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街歩き #025 | 東京都港区の旅

東京都港区


 こんにちは。本日ご紹介する街は2022年12月11日に訪問した「東京都港区」です。

 高輪大木戸は江戸府内への入口でした。イギリス公使館が置かれていたために攘夷派襲撃事件の舞台となった東禅寺。高野山真言宗の東京別院も近くにあります。白金にある港区郷土資料館は旧公衆衛生院の建物を活用した施設。浄土宗大本山の増上寺は寛永寺と並ぶ徳川将軍家の菩提寺です。京都にある真言宗智山派総本山の智積院の名宝を展示した特別展がサントリー美術館で開催されていました。

 今回は「東京都港区」を歩きます。

東禅寺(臨済宗妙心寺派)

東禅寺・本堂

 国史跡。1610年嶺南禅師開山・伊東祐慶開基。伊東祐慶は日向飫肥藩主で寺号はその法名から。36年赤坂から高輪に移転。1859年イギリス公使館設置。61年と62年の2度にわたる攘夷派襲撃事件(東禅寺事件)の舞台となったことで知られるお寺です。

東禅寺・山門

 東禅寺は開基の日向飫肥藩主伊東家をはじめとする仙台藩主伊達家・岡山藩主池田家など多くの大名家の江戸菩提寺でした。

 1859年に初代英国公使のオールコックが来日すると東禅寺はその宿所として提供され、65年まで英国公使館として使用されました。

東禅寺・旧跡碑

 1861年に尊王攘夷派の水戸藩浪士による襲撃事件、62年には松本藩士による襲撃事件が発生(東禅寺事件)。事件後の交渉で品川御殿山に新たに建設されることになった英国公使館も63年の高杉晋作・久坂玄瑞らによる焼き討ちにより建築中に全焼(英国公使館焼き討ち事件)。オールコックは政情不安な江戸から横浜に公使館を移すことにしました。

東禅寺・史跡案内板

 幕末の攘夷の風潮の中、外国人を居住させたことや殺傷事件が発生したことから"穢れた寺"という風評が立ったことで、離檀する大名家も発生。経済的な裏付けを失ったことで伽藍の修復も叶わなかった時期があったそうです。

東禅寺・本堂

 本堂に掲げられている扁額”海上禅林”。かつては東禅寺の前には東京湾が広がっていました。かつての海岸線は現在の第一国道近辺で鉄道開通前の田町〜品川間は海の中でした。

東禅寺・本堂扁額
特別展 人物で見る日本の鉄道開業・高輪築堤の位置と歴史パネル

 境内の池泉回遊式庭園は完全非公開。蘭学者・大槻玄沢の墓所も関係者以外は参拝できません。境内の本堂・三重塔・鐘楼は拝観することができます。

東禅寺・三重塔
東禅寺・鐘楼

高野山東京別院(高野山真言宗)

高野山東京別院・本堂

 1673年高野山江戸在番所高野寺として創建。1947年高野山東京別院と改称。高野山真言宗総本山金剛峯寺の東京別院です。高輪は元々"高縄"で江戸入口の結界の役割を持つ場所。縄で縁を結ぶ縁結びのお寺として通称"高輪結び大師"と呼ばれています。

高野山東京別院・本堂
高野山東京別院・不動堂

 外観からは一切伺い知ることはできませんが、こちらのお寺の地下には東京電力の高輪変電所があります。お寺と変電所の組み合わせもなかなか珍しいですね。

高野山東京別院・山門
高野山東京別院・弘法大師像
高野山東京別院・御朱印

港区立郷土資料館・旧公衆衛生院

港区立郷土資料館・旧公衆衛生院

 旧公衆衛生院は1938年竣工。2007年まで調査研究機関として利用。18年から港区立郷土歴史館などの複合施設"ゆかしの社"として活用されています。ゴシック建築様式の建物が上手く郷土資料館として活用されています。講堂も見学できます。

港区立郷土資料館・旧公衆衛生院

 設計は内田祥三。元東京帝国大学総長も務めた建築家で安田講堂など東大の多くの建造物も手掛けました。

港区立郷土資料館・旧公衆衛生院

 4階にある旧講堂。備え付けの340席を有する階段状の講堂で、椅子のクッションと天井板以外は建設当初の部材がそのまま残されています。

旧公衆衛生院・旧講堂

 レトロな雰囲気の旧講堂。2002年に国立保健医療科学院として統廃合され、埼玉県和光市に移転するまで使用されていたためか、保存状態もかなり良好です。

旧公衆衛生院・旧講堂
旧公衆衛生院・パネル

 3階にある旧院長室。当時高級材だったベニヤ板がふんだんに使用されています。床は寄木細工ですね。天井の梁も特徴的な作りです。

旧公衆衛生院・旧院長室

 1階から2階にかけて吹き抜けになっている中央ホール。円形の吹き抜けと石材が使用されたデザインがなかなか美しいですね。

旧公衆衛生院・中央ホール
旧公衆衛生院・中央ホール

 <人物で見る日本の鉄道開業>

港区立郷土歴史館 特別展・人物で見る日本の鉄道開業

 2022年10月14日から12月18日まで開催されていた特別展。2022年は鉄道開業150年ということで各所でイベント・展示会が開催されていましたが、こちらの特別展もなかなか工夫の凝らされた展示でした。

特別展 人物で見る日本の鉄道開業・機関車パネル

 高輪ゲートウェイ駅近辺で発掘された高輪築堤跡に関する展示が興味深い。

 1869年に新橋〜横浜間に鉄道を建設することが決定。鉄道敷設にあたっては反対論者もいました。費用を軍備に振り向けるべきとしていた兵部省は建設決定にも関わらず、高縄周辺の土地測量を拒否。このため、本芝から高輪海岸を経て品川停車場に至るまでの約2.7kmは海上に築堤を建造し、路線とすることになりました。

特別展 人物で見る日本の鉄道開業・鉄道建設と高輪築堤パネル

 かつての高輪周辺の地図。海沿いを通る東海道。海岸線から少し離れた海上に堤を築き、路線を通したことがよくわかります。現在の田町~品川駅は海の中。泉岳寺は海岸線のお寺でした。

特別展 人物で見る日本の鉄道開業・高輪築堤の位置と歴史パネル

 鉄道開通前の高輪近くの模型を見ると、東海道が海沿いの街道だったことがよくわかります。現在、山手線・京浜東北線・東海道線などが走っている場所と第一京浜(旧東海道)の間が堤のあった場所です。大正時代に堤と東海道の間の海は埋め立てられ、近年まで品川車両基地が置かれていました。2020年に高輪ゲートウェイ駅開業に伴う再開発により、埋め立てられた高輪築堤が発掘されました。

特別展 人物で見る日本の鉄道開業・東海道とかつての海岸線模型

 高輪築堤跡から出土した牛乳瓶と汽車土瓶。最近、駅のミルクスタンドは見なくなりましたが、かつては駅で販売される飲料の定番が牛乳でした。汽車土瓶は駅弁とともに売られていた湯飲みですね。列車の車窓から海にポイ捨てされたものなんでしょうが、とても興味深い展示です。

特別展 人物で見る日本の鉄道開業・高輪築堤跡から出土した牛乳瓶と汽車土瓶

 鉄道が描かれた錦絵も多く展示。どの絵も背景に海が見えますね。

特別展 人物で見る日本の鉄道開業・錦絵
特別展 人物で見る日本の鉄道開業・錦絵
特別展 人物で見る日本の鉄道開業・錦絵

増上寺(浄土宗)

増上寺・本堂

 1393年酉誉聖聰上人開山。徳川家菩提寺。1598年現在地・芝へ移転。1616年家康葬儀は増上寺で行われました。関東十八壇林の筆頭として発展。1945年東京大空襲で三解脱門など一部を残し堂宇を焼失。御本尊の黒本尊は家康の念持仏でした。

増上寺・寺号標

 今回は御成門駅から増上寺へ向かいます。御成門は増上寺の裏門。徳川家菩提寺である増上寺に将軍が参拝する際に専ら使用される門だったことから”御成門”と呼ばれるようになりました。

御成門駅

 御成門駅を出てすぐの場所にある国重文・有章院霊廟二天門。有章院霊廟は1717年に8代吉宗が建立した7代将軍家継の霊廟でした。その華やかさは日光に劣らぬとも言われるほどでしたが、1945年の東京大空襲で焼失。二天門だけが焼失を免れました。

有章院霊廟二天門

 国重文の三解脱門。東京大空襲で多くを焼失した増上寺にあって、この三解脱門は焼失を免れました。1611年徳川幕府の助成により建立。21年強風で倒壊した後、22年に再建。非公開ですが2階部分には釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。

増上寺・三解脱門

 東京タワーが背後に見える増上寺本堂。さらにその背後には麻布台ヒルズ森JPタワーが見えてますね。2023年6月竣工の超高層ビルであべのハルカスを抜いて高さ日本一のビルとなります。

増上寺・本堂

 今回は増上寺宝物展示室も観賞。展示の中心は台徳院殿霊廟模型。増上寺境内に造営されていた2代秀忠の御霊屋の10分の1スケールの模型です。他には、狩野一信筆の五百羅漢図が展示されています。

増上寺・宝物展示室

 本堂裏手にある貞恭庵は14代家茂の正室・皇女和宮ゆかりの茶室です。1980年に移築・改修されました。

増上寺・貞恭庵

 増上寺と芝公園の間に残る国重文・台徳院霊廟惣門。2代秀忠とお江の方の霊廟がありましたが、東京大空襲で焼失し、惣門のみが残されています。

台徳院霊廟惣門

 増上寺の大門。当地の地名も芝大門ですね。

増上寺・大門
増上寺・御朱印

サントリー美術館

サントリー美術館

 1961年丸の内パレスビルで開館。75年赤坂サントリービルへ移転。2007年六本木の東京ミッドタウンに再移転。主な収蔵品は日本の古美術の美術館。2023年1月22日まで"京都・智積院の名宝"展が開催されていました。ショップにて智積院の御朱印を頂きました。

御朱印・智積院

 <京都・智積院の名宝>

京都・智積院の名宝・パンフレット

 京都・東山にある真言宗智山派総本山の智積院。収蔵庫改修中だからこそ実現した東京での寺宝一挙公開。音声ガイドは"鎌倉殿の13人"での大江広元役の栗原英雄さん。

 見所の第一は長谷川等伯の国宝・松に秋草図。智積院障壁画は1591年に早世した鶴丸の菩提を弔うために、京都東山に創建した祥雲禅寺を飾っていた作品群です。大阪夏の陣の後に、徳川家康の計らいで智積院が管理することになりました。

京都・智積院の名宝 松に秋草図(長谷川等伯)

 国重文の瀑布図は専成僧正が寄付したもので、中国・南宋時代の名品。墨の濃淡で滝水や波濤の表情を描き分ける巧みな画技は必見。

京都・智積院の名宝 瀑布図

 国重文の童子経曼荼羅図。中央に描かれているのが鬼神から童子を守っている乾闥婆神王。右手に十五鬼の首をさした三叉戟を持って座っています。その周囲に描かれているのが裸の童子と十五鬼神です。

京都・智積院の名宝 童子経曼荼羅図

 堂本印象の婦女喫茶図は智積院宸殿の襖絵。女性が庭のテーブルで野点をしている襖絵というのもなかなか珍しいですね。1958年の作品。

京都・智積院の名宝 婦女喫茶図(堂本印象)

小さな旅の終わりに

増上寺・三解脱門

 2020年開業の高輪ゲートウェイ駅。駅名決定にあたっては公募を実施。公募の1位は高輪駅、2位が芝浦駅、3位が芝浜駅だったにも関わらず、発表された駅名は高輪ゲートウェイ駅で”公募の意味があるのか”との批判が集まりました。”高輪大木戸(Gateway)”がその由来と説明されてましたが、だったら高輪大木戸駅にして欲しかったなと思いました。

高輪ゲートウェイ駅

 港区立郷土資料館として活用されている旧公衆衛生院。講堂も現役のままの姿で保存されています。

旧衛生講習院・講堂

 明治の錦絵に描かれた鉄道開業の様子。手前が東海道で馬車が行き交っています。堤に敷かれた路線の上を走る蒸気機関車。海上を走っている様子が描かれていますね。赤の色彩が多いのが印象的です。

特別展 人物で見る日本の鉄道開業・錦絵

 浄土宗大本山・増上寺は1945年の東京大空襲で伽藍の多くを焼失。今の東京プリンスホテルや芝公園の敷地は徳川将軍家の霊廟があった場所でした。2代将軍秀忠の霊廟が台徳院霊廟。戦災による焼失がなければ、秀忠とお江の方が眠る霊廟がこの惣門の奥に広がっていました。

台徳院霊廟惣門

 智積院は真言宗智山派の総本山。成田山新勝寺・川崎大師平間寺・高尾山薬王寺の三大本山をはじめ、全国に末寺を持つ寺院です。サントリー美術館の"京都・智積院の名宝"展。長谷川等伯・久蔵が描いた国宝障壁画群を初めて寺外で同時公開という貴重な機会。満足度の高い展覧会でした。

サントリー美術館・特別展 京都・智積院の名宝

 Tate McRaeの新曲”Greedy"。前から注目しているシンガーですが、今回の曲はなかなか良い仕上がり。サビの部分のメロディラインが印象的です。

 "I would want myself(結局私は自分が一番大事なタイプ)Baby, please believe me(信じて欲しいんだけどね)I'll put you through hell Just to know me, yeah, yeah(もしかしたら私に近づくだけで地獄のような目に合わせてしまうかもしれないな)”

 私は自分勝手だからなかなか私と仲良くなるのは大変よって曲ですね。歌もダンスもいけるTate McRae。MVのダンスにも注目です。

 Billboard Music Awardでのパフォーマンスも良かった。

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