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因果関係

下記↓   のテーマを述べる前に

因果関係について少し語りたい

📂no+e  備忘録『因果関係』

原因と結果と言う考え方はこの世にいる限り逃れられない
科学はそのためにあるのかもしれないが、マスコミやらネット上のWeb記事では首をひねることが多い

昔から不思議に思うのは天気予報で気流(偏西風)の説明の時である
「ヨーロッパでこのように気流が乱れているため、その影響で日本列島上の気流がこのようになっているのです」etc

  いやいや、それおかしくないか?偏西風はグルグル地球を一周してるんだよ? 気流のスタートと起源はヨーロッパなのか?ヨーロッパから見たら日本列島(や太平洋)での気流の乱れが原因でヨーロッパの気流が乱れている訳で、何の説明にもなっていない。原因も発祥も不明だ(或いは、いろいろ原因があり過ぎて簡単には言えない)
言えることは、「原因も発祥も起源も不明でヨーロッパでも日本列島でも気流乱れまくり」ってなる
  こんなコトなら何も説明しない方がマシではないのか。
ただでさえ、バタフライ・エフェクトなんちゃらがあるっていうのに……

Web記事での健康情報も胡散臭い
一見筋が通ってるが体験者ならすぐおかしいと分かることが多すぎる。原因と結果の取り違えが多すぎる

・耳掻きを過剰にすると耳の炎症を起す
・ウォシュレットのやり過ぎは危険
・昼寝30分する人は夜眠れなくなる

まず一番目、耳掻きを過剰にしたから(原因)炎症起こしてる(結果)人もいるだろう。だが、多くの人は違う。耳の中が痒くて痒くてしょうがないため(原因)、やっちゃいけない、と知ってるのに過剰な耳掻き(結果)をやめられない。
  自分の体験から間違いなく言える
二番目も同じだ。肛門周りが痒くて痒くてたまらないので、やっちゃいけないのにやってしまう
三番目も同じだ。
夜眠れなくて仕事に行く。で昼休みで眠いので昼寝。ただでさえ普通の人も眠い。まして夜眠れなくてマジ睡眠不足な人は昼寝長過ぎてはいけない、と知ってても、つい眠すぎて長めに寝てしまう。長い昼寝が原因ではない(そういう人もいるだろうが)。原因と結果がまるっきり逆ではないのか?

自分は、三つとも体験した。
一番目は勝手に(原因不明)起こり勝手に治った。
(特に何もせず)
二番目は深刻ではないが、ずっと肛門周りが痒かった。
別に痔でも無いし、不潔にしてたわけでもなく、便秘でもないのに。気にならないときはなんでも無いが、基本毎日毎日、肛門周りが痒かった。良く覚えてないが、五年間位は苦しんでいたような気がする。コレはお昼のコンビニ弁当をやめて(←離婚してからずっとコンビニ弁当だった)
昼食を「サトウのゴハン」と納豆にしたら、ピタッ!と治った。しかも完璧に。今までは、一体全体何だったんだ?と思うくらい。
脱線するが、
コンビニ弁当はやはりヤバイ。単に肛門周りだけでなく、恐らくあちこちの内臓で炎症を起こしていたと思う。それを痒みと言う形で警告してくれてたのか…
三番目はやはり勝手に不眠は起こり勝手に治った

web記事なんていい加減なものと思うが、耳掻きをやり過ぎるのは良くないのは事実だから嘘は言っていない
二番目三番目も同様。

嘘は言っていないけど、記事としての正当性は個人的には認めたくない

医者の単なるコメントなのか論文なのか知らないが……
思うに、研究して論文を書いた人は、原因と結果についてはどちらが原因ともどちらが結果とも言いがたい事は承知していたはず(学者なんだから)。
しかし、痒すぎるから、耳掻きをし過ぎて更にまずい…では研究するまでもない。だから、そこらへんは気づかないふりをして論文を上げ、査読した人もそこいらへんは目をつぶって通してるのではないか?

昔話になるが、過去
自分は社会学部・社会心理学のゼミで、海外の論文を読まされたりしたが、実験にしろ、調査にしろ「え?こんなのでいいの?」ってものばかりだった(←ちょっと大げさか)
   「社会心理学なんて、学問じゃねーな」と、正直思った。大昔過ぎて総て忘れたので具体的な事は何一つ言えないが、一例を書くなら以下のような感じとなる

『統計処理した結果、長男・長女には〇〇の傾向が強く
二男三男には△△であると言う結果が出ました。
コレは長男・長女は最初の子供ゆえに躾が厳しいため。また二男以下は親の目が行き届きにくいので、かなり自由度があるため、と思われます』
で、〇〇や△△と言うのは世間的な常識で誰でも知っているレベルのこと。例えば、「慎重、真面目」「甘え上手、如才ない」みたいな……
  そんなことはわざわざ研究すること?常識レベルじゃない?  その手の論文が多過ぎた。

でもって自分の考えを述べさせてもらうと、常識レベルの結果でもまぁソレはいいとして、
  長男・長女の体験のどういう所が結果として「慎重、真面目」に結びつくのか……という具体的なフィールドワークが全くされていない。ソレが腹がたつのだ。「慎重、真面目」という『結果』より「慎重、真面目」に結びつく『原因』を調べることの方が100倍大切だと思うのだが。
 結果についてはデータ取り、統計処理するが、原因については、単純な憶測を論文の最後にサラッと述べるだけ。本当にそれだけなのだ。憶測に関してはなんの調査も統計処理もしていない。まさに「単なる感想」を論文の末尾に書いてあるだけ。どれもこれも、そんなのばっかし。
 客観性のかけらもない。ほぼ世間話レベル。
これが許される?

長男・長女という人生や生き方をフィールドワークできちんと分析しなくてどこが心理学なんだ、と不思議でしょうがなかった。
  とは、いえ学士論文(卒論)ならそんなフィールドワークなんてあまり現実的でないのも事実。つまり、審査(査読?)するのもガバガバなのを承知で通すものとしか考えられない。ほぼ、夏休みの自由研究レベル
   修士論文なら、また違うのかもしれないが……
個人的には心理学、社会心理学や社会学なんて学問でないとは言わないが、学問としてはとても褒められたものなどでなく、全体としてレベルの低いものと思っている。学問と言えないものが学問としてまかり通ってしまっているものがあまりに多いと思っている(総てがそうとは無論言わないが)

上野千鶴子とか大嫌い(←好きな人いるのか?)
香山リカとかさぁ~(←精神医なので心理学とは違うけど)
  東大のエライ人にどこの馬の骨ともつかない凡人がアレコレ言ってるのも滑稽か……

あと、アドラー心理学というのも、素晴らしい心理学・哲学だと思うが
世間的に流布されているものは、言ってる事はいいこと言ってると思うが、『アドラーの人生訓』であって心理学という言葉を個人的には使いたくない。
学問ではなく、人生哲学、人生論、人生訓として消費され過ぎていて、アドラー(やアドラー心理学)に対して失礼だと思う。
  人間の探求として味わい、理解、研究するものであって人生訓にするのは根本的に違うと思う。そうなってる現状は、ただの宗教に堕してしまっている
あまりにも人生訓としての面が強調されすぎていて、……
アドラーの人生訓で生きると自分で自分を追い詰めてバッドエンドしかないだろう。
アドラーの名言なんて持ち上げ過ぎ。
アドラー哲学で生きるのは少なくとも自分には無理

ただし、「嫌われる勇気」ってのはカッコいい言葉ではある。
しかし、冷静に考えればあまりにも中二病な言葉で、
オジサン、おばさんならフツーに嫌われる勇気を持っていて、改めて言葉にされると「なんだかな~」ってなる
乾いた笑いが出てくる
  アドラー心理学を『アドラーの人生訓』にするのはマジ勘弁。
現状は、学問を宗教化するものであって個人的には、やめていただきたいと強く思う。
とはいえ、もともとアドラー心理学自体に思想的なものが多すぎて、ある種、思想化、宗教化、疑似科学的なものがあり中二病的な人がハマる様な気がする、(←筆者の思い込み)
  何となくネットワークビジネス(例えばアム○ェイ)にはまる人がアドラー心理学にハマるのではないか?
(筆者が一番アドラー心理学をディスってるような)
以上です [了]

最後までお付き合いいただきありがとうございます

📁no+e 備忘録『因果関係』

今回は↓

について書くつもりで前振りを書き始めたのだが、前振りだけで力尽きました。今回はおしまいです。

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