湘南電車75年(1)
●電車列車事始め
電車が10両以上の長大編成で走ったのは、日本では1950年の国鉄80系を以って嚆矢とします。
もしかしたら、世界初だったかも知れません。
電車の足回りに、客車の車体を載せた80系は、新幹線実現という国鉄のambitionを秘めた、初めての「電車列車」として、連合軍占領下の1950年に誕生しました。
当初は、東京・沼津間などに投入されたことから「湘南電車」の名で知られました。
技術的には、戦前に確立していた電車と客車の構造を組み合わせた、なんら無理のないはずの構成でした。
しかし、戦後の混乱期・復興期に、初めて設計・製造したせいか、初期故障が相次いで、マスコミには「遭難電車」と叩かれました。
最初の事故は何だったのかを調べたら、就役の前月、50年2月9日に試運転電車が架線を切断して引火。半鋼製車体はなんと「鉄製部分だけを残して焼失」。「焼失電車二台の損害八千二百万円」と翌日の読売新聞が報じていました。
営業開始直前に丸焼け、というあまりにもラフな事故のありさまに、当時の時代相を感じます。
●新幹線への道のり
湘南電車デビューの後、東海道線は段階的に電化区間を延伸し、1956年には全線電化を完成します。
それ以降は、ほぼ毎年、矢継ぎ早に高速電車の開発、実験、進化が続きます。
1957年、国鉄に先駆けて小田急が開発した特急用電車が、国鉄線上の試験で狭軌速度記録、時速145キロを樹立。
1958年、営業を開始したビジネス特急こだまが、東京・大阪間を日帰り可能にする速さと乗り心地の良さで大ヒット。
1959年、こだま型電車による試験で、速度記録更新(時速163キロ)。
1960年、国鉄の看板特急つばめを電車化。
同年、試験電車による速度記録再更新(同175キロ)。
1962年、新幹線試作車落成。試運転開始。
息もつかせぬ、奔馬のごときイノベーション・ラッシュです。
新幹線無用論、懐疑論は大きく後退し、待望論が頂点に達した中で「夢の超特急」は、現実の超特急として1964年に走り出しました。
新幹線、もしなかりせば、鉄道は、というより、この国の今のかたちは一体どうなっていたか。
もはや想像することすら困難でしょう。
●戦後復興期の安寧と希望を乗せて
話を湘南電車に戻します。
汽車好きの小説家、阿川弘之は、1970年代に昔を振り返り、「伊豆の名産みかんを象徴したものだと言われた」緑とだいだい色の電車が「くすんだチョコレート色一色だった国鉄に、登場した時には」「たいへん明るい気持ちがした」と書きました(「広津和郎先生」、「乗りもの紳士録」所収1973年)。
戦後の荒廃を脱した安堵が読み取れる書きぶりです。
湘南電車の人徳ならぬ「車徳」と、戦後文化史上の存在感は、このあたりにあるのではないかと思います。
資生堂のPR誌「花椿」は、戦後の復刊後間もない頃の表紙に、80系の二等車(現在のグリーン車)サロ85型の前に立つ、若い女性が微笑む姿を載せました。
湘南電車が、当時憧れのトップ・モードだった証左といえましょう。
もっともアド・ミュージアム東京で見た「花椿」の表紙には、二等車を表す「2」の字が、フランスの鉄道車両を真似た影付きの書体だった記憶があります。
「花椿」の表紙は、デビュー直後ではなく、国鉄が欧州に視察団を送り、フランスにかぶれて(?)帰朝した1953年以降のものだったかも知れません。
このレタリングは、しかしあまり長続きしなかったようです。
三島由紀夫は1958年6月1日、華燭の典を上げ、夕刻の湘南電車で新婚旅行に出発します。この時東京駅のホームで撮った写真の背景に、二等車の等級表示が見えます。影付きの書体ではなかったようです。
80系の二等車は、小津安二郎監督の「お茶漬けの味(1952年)」にも登場します。
主演の木暮美千代は当時33歳。夫に内緒で、女学校時代の友達らとつるんで、修善寺温泉に羽を伸ばしに出かけます。有閑マダムたちが向かい合って腰かける、二等車の分厚いクッションに、鉄道が戦後混乱期を脱して、ようやく不要不急の物見遊山の手段として復活しかけた当時の雰囲気が偲ばれます。
●内田百閒の湘南電車
1952年は、鉄道ファンには逸すべからざる、内田百閒の「阿房列車」が刊行された年でもあります。
「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思ふ」
百閒が乗った当時の特急「はと」の一等車は、比較が困難ですが、現在の国際線ファーストクラス並みのステータスでしょうか。
それを、あたかも手妻のように、物見遊山の行楽列車に変えてしまったところに、百閒の天才がありました。
もっとも百閒先生は、大の電車嫌いでした。
御殿場線に意地で乗り遅れる描写が印象的な「区間阿房列車」という一篇があります。
乗れば便利で快適なはずの湘南電車を、わざわざ旅程から排斥し、なおかつ、文中で一顧だに与えなかった事実を、和田洋氏は「【阿房列車】の時代と鉄道(2014年)」の中で、克明に解き明かしています。
あったことは証明できても、なかったことは証明できない、とはよく言われることです。
和田氏の考察は、なかったことを鮮やかに描き出しました。
蛇のように長い、湘南電車についての思い巡らしです。
つい長くなって、お退屈さまでした。
「去年今年 貫く 蛇の如きもの」
続きは、稿を改めたいと思います。