ゲーム配信文化
Youtubeやニコニコ動画など、誰でも気軽に動画投稿するようになって盛んになったいわゆる「ゲーム配信」という行為。
今やゲームは自分で遊ぶものから、遠くの誰かが遊んでいる様を眺めるという時代になってきている。
急に何だという話なのだが、2023/5/21に放送された「ワイドナショー」にて、出演者の方が「ゲーム実況を見てクリアした気分になる」「1つもやってないし、やりたいと全然思わない」などと発言していて、なるほどと思った。
例えば彼のファンだと言う人が、彼の出演する舞台や映画、ライブなどを全て違法アップロード動画で見たと言われたらどんな気分になるのだろうとは思ったのだが、ゲーム実況はこれらと違って違法ではなく、(一部例外もあるが)ゲーム実況自体は多くのゲーム会社が認めているものだったりする。
そのため当然のことながら、彼の意見は倫理としては問題ない。
それに対するゲーマー個人の感想としては、ちょっとくらい遊んで欲しいなあと思ったりもするが。
正直にいうと、何故頑張ってゲームを作って売る人よりも、それを遊ぶ様を配信する人の方が儲けていることは何とも複雑な心境なのだが、誰もが収益化できるわけではないので、実況者の方の努力やタレント性の成せる業なのだろうとも思うので、さらに複雑な気持ちになってくる。
自分は他の人がゲームをしている動画を自分から見ることはないが、たまに子供が見ているものを一緒に眺めていると、やはり人気のある人は自分なりのコンテンツに仕上げているのですごいなあと思う。特に顕著なのはMinecraftだろうと思う。
まあ、Minecraftの様なストーリーの無い作品に、自分なりの世界観や物語を付加していくようなコンテンツ配信だったらまだ良いが、主にゲームのストーリーを楽しむことが目的のゲームとなると、いわゆるネタバレとなってしまう。
ゲームをクリアした気になるコンテンツということであれば間違いなく後者だと思うのだが、確かにカットシーンを見る為なら実際に遊ぶ必要は全くない。
「一人でも多くの人に届ける」という意味では、ある意味目的を達成していると言えるのだが、ゲームは特定の企業が持つ製品なので、それだと売上に繋がらない。
ただ、例の彼のように実況で遊んだ気になる人たちが、仮にゲーム実況配信が禁止されている状況にあった場合、ゲームを買って遊ぶかというと案外そうでもないのではないかという気がしている。
逆に、配信で見て自分でも遊びたいと思う人が現れて、その人たちから売上につながっていくだろうと見越して、企業はある程度の配信を認めているのだろう。
うーん・・どっちがお得なのか分からない。
買った人だけが楽しめるコンテンツというのも閉塞的すぎる気がするし、かと言って無料で体験されても売上にならず、新しいゲームの開発費を回収できなくなってしまう。
だが、それでも売れるソフトは売れるので、その勝者を基準とするならば、ゲーム配信自体はどちらかと言えば効果的なのかもしれない。埋もれるソフトは元々誰の記憶にも残らないままだし、それに比べたら多少でも人の目に留まって、記憶に残った方が良いかもしれない。
ゲームは特定企業の商品だけど、そう考えるとアート的な側面もあるのだなあと思う。ただ、やはり映画のように時代を超えて記録に残るようなものというよりは、時代を切り取った消費型の娯楽なので、うまいことアーカイブ化出来れば良いと常々思うのだけれども。。
そういう、数々のゲームを自らのゲームプレイを通して伝承していく人たちが居るというのは、現代における語り部や琵琶法師のようなものなのだろうか。
確かに、インターネットを駆使した大道芸的なものと言えばそんな気もしてくる。
思えば自分の若い頃だって、遊ぶより見る方が好きという人もいたのだから、やはりこういうことも需要と供給が成り立ったということなのだろう。
いちゲーマーとしては、ゲームがたくさん売れてくれると何となく嬉しいものだが、仮にたくさんゲームが売れたところで、自身に直接的な利益があるわけではない。なのでゲーム実況だけでゲームを楽しんでいる人たちに対しても、特別腹が立つということもない。
ゲームひとつとっても、世の中には色々な楽しみ方があるというだけなのだろう。
しかし、ゲームができるということは、それを作って生計を立てている人がいるということなので、自分はなるべく敬意を持ってこれからも買い続けていこうかなと思う。
それも特定の企業の利益になるだけだが、消費することは社会を回すためにも必要なことだし。うまいこと双方の利益に繋がっていけば文句なしであろう。
つまり、是非もなし、ということだと思う。