読書感想 芥川龍之介 点鬼簿
芥川龍之介晩期の自叙伝的小説です。
晩年、相当神経を病んでいるなか書かれたようですね。
「点鬼簿」とは、死者の姓名を書き記した帳面のことをいうようです。
この作品には、芥川龍之介の実母、実父、姉のことが記されています。
断片的な記憶とその時に感じたことがありのまま書かれている印象です。
子供の頃の記憶で、前後のことは全然覚えていないのに、何故かその場面だけ妙にはっきり覚えていることってありますよね。
亡くなった三人にまつわる追憶の欠片が散りばめられている感じです。
亡くなった父親を病院から実家へ運ぶ際に見た、柩車のうえに浮かぶ大きな春の月。
父親の遺骨に混ざった銀歯……。
なんでもないエピソードばかりなのですが、芥川龍之介の筆力により胸を打つ「何か」に変換されています。
芥川龍之介はこの三人のうちで誰が一番幸せだっただろうかと考えます。
作品の最後はこうなっています。
「かげろうや 塚より外に住むばかり
僕は実際この時ほど、こういうじょうそう(変換出来ません)の心もちが押し迫ってくるのを感じたことはなかった」
「かげろうや、塚より外に住むばかり」
は、松尾芭蕉の弟子の内藤丈草の句で、
「寿命が短い蜉蝣は、生きていても墓にいても大差ない」
という意味らしいです。
(間違ってたらごめんなさい……)
相当神経を病んでますよね……。
自殺を実行に移す方は、周りからみると案外直前まで普通に見えたという話をたびたび耳にします。
まわりからは順風満帆に見えても、自ら命を絶ってしまう方もいます。
人間は、本来の自分の魂の在り方や魂の望みを無視して、偽りの自分を演じ続けると、もともとの魂の形に戻りたくなるみたいです。
ありのままの魂に戻りたい欲求がどうにも抗えないものとなると、自ら命を絶つと聞いたことがあります。
芥川龍之介の遺書には
「僕は養家に人になり、一度も我儘らしい我儘を言ったことがなかった(というより寧ろいい得なかったのである)僕はこの養父母に対する孝行に似たものを後悔している。しかもこれも僕にとってはどうすることも出来なかったのである」
「今僕が自殺するのは一生に一度の我儘かもしれない」
と書かれています。
優秀でなければ見捨てられてしまうかもしれないという恐怖感は、強烈に魂を巣食って支配するのでしょうね…。
感受性の鋭い人間であればあるほど、それは抗えないものなのかもしれません。
芥川龍之介の「点鬼簿」。
私はこの作品も大好きで、何回も何回も読みました。
ストーリーらしいストーリーもないこの話の何が好きなの?ってきかれると
「さて、なんでしょうねぇ…?」としか答えようがないんですが、不思議な存在感を放つ名作だと思います。
個人の心の一番内側にある、脆くて柔らかい空間を覗き見している感覚です。
青空文庫でいつでも読めるこちらの作品、ぜひ一度ご覧になってみてくださいね。