○六十花甲子と守護神法その7 (ニ)手嶌葵/歌と相性
前回からの手嶌葵さんの続きです。
算命学では、宿命を活かすのが宿命通りで生きやすさにつながります。
なので、一般には歌や演劇の分野においても自分の宿命に合った歌詞や役柄だと無理なく能力を発揮できてそれなりに成功しやすいと考えます。
(このセリフの意味は、ストーリーなしには理解し難いので解釈は次回以降に持ち越します。)
このかたのデビュー曲は、ジブリ映画「ゲド戦記」の挿入歌 「テルーの唄」ですが、
このアニメでは、ヒロイン・テルー役も務めています。
手嶌葵
1987.6.21
辛丙丁
丑午卯
日干の辛金は、この場合宝石になります。
「宝石は王様の象徴であります。
これを使って王の威厳を保ってきた。
それで治安を示してきた。
これが間接的淘汰。」
それで、
宝石は綺麗でなければ輝けません。
辛金宝石の役目は、光輝くことです。
なので、日干辛金の人は身だしなみに気をつけるのがよろしい。
でないと輝けないので宝石の役目を果たせないからです。
おしゃれでなくてもかまいません。
綺麗ならいい。
これは、外見だけではなくて行動も綺麗でなければならない。
清く正しくです。
これが、「正義感」につながります。
義は、『道理にかなった正しい道』のこと。
(※朱学院算命学教科書第三巻から一部引用)
それで、この映画なら役柄とこの日干が合っていると無理がないわけで、
そのテルー役を手嶌さんが声優として演じています。
この動画作成者のタイトルには、「眠くなる声」とありますが、会話のときでも声の中に息が多く含まれて話されるタイプなのかもしれません。
ちなみに、この方の中学時代は人と話すのが極端に苦手になってしまい、「中学生の頃、対人関係の問題から登校拒否に近い状態になった(Wiki引用)」と。
それからなんとか卒業はしたものの、普通の高校に通う自信がなくてそれで、大好きな音楽を学べるなら大丈夫かもしれないということで音楽学院に通うことになったそうです。
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新人としてのヒロイン・テルー役は、消えてしまいそうな声ではありません。
手嶌さんは、「自身の性格として「頑固で気が強い」と自己分析しており、映画『ゲド戦記』にて自身が声を当てたテルーにも、「頑固者なところや負けず嫌いなところなど、似ている部分はある」と答えています。」(Wikiからの引用)
六十花甲子の辛丑日の二十八元には、日干と同じものが入っています。
それで、日干がしっかりする。
これはやさしそうに見えても芯が強い人ですよという意味合いになります。
辛丑日の人はそういうところがあります。
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次に楽曲の方ですが、
この方の歌唱法は、高音が裏声(ファルセット)の澄んだ声で、全体にささやくような声の出し方をしています。
これは、ウィスパーといって、普通の歌唱法に比べ、ため息に音を乗せるような感じで、声の中の息の量の割合が多い歌い方です。
ちょっとかすれた感じの発声ですが、呼吸法がしっかりできていないと音程を維持することができないので難しい歌唱法です。
張り上げることのない、ちょうど赤ちゃんを寝かしつける時のようなささやき声なら、
聴いている人にとっては穏やかな安心感とか落ち着きを感じるのではと思います。
手嶌さんが、主星龍高星で、日干辛金と陰占火性三つの乾いた気候の宿命からすれば、この歌唱法にたどり着いてもおかしくないといえます。
また、六十花甲子法テキスト(朱学院)辛丑日の末文に「~辛丑日は、孤愁の憂いがある。」と書かれてあります。
孤愁は、孤独な状況の寂しさや悲しさ。ひとりでもの思いにふけること。
これは、もの悲しい、切ない、もの寂しい、といった意味合いが込められています。
それで、歌詞をみてみると、
「テルーの唄」
”夕闇迫る雲の上 いつも一羽で飛んでいる 鷹はきっと悲しかろう
音も途絶えた風の中 空を掴んだその翼 休めることはできなくて
心を何にたとえよう 鷹のようなこの心 心を何にたとえよう 空を舞うよな悲しさを
雨のそぼ降る岩陰に いつも小さく咲いている 花はきっと切なかろう
色も霞んだ雨の中 薄桃色の花びらを 愛でてくれる手もなくて
心を何にたとえよう 花のようなこの心 心を何にたとえよう 雨に打たれる切なさを
人影絶えた野の道を 私とともに歩んでる あなたもきっと寂しかろう
虫の囁く草原を ともに道行く人だけど 絶えて物言うこともなく
心を何にたとえよう 一人道行くこの心
心を何にたとえよう 一人ぼっちの寂しさを”
(作詞:宮崎吾朗 作曲:谷山浩子 発売日2006/06/07 Uta-Netから引用)
この唄は、『ゲド戦記』宮崎吾朗監督自身の作詞です。
手嶌葵さん宿命を承知して作ったんだよ!。
といってもおかしくないと思ってしまうほどです。
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さて、
ここからは、算命学でよみ解く ジブリ「ゲド戦記」です。
映画の主題歌は「テルーの唄」
これはどちらかというと暗い歌です。
悲しい想いのテルーは、自分を何かにたとえてみたら、
雲の上を舞う一羽の鷹。
岩陰にひっそりと咲いている小さな花。
ひとりぼっちの私は孤独。
算命学では、ご存じのように陰と陽のバランスでものごとをとらえます。
悲しみばかりだと、精神の病になります。
喜びばかりでも精神の病になります。
極端な偏りはバランスを崩します。
しかし、
考えようによっては活かしようがあります。
そうしたときは、心の病が病でなくなるとき。
「ゲド戦記を」ご覧になった方はご存じだと思いますし、
さきほどのテルー役の動画をご覧になって気づいた方もおられると思います。
少女テルーの顔には、火傷(やけど)の痕(あと)が残っています。
これは幼いときに親から虐待を受けた証です。
テルーは、親の愛情をまともにもらっていません。
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「悲しみや寂しさの中にあるのは、悲しみや寂しさを乗り越える力」
それが、生きる力.............。
※※※どうしてかと言うと、
「感情の季節には喜びと悲しみの満ち引きがあるように、感情の豊かな人にこそ優しさにみちた深い悲しみを持ち合わせている」
*この先は、
『六十花甲子と守護神法・番外編(ジブリ・「ゲド戦記」と算命思想)』を今回冒頭に載せたショート動画の意味合いを込めて次回に続ける予定です