見出し画像

地獄の続き

こんにちは。先日、野球部の中学生から掃除を手伝ってもらって以来、なんだか涙腺がおかしくなっているでお馴染みの私です。

あの後、どうしても感謝を伝えたく、迷ったけど中学校に御礼の電話をした。
学校で働いていた時にたまにある、生徒への感謝の電話をまさか自分がかけるとは!と不思議な気持ちになった。
実際、私が働いていた教育困難校には感謝の電話ではなく校外での生徒の迷惑行為へのクレームがよくかかってきてた。はっきり言って、しらねえ。学校でもめちゃくちゃなんだから外でまともなわけないじゃん。しらねえ。警察に言ってくれと思っていた私。教育する立場にいる人間が言う言葉じゃない?分かってますよ。分かってます。そういう気持ちにしかなれなかったから辞めたんですよ。勘弁してください。


この前、かつて自分の指導力不足、人間力不足、やる気不足のせいで、真面目な生徒達にはめちゃくちゃ迷惑かけてたよなと情けない記憶が蘇り、不甲斐ない自分を恥じた。と同時にもうひとつ、思い出した記憶がある。


あの学校から異動する時、私は校長室で泣いた。もう少し詳しく言うと、異動希望を出して校長と面談した時、私は泣いた。全く授業にならないこと。私の力不足は十分分かっているが、つらすぎること。自分がこんなにも子どもが嫌いだと思ってなかったこと。休みの日も家に帰っても気が休まらないこと。睡眠薬がないとうまく眠れないこと。これからもこの仕事を続ける気力が湧かないこと。そんな話をして、年甲斐もなく泣いた。


異動になり、まさかのそれよりさらにつらい地獄が待っていて、そこでとうとう気持ちが折れて仕事に行けなくなった。あの時校長室で泣いていた自分が、異動先でさらなる地獄が待っていると知ったら絶望しただろう。人生甘くない。というかハードすぎる。働くこと自体に私が向いていないだけなのか、職業選択のミスなのか、私が人間的に未熟すぎて社会に適応できないだけなのか。真相は今でも分からないし、知るのがこわい。


まぁそこはいったん置いておいて。
私が異動した後のあの学校で起きたこと。
聞いた話だけど、まぁ事実。



私が異動した後、あの学校はさらに荒れ狂ったらしい。いじめや暴力、教員への暴力もあったらしい。私が泣いて異動して、次の生贄になったのは新卒の男性教員。彼が病み、休職したらしい。そしてその穴埋めをしたのが、校長。普通は校長は授業には出ない。出ないけど誰も代わりがいないんだから仕方ないということで校長が授業に出たらしい。校長って私が泣いたあの校長ね。


異動希望の面談で、校長が私に言ったこと。
辛いと思うけど、なんとか糸口はあるはず。
指導するしかない。そんな話だった気がする。


そして何度も何度も生徒指導上の問題が起き、退学処分が妥当だろうと現場の職員が説明しても、『教育の機会を奪うべきではない。彼らはまだ子ども。なんとか指導を』と言い、学校に残し続けたのもこの校長。


さぁ、この校長、どうなったと思います?
自分が実際に授業する立場になって、荒れ狂っためちゃくちゃな生徒を相手にする立場になって、どうなったでしょうか?






正解は、
メンタル病んで早期退職!
(本当は後一年で定年退職だったのを前倒し)








ザマァ!!!!!!!!!!!!




綺麗事は実際に自分がやってみてから言えよ。
ふざけんなクソじじいが。



と思ったのはここだけの話。
だから私は小木ママが嫌い。以上。

いいなと思ったら応援しよう!