親から受け継いでいくことについて
『猫を棄てる 父親について語るとき』村上春樹 読後感
お正月に自分の父親と義理の父親に会う機会があった。自分の父親は御年86歳。痩せ型、背も高くなく、無口。年を重ね、益々痩せて益々無口になった。高校卒業後公務員になり、定年まで勤めあげた。『真面目で実直』という言葉がピッタリ当てはまる。家族の集まりでも、常にニコニコ話を聞く係。一方、義理の父親は御年88歳。中肉中背よりややしっかりした体躯で、とにかく良く食べ良く喋る。元職業カメラマン。中国への渡航は50回を越え、『なるほど!ザ・ワールド』や『世界丸ごとハウマッチ』のコーディネーターとしても活躍、現在は4Kビデオでドキュメンタリーなどを撮っている。『明朗快活』という言葉がピッタリだ。見た目も性格も正反対の二人ではあるが、一つだけ(いや、性別とか、眼鏡をかけているとか、囲碁が好きとか言う属性を抜きにするとすれば)共通点がある。戦争を経験した、ということだ。二人とも東京に住んでいたが、空襲を逃れて片や千葉県香取郡神崎町へ、片や埼玉県比企郡小川町へと疎開した。
三が日の最後の日、村上春樹の『猫を棄てる 父親について語るとき』を読んだ。
村上春樹の父親は戦前生まれで、学生だったにも関わらず、事務手続きを忘れていて(村上春樹の父親談)、3回も兵役についたのだそうだ。
村上春樹が最後の方に書いてある一言が心に刺さった。『もし父が兵役解除されず…あるいは…もし…。もしそうなっていれば、僕という人間はこの地上には存在しなかったわけなのだから』。同じことを私も思ったことがあるのだ。
私も自分の父親や義理の父親に、戦争の話をきちんと聞いたことはない。聞くのが怖くて聞けないでいる、という方が正しいかもしれない。ただ、子供が小学生の時の夏休みの宿題で、『おじいちゃんおばあちゃんに戦争のことを聞く』というものがあった。それで、子供を通じて1度だけ聞いたことがある。父親の戦争体験を。おじいちゃんは東京に住んでいたんだけれども、空襲があって、大慌てで荷物をまとめて空襲の下を逃げて走ったんだよ、と。爆弾の降ってくる中を逃げ回って、これを逃げ切れたら生き延びられる、と思ったそうだ。運良く生き延びたおじいちゃんのお陰で私がいて子供たちがいる。子供たちはその時、この意味が、ありがたさが、分かっただろうか。その時、おじいちゃんが死んでいたら、自分はこの世に生まれてきていないんだということを。義理の父親も、米寿のお祝いの席で、疎開した話をしていた。やはり義理の父親も生き延びてくれたからこそ、旦那がいて子供たちがいる。
二人のおじいちゃんに、戦争体験を聞いておくのはとても大事なことかもしれない、と思う。村上春樹は(子は親から)『その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう?』『我々は…膨大な数の雨粒の、名もなき一滴にすぎない。…しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう』と書いていた。自分には、二人の経験を受け継ぐ義務があると思う。
私は韓国語の勉強をしているのだが、韓国では(他のアジアの国々と同じく)旧正月にお祝いをする。旧正月の朝一番には茶礼という、日本の法事のような祭祀を行う。そこで先祖へ想いを馳せ、自分との繋がりを再認識するのだそうだが、今年は私も家族のそんな繋がりを感じる正月になった。
本は薄く、文字は大きく、文体は軽く、穏やかな語り口でさらっと読めてしまったけれども、内容はどっしりと重く、考えさせられることが多かった。お正月に家族の絆、繋がりを考えた1冊だった。高妍さんの素敵な絵が、重いテーマを少し軽くしてくれた。
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