ふれ•ぐら

うっかり某漫画の二次創作にはまり数年。文学好き、音楽好き、美術好き。いろんな好き、がからまり合って増殖して。そんな日々の思いをつづっていきます。

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うっかり某漫画の二次創作にはまり数年。文学好き、音楽好き、美術好き。いろんな好き、がからまり合って増殖して。そんな日々の思いをつづっていきます。

最近の記事

いまは

不幸なんかじゃない ただ 苦しいだけ ただ 哀しいだけ ただ 笑えないだけ それだけ

    • 夏の備忘録

      年をとると時間の流れが速くなるという。それは子どもの頃、若い頃と比べて自分自身に差し迫る問題が増えたからだろうか。来年のことを言うと鬼が笑うと言っても、この夏の二ヶ月で起きたことを考えると、最近は来年どころか一ヶ月先のことすら予想もつかない。 8/1に某老人ホームへ正社員として入った。とある事情で以前から一緒に仕事していた人々も多く、馴染むのは難しくなかった。仕事内容も、今までの経験が生かせるのでそう難しいことはなかった。ただモンスターと化したクレーマーが入居しておりその家

      • らしさを捨てたい

        某漫画の二次創作を一年近く止めていたが、結局再開することとなった。 書き始めた当初よりも更新する頻度や間隔は落ちたものの、以前からの読者の方々が変わらず喜んで下さることは、本当にありがたいことだ。「◯◯様(私のこと)の文体だ」、「◯◯様らしい表現」等々の感想をいただく。 このようなかたちで文章を書き始めて数年経つが、時間が経過してつくづく感じるのは、文体が固まってしまうことだ。 プロの作家でもない自分如きを省みるまでもなく、すべての創作者は自分の作風というものを持って

        • 楽に生きるなら

          楽に生きたいのなら 苦しみたくないのなら 優しさなんて 捨てたほうがいい 思いやりなんて 丁寧さなんて 良心なんて いっそ捨てればいい 自分の都合だけで 生きればいい そうしたいけど そうしてる人がいるけど そう出来たら  幸せだろうか?

          容れる

          ひとつずつ 諦めていくことが 大人になるということなのだろうか 社会と 集団と うまくやっていく ということ なのだろうか 集団が嫌いだ 人間は どうして  集まると 愚かになるのだろう ひとりひとりは  違う顔をもっているのに 集団になるとその顔が見えなくなる そしてその一員となった人は    自分の顔を捨ててしまう そのかわりに得体の知れない何かが 醸成されていく 集団が嫌いな自分は それでも生きる術を得るべく 集団の中に分け入ろうとすると 振るい落とされる 得体の

          独 詠

          誰かに希望を託すから 裏切られるんだな 自分で希望を築けば 裏切られることはないんだな なんだ 結局 信じられるのは 自分だけじゃないか と ひとり 屹立する また 荒れ地に出た 目の前には なにもない 道はないから 自分で作る 吹きさらしの自由を 尊い孤独を 生きる

          ねがい

          言えなかった言葉 もう会えない人 伝わらなかった気持ち  足先で断たれた道 目の前で閉じられた扉 届かなかった手 かなわなかった夢 返却された希望 うずくまるしかない時間 何もなかったような顔 かなえたい夢 かなうかもしれない夢 かなう夢 かなえ と念じる夢

          楽器が出来るか出来ないか

          数年前から、ある楽器を習っている。 これをやりたい、習いたいと思い立ったその時、実際には自分は体調を崩しリハビリの真っ最中で、片足で立つことすらおぼつかない有り様だった。 この楽器は、首に負担がかかりやすい。そして自分は首のヘルニアを持っている。しかしどうしてもやりたくてたまらない。 一応は相談しておくか、とリハビリ担当の理学療法士へ言ってみたところ、そんな申し出は初めてだったらしく、「ええっと、まあ無理のない程度で…」と曖昧な答えだったが、駄目とは言われなかったのでそのま

          楽器が出来るか出来ないか

          デッサン力という力技

          SNSなどの自撮り写真が「加工」されるのはもはや珍しくもないが、写真の自分を良く見せたところで、現実の自分とのギャップをどうするのだろうか、と要らぬお節介を思ったりする。 写真のみならず現実の自分の肉体を加工する技術も日進月歩ではあり、その総工費を吹聴したりする人もいるが、工事に終わりはないと思われ、いろいろたいへんだなぁと思う。 加工にも上手下手があり、センスが問われる。あまりにも分かりやすい小顔、あるいは手足を長く加工してあったりすると、たぶん褒め言葉として「10等身

          デッサン力という力技

          満身創痍

          傷が深いのは、 全力で、本気だったから。 全力じゃなければ、面白くない、 本気でなければ、意味がない、 いつまで経っても、 そんな生き方しか、出来ない。 そんな生き方だけが、 自分を生きるに値すると思う、 傷跡ばかり増える、生の傲慢。

          拡大

          体は不自由さが増えても 心は完全に自由でありたい 動ける範囲が狭まっていっても 精神は拡大していきたい 理不尽へ引っ張られるほど 不条理に潰されそうになるほど 自由への反動がつく 自由の窓があいて 次の窓があく連鎖 自分が自分自身であるという  当然のようでいて  本当は とてもとても得難い自由 誰もが持っているはずのもの 外れることのない枷を引きずりながら 失って 取り戻して また失いかけて その繰り返しが  きっと自分を 生を広げていく 死を迎える瞬間まで

          ユーモレスクがつかめない

          とある事情で、「ユーモレスク」をある楽器で弾けるよう練習している。 とても有名な曲で、メロディーは誰でも知っているだろう。正しくは、「ユーモレスク集」の、8曲ある曲集のうちの第7番目の曲、ということだそうだ。 当然自分もメロディーは知っていて、確か小学校の音楽の教科書に載っていた。だんだら模様───確か水色とクリーム色の2色のダイヤ(ひし形)模様の服を着て、角がふたつ付いたような帽子をかぶった道化の絵が描いてあり、それが不思議と印象に残っていた。 とりあえず弾いてみるか、と

          ユーモレスクがつかめない

          いのちを支えることば

          戦乱にも災害にも不治の病にも見舞われていない自分は幸せなのだ、と思い込もうとしても、自分だけが不幸と不条理の塊なのだ誰よりも、と思うことがどうしても、ある。 自分の意思ではどうにもならない現実、自分の責めではないにも関わらずそれを背負って生きていかなければならない、出口の見えない日々、そのことに疲れ果てて、重荷を下ろすのではなく自分が消えてゆきたい、そんな心もちになる日が、確かにある。 そんな時は、挑戦することを鼓舞するような、強いメッセージよりも、現実の壁にぶち当たり、

          いのちを支えることば

          水まわりの不思議

          プロの作家の方々というのは、いつ、どこで、どのように創作をなさっているのであろうか。 自分はまったくの趣味で文章を書いているだけだが、所謂二次創作を書いている時は、と言うより、そのための言葉が浮かぶ瞬間と言うのがあって、自分の場合、それはたいてい水回りで何かをしている時である。 皿洗いの最中、寝る前に洗面台の前で歯みがきをしている時。中でも一番多いのは、風呂場にいる時である。 食事の支度や後片づけ、洗濯、掃除、そもそも家事というものは、ほぼ水回りで行う作業だし、そうでなく

          水まわりの不思議

          Syrup16g 苦痛が基本、だが

          ある程度年をとってしまうと、いろいろあったけどとりあえず生きててよかったかな、などと人生をそれっぽくまとめる知恵もつくのだが、若い時はそうではない。 ありきたりで安直で、希望的にまとめてみましたという体の歌なんて卑怯で嘘くさくて頭悪そうで聴く気にもならず、泥濘に顔面から突っ込んで倒れ込んで起き上がらずにそのまんま呻き続ける、というぎりぎりの心境でどうにか過ごしていた自分が飛びついたのが、Syrup16gであった。 鬱ロックの元祖と言われ、絶望などという簡単な話ではなく、生きる

          Syrup16g 苦痛が基本、だが

          日々、新しく

          日々 少しずつでも 新しくなりたい たった1ミリでも 昨日と 少しでも 違う自分に なりたい 淀みたくない いつも 新鮮でいたい すべての憂鬱で 身体中が侵された夜も 不幸しか考えられない朝も  自分ならなんとかなると  絶対に大丈夫と 自分を信頼して 面倒でも 歩き出そう 新しいことが 必ずある 新しい出会いが きっとある そのひとつひとつが 新しい自分をつくる

          日々、新しく