けられ始めている源頼家説に関しては,信憑性が薄いと言わざるをえません.
一方,源範頼に関しては横浜市金沢区近辺に範頼由来の史跡があったり(範頼の墓があるへそ薬師こと大寧寺など),地域の伝説が存在していたりと,そもそも地域との関連性がありそうです.また,範頼伝説は追浜だけでなく鉈切の地名などとも関連付けられているので,単発の頼家の話よりも広がりのある話なのかなとも思います.

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戦犯こいつじゃね? って思ってるのは,Googleに「追浜 地名 由来」って入力すると,三協ハウジングの追浜紹介記事がピックアップされている件ですね.範頼は1193年から,頼家は1203年からいずれも伊豆の修禅寺に幽閉されているので,どこかでその記述がごっちゃにされたのではないかと思います.ただ,源頼家が修禅寺を脱出した系の話は軽く検索しても出てこないっぽいですね.範頼は幽閉以降の記録がないので色々伝説が生まれたのでしょう.

なお,諸説に関してはこちらのブログ記事がかなり詳細に検討されています.源範頼伝説に関しては,そもそも範頼が修禅寺を脱出した歴史記録がない(幽閉以降の記録がないから何でも言えちゃう),一方で17世紀以前に「追浜」の地名を記録した資料がないため,範頼が追われたことに由来を求めるのは無理があるとのことです.
ただ,一方でもともと乙浜とされていた地名が,17~18世紀ごろに範頼伝説と関連付けられて後付けで追浜の当て字になったのかもしれないとも考察されており,興味深いですね.

なんにしても記念事業でデマ拡散はちとマズい→修正されました

ちょっと調べたら非常にマイナーな説であったり明確な誤りである説を堂々と主張していくのは,NHKの某番組でよくやられていることですが,諸説ありますと言っていれば何を言っても良いということはないと思います.今回の追浜=頼家の伝承説に関しては,軽く検索しただけでも本地域に伝わる源範頼伝説がいつの間にか頼家と取り違えられて,ここ2~3年でなんとなく広がりつつある話だということが見えてきました.ボーっと生きてちゃダメですよ.
ちなみにWikipediaの源範頼の項目を見てみましょう.

神奈川県横須賀市にある追浜という地名の由来は鎌倉方から追われた範頼がここに上陸した為と言われておりその際に現地の者たちに匿ってもらった礼に自分の蒲の字を与え蒲谷と名乗らせたという言い伝えがある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%AF%84%E9%A0%BC#伝説

伝説に関する項目がありまして,こう書かれているんですね.「ソースはWikipedia」というのは平成後期の「バカにされる行為」の一つではありますが,Wikipediaってとりあえず広く情報を俯瞰するにはある程度便利なのですよ.まず軽く調べて,その後真偽・詳細を深堀りするという使い方をするのは全然アリだと思いますね.

本件,下記のように書いていましたが修正されました.
なんにしても,JAMSTECが50周年記念事業の広報として頼家説を推していくと,今後ジャムコミが追浜地名由来の強い根拠にされかねないです.2021年を追浜の地名由来に関する怪情報の転換点にしないためにも,もう一度情報を洗い直して,あの漫画を公開し続けていいのか検討してほしいと思います.ハッシュタグまでつけて自信満々に投稿していますが,一旦削除する勇気も必要ではないでしょうか

最後に,今回の件を調べていてこんなTwitterアカウントを見つけました.

源範頼botってどういうことなの.….範頼ってそんな有名&コンテンツ力ある武将なんですか.しかもこのbot10年以上前からあるんですよね.….

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