前回の記事:「何かひとつだけでも」の続き

前述の大叔母が自分に課していた日課、それは窓の桟(さん)の掃除とのことでした。
窓そのものではなく窓のレール部分、大叔母は毎日そこだけは簡単でいいから必ず掃除して綺麗にしようと決めたそうです。

確かに大叔母の家は当時既にかなりの築年数が経過しあちこちがかなり傷んだ古い家でしたが、そう言われて窓のレール部分を見てみたらサッシもかなり古かったにもかかわらず綺麗でした。

しかしなぜ大叔母はそんなところを毎日綺麗にしようと思ったのでしょうか?

そんな私からの疑問に大叔母は

「いわゆる普通の掃除だけだとそんなに特別感が無いというか、やって当たり前って思ってしまうじゃない。でも窓ふきや窓の桟の掃除ってそこまで毎日するものじゃないでしょう?少なくとも私にとってはちょっと特別な、掃除するとなると気合い入れてやろうって思う場所なワケよ。そんなちょっと頑張ろうって思える行動を取ると、自分今日頑張ったなって思えるの。そうすると他のことがおさぼり気味になっても自分を許してあげられるし、小さな事だけど頑張ってるじゃないって思えることを毎日続けると、『私ってダメでどうしようもない人間だな』なんて思わずに生きていけるような気がしてね。私は特になんの取り柄も自慢できることも無いからすぐ自分のことをダメな人間だと思ってしまっちゃうんだけど、それを少しでも変えたくて」

穏やかな笑みを浮かべながらそう語る大叔母の言葉は、何の気負いも押しつけがましさも無くただ素直に自分の思ったことを述べただけという感じでしたが、その後長い月日が過ぎても私の心の中にしっかりと残り、人生における自己肯定感の大切さをというものを教えてくれたような気がしました。



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