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女性の悩みを具現化した映画『ずっと独身でいるつもり?』

『ずっと独身でいるつもり?』

大学の四年頃に鑑賞し、頭に残っていた作品。

Amazonプライムを久々に開くと、プライム独占配信作品としてオススメ欄に鎮座していた。

約二年振りに再び鑑賞してみた。

この作品は主に「結婚」「孤独」「幸せ」をテーマにした映画である。

四人の女性が登場するのだが、生き方はバラバラ。
各々、現状を受け入れ、そして見つめ直し、歩む道を定めていく。

男性が観た場合、「そんなに男が悪いのか?」と追求したくなる内容かもしれない。四人の女性たちと関わる男性たちは、女性が望むものを与えてくれる男性たちばかりだからだ。

結婚しようとプロポーズをしてくれた年下の彼氏、
結婚後も安定した収入で養ってくれる夫、
付き合っていた頃まめに連絡をしてくれていた元彼、
体の関係なしのパパ活やギャラ飲みに文句も言わずお金を支払う男性たち

女性は求めるものが多すぎやしないか?と思うのも無理はない。私でもそう思う(苦笑)

あくまでも、「女性は、物事をこのような角度でみて、こう判断してしまう生き物なんだなぁ」と参考程度に観ていただくのがベストであろう。

それを踏まえて、私自身、この作品をどう捉えたか書いていきたい。

ひと言でいうと、
女性の悩みをギュッとまとめてくれている、共感性の高い作品
それは二度観てもやはり感じた。

ざっくりと登場人物の置かれた状況を説明しよう。

本田まみ(田中みな実)

プロポーズをしてくれた年下彼氏と一緒になれば、「孤独」や「周りの目」から逃れられると思うようになった。そんな彼に寄り添いたいと思うが、親の言葉次第で二転三転する姿や、子どもが欲しいと口では言うが真剣には捉えていないところ、趣味にお金をかけすぎるところや気まぐれなところ、その全てに違和感を感じていた。それでも、反論せず全てを受け入れていた。
そんな姿が、まみの母親には、夫の言いなりになっている自分と重なって見えたようで、結婚はそんなに良いものじゃないと告げられる。


佐藤由紀乃(市川実和子)

本田まみが10年前に発表した書籍「都会というサバンナで、ひとりで咲く花になろう」の内容に感銘を受けたファンのひとり。一人で生きていく覚悟を持った本田まみの真の強さを、長年崇拝していた。
時が経ち、価値観が変わった本田まみは「ずっと一人で生きていくのもしんどい」と翻意した。耐え難い衝撃が怒りに変わり、「本田まみ、空っぽになったな」「いちばん寂しい女ってひとりぼっちのことじゃなくて【ひとり】に耐えられなくて誰とでもすぐくっついちゃう女だよね、つまりそれって本田まみ、みたいな女のこと」と中傷コメントを書き込む。いいねやリツイートが増えていくと、気分が高揚し、自身の発言に自信を持ち始める。 

高橋彩佳(徳永えり)

結婚すれば自ずと幸せになれると信じ、人生を夫に委ねた。その後、専業主婦となり、子どもにも恵まれた。趣味でやっているInstagramにて、流行りの#丁寧な暮らしを具体化した投稿が評価され、何万人ものフォロワーを抱えていた。傍から見れば、順調に人生を歩んでいるかのように見える。
だが実際は、家事、子育ての全てを一人で任されており、夫は「俺じゃ無理みたい」とパスしてくるような、非協力的な人だった。そんな夫の姿を見て、虚しさを感じていた。

鈴木美穂(松村沙友理)

鈴木美穂は、前記した三人とは少し変わった生き方をしていた。「パパ活」という市場で、楽しく楽にお金が手に入ることの味を占めていた。だが、月日が経つにつれ、順調に歩いていた道が脆く険しくなっていく。美穂は、若さに抗えない現実に憔悴していった。

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(※完全な)主観的な見解

〜本田まみに向けて〜
パートナーに求めることは人それぞれだ。
結婚という繋がりさえあれば、何も要らないと言う人もいるだろう。
本田まみも、自分が感じた違和感を振り払って、結婚に希望を託そうとしていた。
それでも、どんどん大きくなる違和感。最後は、その違和感をすくい上げ、立ち上がった。
そうすることが正義だと主張するような、そんな作品でないことは、もちろん理解している。
昔より自分を貫きやすくなったことは事実だろう。
だが結局は、選択が正しかった間違っていた、なんてことは、死ぬまで、もしくは死んでも分からない。
私たちに課せられたことは、ただ覚悟を持って生き抜くこと…なのだろうか。

〜佐藤由紀乃に向けて〜
誹謗中傷は絶対によくないが、孤独が浮き彫りとなった事実に耐えられず、それが怒りとして出てしまうのは人間の心理上、ごく自然な現象である。「死」に対峙したときの人間の心理を述べたものがある。

▼キューブラー・ロス,E.による死を迎える患者の心理的感情
第1段階:否認 
「何かの間違いだ」「信じられない」といった反応を示し、病を現実のものと受け止めることができない段階
第2段階:怒り
「自分だけがこんな目に遭うなんて」といった怒りが込み上げてくる段階
第3段階:引き取り
「病気を治してくれたら、二度と悪いことはしない」などと、神や人と何らかの取り引きをしようとする段階
第4段階:抑うつ
「もうダメだ」「生きていても仕方がない」と抑うつ状態になる段階
第5段階:受容
自分のおかれた状況を理解し、それを受け入れることができる段階

成人看護学概論 第2版のテキストより

このように、怒りが訪れる段階はかなり早いのだ。
だが、怒りに身を任せて相手を傷つけてしまっては、自分の中で完結できていた出来事が拗れ、周りを巻き込むことになりかねない。
強い怒りを感じたとしても、悪口として公表しないことが第一。直接伝えるにせよ、自分の中で整理がついた段階で話すべきだ。結果的に誰も傷つくことはなくなると信じている。

〜高橋彩佳に向けて〜 
周りから幸せに見えている人ほど、孤独を抱えているもの。深くて暗くて逃げ出せない鳥籠の中に一人取り残されたような、そんな心情でいるかもしれない。一人で居るときの孤独より、二人で居るときの孤独は、抜け出せなくなった沼にジリジリと沈んでいく感覚に近く、言い難い苦しみがまとわりつく。
男と女、似ているようで似ていないことをお互いに理解して、敬うことができれば、いつかは沼から抜け出すことができるのだろうか。

〜鈴木美穂に向けて〜 
美穂を見ていると、女性の賞味期限なるものを嫌という程に思い知らされる。男性が魅力に感じる「若さ」がなくなれば、簡単に他の若い女性に乗り換えられる。自分の評価が、外見や容姿に限定される世界で生き残っていくのは、至難の業だろう。
だが、男性を責めるのはお門違いだとも思う。
医学的に、女性が妊娠・分娩する際の最適な年齢は20代だと言う。30代後半頃から生殖機能は衰えていく。男性が本来持っている「確実に子孫を残す」という本能を考慮すると、若さを求めることは自然の摂理なのだろう。
しかし、性犯罪は断じて容認できない。
まるで玩具のように女性の体を弄び、挙句の果てに殺してしまう。そんな事件を引き起こす人は、この世に存在して欲しくないとまで思っている。
人間は「相手の弱みに漬け込むことなく、当たり前のように人を敬うことができる、特殊な生き物」であってほしいと、自分にも言い聞かせるように願っている。

最後に
どう選択するも自由だからこそ、自分の感情に戸惑い、迷う。
生きやすさを追求すれば楽になれるかもしれないが、結局はどんな道を選んでも孤独からは逃れられない。
それを理解した上で、今手にしているものを手放すのも自由、持ち続けるも自由。 
だが、理想に恋焦がれて待ち続けるのは違う。違和感を解放させたければ、覚悟を持って自ら行動すべき。
それでも一緒に居てくれる人がいれば、心から愛し、大切にしていくことで、人は寛容さが身につくのだろう。
そのように思えた作品だった。
きっとまた見返したくなるときがくるだろう。





 



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