今一度,非認知能力をどう扱うのか振り返ってみました。
これまでいくつかピンポイントに非認知能力について触れてきましたが,非認知能力をどう自分の中でとらえているのか図解してみました。
その前に,まずは非認知能力が何なのかは,前の記事をご覧ください。
話を戻しまして,こんな感じで頭の中では整理しています。
三つのはぐるまに分けて今のところは整理して考えています。
うまく回りだしたり,大きくなったりすることが水色さんの成長であるととらえて考えると,三つの歯車は以下のように考えることができます。
水色はぐるま 「非認知能力」
これは今まで触れてきたように,パーソナリティに大きくかかわるものなので,水色さんに紐づいているものと考えています。非認知能力の大小やバリエーションなどが,その人たらしめる要素となっている感じと言いましょうか。
これは外界とのかかわりの中で変わるものであり,大きくなっていくものであると考えます。もちろん加齢とともにも成長していくのでしょうが,私のnoteでは教育の介入による変化をメインに考えていきます。
黄緑はぐるま 「外界とかかわる手段」
一応,小学校の教員なので,学校視点で書いていきます。
国語や算数などの教材を子どもたちと学習するにあたって,さまざまな教育観をもって私たちは子どもたちとかかわっていきます。
教えるときのアプローチの仕方は先生のパーソナリティによって変わってきます。例えば,
ツールなら
・ICTを使うのか ・板書に重きを置くのか ・ノートを使うのか …
メソッドなら
・向山式 ・葛原先生の「けテぶれ」 ・フレームリーディング …
マインドセットなら
・アドラー心理学をベースに展開する ・古舘先生のマインドセット …
言語,手段なら
・日本語と英語では,訳せない概念とかありますよね。そういうのも入ってくると思います。
どんな事象も,黄緑はぐるまを介して自分に入り込んでくるというイメージです。
ですが,それはダイレクトに入ってくることはなく,水色はぐるまのフィルターを介して自分に入ってくるという感じがします。
※そこら辺の研究データとかはただいま探し中です。
オレンジはぐるま 「ありのままの素材」
国語とか算数とか,本とか,教材そのものですね。
これは黄緑はぐるま,水色はぐるまを介して水色さんまで届きます。
どんなに教材が優れていても,水色さんが楽しむ心がまだ整っていなかったり,届け方が水色さんとあってなかったりするとうまく回らないんですね。
例えばネットで面白い問題を見つけて,ドンと授業に出してみたけど,いまいちうまく回らなかったみたいなときですね。
今のところは,水色はぐるま(非認知能力)は,こんなイメージで頭の中にしまっておいています。水色はぐるまが大きくなれば,きっと黄緑はぐるまも,オレンジはぐるまもうまく回りだすのではないか,そして水色はぐるまは育てるのが難しいから,教員にも必要な視点になってくるのではないか,というフックをかけておいているところです。
もう少し,それぞれのはぐるまについて書きたいことがあるので,今後の記事に載せていきたいと思います。
最後に,今回名前を出させていただいたお二人は,日々参考にさせていただいている先生方です。
お二人とも黄緑はぐるまの先っぽではなく,根幹に迫る考えを発信してくださっているので,今後も勉強させていただきます。
お読みいただきありがとうございました。
誰かの「よりどころ」になりますように。