コロナ禍を戦った、空白の青春のあなたへ
マスクをしている人が少なくなった。
今回は、コロナ禍を経て、繊細さで苦しむようになった人の話をしたい。
高校一年で体験したコロナ禍
初めは怖さとかはなかった。学校がなくなって、毎日のニュースを映画みたいだなと思いながら見ていた。
学校のオンラインが始まった頃に、咳き込みそうという感覚が常にあるようになった。咳き込みはしないのだが、苦しい気がして、確かに苦しさもあるのだ。元々嘔吐がとても苦手な私は、気を逸らすために何かし続けるようになった。楽しかったゲームも、集中する間は少し忘れられる気がする。未知のウイルスだったら、基礎疾患のある両親にうつったら、咳き込んだら、という不安がいっぱいだった。
寝たきりのような生活になった、16歳
どのようにしてか、ご飯が食べられなくなり、ベットの上で寝るだけの日々が続いた。それまでに耳鼻科を受診し、喉の違和感を訴えたところなんらかの処方はあったが、解決はせず、吐き気と咳き込みへの不安が毎秒膨らんでいた。ベットの上でストローを刺したペットボトルを寝ながら飲んでいた。ストローを咥えていないと(水分不足の感じからか?)寝れないようになった。時折YouTubeをみて、寝落ちすることだけを繰り返した。寝ている間だけが苦しくないのだ。目が覚めては、苦しみからの解放を求めて眠るのだ。もっとも、見ていても楽しくはなくて、同じような動画を雑音として流していただけだ。
ああ自分は、普通の人生は終わってしまったんだなと思った
しばらく経って精神科に行くことになった。久しぶりの外出が不安で吐きそうになりながら、精一杯息をし、涙を浮かべて到着を待った。母への不甲斐なさと不安で涙が出ていた。母も心配しており、2人で泣きながら問診票を書いた。今思えば笑い話にできる気もするが、母も心労でボロボロだっただろうな。
診察の際、何が今嫌なの?と言われた。
「咳き込むこと、苦しくなること、吐くこと」と言っているうちにまた波が止まらなかった。ずっと苦しくなるの嫌だと思ってはいたけど、口にしてみて、どこかで あ、そうだったんだなって思った。
私が若いからーと薬を出すのを渋っていた。でもせっかく遠いとこきたので、頓服をもらって帰った。これが四年前のことだ。
診断やその後の経過については、別途書こうと思う。
しかし一度体験した、感染症でない体調不良というのは、私には底知れないものであった。今後付き合い続けていくものかもわからなかったので、進学で親元を離れない選択をとった。
母にも言われることだが、多感な時期にパンデミックを経験したということはある種の財産でもあるし、とても不幸だと思う。
高齢者施設で面会が制限され、数年親族にも会えず、亡くなった曽祖母。
衛生観念がガチガチに固まり、突き詰めて仕舞えば脅迫性ともなってしまったし、修学旅行がなくなったり、学園祭がなくなったり。その一方では、テレワーク等の恩恵もある。
しょうがないことななんだけど、しょうがないで片付けられないほど根深いことが、自分を含め世界的に起こっていた。いまでこそ、学生向けの企画というモゴを目にするが、当時学生だった今の二十歳以降に焦点は当たっていない。各々、もう学生らしいことをする時間もない。
私も、そうだったよ。あの時期に価値観が大きくできちゃったな〜と、伝えたい・やりきれないけど、そうならざるを得ないことが起きていた。そう声をかけたい。