看護師だった私が受けたパワハラの果てに:適応障害に気づくまでの私の経験

1.美容クリニックでの働き始め

新しいクリニックでの期待と現実

私が働いていたのは、できてから3年ほどの比較的新しい美容クリニックでした。最初は売り上げも右肩上がりでした。当時は今より美容クリニックが浸透していなかったからです。
しかし、コロナウイルスによる影響や業界全体で価格競争が激化し、クリニックの業績も次第に悪化していきました。

2.価格競争とコスト削減の波

業績悪化による人と物の削減

その影響で、院内ではコスト削減が急速に進み、人も物も必要なリソースがどんどん削られていきました。
スタッフは常に人手不足の状態で、私を含めた看護師たちには過度な負担がかかるようになりました。それだけでなく、職場の雰囲気も悪化し、管理職によるパワハラが目立つようになりました。

3.試用期間の看護師たちへの圧力

不透明な解雇と職場の雰囲気の悪化

特に、使用期間中の看護師は厳しい評価を受け、業績が悪いと簡単に辞めさせられることも少なくありませんでした。実際に、私の同僚の一人も、試用期間中に辞めさせられました。理由は明確にされず、ただ「業績が伸びないから」と言われ、納得できないまま職場を去るしかありませんでした。

4.上層部の独占政権

一部の幹部による支配と現場の無視

さらに問題だったのは、上層部の「独占政権」とでも呼べるような体制です。意思決定は一部の幹部たちによってのみ行われ、現場の意見や声はほとんど無視されていました。経営に失敗しても、その責任が現場に押し付けられ、私たち看護師がコスト削減の犠牲となりました。改善を訴えても、上層部は自分たちの利益を守ることばかりを優先し、労働環境を良くするための対策は一切取られませんでした。この閉鎖的な支配体制が、職場の空気をさらに悪化させていったのです。嫌がらせや無言の圧力が蔓延し、誰もが不安を抱えながら働いていました。

5.心と体の異変に気づくまで

無理を続けた結果、心身が限界に

そんな中で、私も次第に心身の疲労を感じ始めました。朝起きると、仕事に行くことがただ苦痛でしかなくなり、どれだけ寝ても疲れが取れない。集中力も続かず、簡単なミスが増えていきました。それでも「自分が頑張らなければ」と無理を重ね、周りのプレッシャーに押される形で働き続けました。しかし、ある日、突然体が動かなくなったのです。ベッドから起き上がることさえできず、胸が締め付けられるような不安感に襲われました。

6.適応障害と向き合う決意

心の不調に気づき、立ち止まる瞬間


そのとき、初めて「これは普通の疲れじゃない」と気づいたのです。それまで心の不調には無頓着だった私も、限界を迎えた瞬間でした。

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