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【読書感想】琥珀の夏/辻村深月

 辻村深月の本はこの『琥珀の夏』で三冊目だ。一冊目に『傲慢と善良』、二冊目に『闇祓』そして『琥珀の夏』。一冊目を流行りに乗るかたちで読んだところ、みごとに世界観にハマってしまい三冊連続で読み進めた。長編小説は最近になって読み始めたものだったため、時間がかかるだろうと身構えていたがそんなことはなく、いつの間にか読み終わっていた。憑りつかれていたような記憶だ。

 『琥珀の夏』は〈ミライの学校〉というカルト団体から白骨死体が見つかるという衝撃的なニュースから始まる。主人公である弁護士の法子はかつて夏合宿として小学校時代に参加した〈ミライの学校〉で、ミカという少女と出会う。30年の年月が経った今、法子は発見された白骨死体がミカではないかと感じる。忘れていた記憶が、夏が、ひとつずつ思い出される。
 物語は法子だけではなく、ミカ視点の章もある。そのため、読者は両者の視点から子ども時代の記憶を探ることができる。

 わたしは辻村深月の小説に心惹かれる理由が一冊目から自分で分かっていた。それは「ギクッ」とするからだ。感覚的な表現になるが、わたしは小説を読んでいて「ギクッ」とする瞬間が一番好きだ。

 『琥珀の夏』の場合、難航していた法子のもうすぐ3歳になる娘である藍子が通う保育園が決まった場面。保育園であれ〈ミライの学校〉であれ、なぜ子どもを預けたのかを一言で説明することはできない。明確な理由を求めるのは周囲のエゴである。なぜなら子どもを思えばこその教育、子を思う愛情、離れて暮らす選択、自分の都合、たくさんの「別の」要因があるためだ。そのため法子は気が付く。それまでたった三回だけ合宿に通っただけの自分とは全く違うと思い込んでいた〈ミライの学校〉の人々との間に、距離などなかったこと。どうして、自分は彼女と自分が完全に違うと思い込んでいたのか。私も〈ミライの学校〉に子どもを預ける親と、生まれた時から両親から片時も離れずに暮らしていた自分を完全に異なる立場として読み進めていたことに気が付いた。まだ未成年であり親の立場を経験したことがなくとも、ひとりの子どもとして異なる世界だと境界線を引いていたのだ。その点を気付かされ、「ギクッ」としたのだ。
 また、美夏が久乃を〈自習室〉に閉じ込めた日の記憶では、大人たちが美夏を守るために全て美夏のせいにするという文章と、こんなに大事なことなのに大人たちは誰もミカと話し合わなかった、あんなに大切だと言われた〈問答〉をしなかった、という場面が強く頭に残っている。大人たちが言うミカは悪くない、守ってあげるという言葉により、全てが美夏のせいにされているということに気が付いたとき大人のずるさを感じてしまった。無意識かもしれないが、保身の気持ちが強く表れていたのだと初めて気が付いた。 そして、話し合うことの大切さは〈ミライの学校〉で教わったようには行われなかった。ミカにもなぜ久乃が死んでしまったのか伝えられなかった。覆われた事実など何も伝えられないままずべて美夏のせいにされたまま年月が経ったのだ。そして久乃がロッカーから見つけ出してきた雑誌についても大人たちはミカに何も伝えなかった。久乃にどう話すべきだったのか、ただ一緒に考えてほしかっただけなのに。この場面でも私は「ギクッ」とした。聞いていいことかわからないが、ただ説明してほしいもの、話し合いたいだけなものが私にもあった。大人は話し合うことが大切だというが、もちろん大人も子どもも人間なため踏み込まれたくないプライベートな面を持っているだろう。だからこそ、そういった面があることなどの、人と話し合う際の礼儀作法を子ども達は身につけなければならない。それを教えてくれる大人はいったい誰なのか。

 解説で桜庭一樹が述べた、子どもには「愛」と「平等」が必要だったのだという考えにはとても納得するものがあった。〈ミライの学校〉には平等しかなかった。子どもには利己的になってでもその子のことだけを考える親の存在が必要である。私はその言葉で、法子が合宿中にはじめての生理が来た時の場面を思い出した。話し合いについても「愛」のある話し合いで得られるものは、社会性であり自己肯定感であり様々である。〈問答〉で得られるものとは異なる成長を子どもに与えるのではないだろうか。美夏の両親はそのことに関して、自分を信じていなかったのではないかと書かれている。親として「平等」ではなく「愛」をもって接する自信がなかったのだ。その場面では、幼少期ミカが両親を想い泉に絵の具を流したことが思い出されとても胸が苦しくなった。どれだけ自信がなくても自分を頼っている子どもが確かにいるのだ。
 これは私も将来を考える際に不安になることのひとつだ。早すぎると、杞憂だと笑われるかもしれないが、そしてまだ想像もつかないが、自分の子どもがもし現れるとすれば私の親のようになれるかなと自信がなくなる。両親からもらった「愛」を私も与えることができるのか不安になる。しかし、その不安は将来子どもができても、むしろその後の方が大きく感じるのではないかと法子の藍子と共に暮らす生活から感じ取った。しかし、かわいいと感じるのだろう。法子が藍子を一目見てそう思ったように。

 この小説を読んで興奮冷めやらないままに書いているため、ずいぶんな文字量になってしまった。しかし、井川志乃の境遇や感情など他にも考察したい点はたくさんある。この小説については、これから心の中で自分で繰り返し考えて、そして誰かと話し合いたい。

 追記
 もちろんミカと法子の友情にも心動かされた。
親子の愛だけではなく友情についても深く考えさせられた小説であった。ミカとノリコの友情、法子の学校での友人関係、ノリコとアミちゃんとサヤちゃんとの友情、様々な形の友人関係が描写されており、主人公が友人関係に悩む場面も多い。友人関係は人それぞれだと感じる。特にアミちゃんとサヤちゃんとの夜の場面では十人十色な友人関係を示されたように感じた。そして「生きててくれて、ありがとう」と友人や家族、大切な人に伝えたくなった。昨日も会ったじゃんと笑われそうだけど。


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