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入院中の安静時トイレ事情
吉山木乃香(かすみを食べて生きる)さんのnoteを読んでいて思い出したのは、これまで味わった入院中のトイレ周りのあれこれだ。
これまで9回(たぶん)入院してきたなかでおむつが必要になったことはなかったけれど、トイレ事情は常に最重要事項のひとつ。人間、結局は食べて出す、ここが基本だと思い知った。
トイレでいちばん厳しかったのは32歳の最初の股関節手術の時だろう。
自分の骨を継ぎ接ぎして骨頭を支える臼蓋を作る手術だったので、手術時間もかなり長かったし、術後は3週間ベッド上安静。つまりトイレもベッドで、という状況だった。
尿は尿道カテーテルで袋に取るのだが、そのカテーテルの先がピンで止められていた。
カテーテルが必要な日数が長いためだったと思うけれど、カテーテルを入れてそのまま放置だと、おしっこしたいという感覚が麻痺してしまうらしい。そこで、カテーテルの先をクリップして、尿意が感じられるようにしていたらしい。
尿意を催したら看護師さんを呼び、ピンを外してもらうとツツーッと尿が袋に出る。出ている感覚はほぼないけれど、終わったらまたピンが止められて、その時、ツンッと痛みが走った。
わたしは当時からやたらとよく水を飲む体質になっていて、ガブガブ水を飲むものだからトイレが近い。でも、何度も看護師さんを呼ぶのはためらわれて、ギリギリまで我慢していた。我慢しても管付きだから漏らしはしないが、膀胱炎になりがちだったのかもしれない。
一度、熱がなかなか下がらなくて感染を疑われたことがあった。緑膿菌とかいったかなぁ。
「○○菌だと部屋を変わらなければいけないかもよ」
「培養して調べるって言われたら✖︎✖︎菌だね。そしたらここはバイキン部屋だ」
バイキン部屋=やばい菌保有者がいる部屋
ということらしい。
同部屋患者に看護師の女の子がいて、色々教えてくれていた。
一部屋8人の大所帯。股関節手術の名医がいる病院だったので、ほとんどが股関節で、看護師の彼女は腰だったと思う。なかなか痺れが取れず、長期入院になっていたので、若いながらも主的存在になっていて、それぞれの症状やその日の治療について医師より一歩踏み込んだ説明をしてくれる。
いろいろ調べたものの、結局、わたしの発熱の原因はわからず、最後にカテーテルから直接、尿を試験管に取って調べることになった。
看護師になりたての若い看護師さんがやってきて、スキップするように軽やかに、尿を取って持っていった。
しばらくして戻ってきて、歌うようにこう言った。
「ぷれこさんのおしっこ、置いてってないですか?」
はい? 置いてってって?
「ないんですよ。どこにも」
「なくしちゃったの?」
「みたいですぅ」
かくしてもう一度、試験官に尿を取って持って行った。その弾むような足取りに誰かが
「落としちゃダメよ」と、声をかけ、部屋中のみんながドッと笑った。
明るい病室だった。基本、2〜3週間から1カ月が当たり前だった整形外科の病室は、命の危険のある患者がいないこともあって、かなり明るい。10代から80代まで年齢はさまざまだったけれど、みんな仲良しになっていた。
そんな面白おかしい話もあったけれど、日々のベッド上トイレはやっぱり辛い。
特に大きいほうは、最初のうちはなかなか出ない。
ひさしの長い野球帽みたいな形の便器をお尻の下に入れて、横になったままする。
手術をした片脚はガッチリ固定されているし、そもそも骨を継ぎ接ぎしてあるのでいってみれば酷い骨折状態になっているわけで、変に動かすと激痛にのたうち回ることになる。
便器のなかにティッシュをたくさん入れておいて不自由な体制のまま出し、そこにまたティッシュを被せて、看護師さんを呼んで片付けてもらう。
当然、臭う。カーテンを閉め切ってするわけだけど、臭いですぐわかってしまう。消臭剤をまいてもわかる。でも、恥ずかしいなんて言っていられなかった。
トイレが普通にできることこそ健康の証。健康のありがたみをいちばん感じるのがトイレだった。
いちばん困ったのは、便意と食事の時間が重なるとき。
我慢できない時もある。でもの腫れ物ところ嫌わず、、、なのだ。トホホ
食事には相応しくない臭いだ。せめて音はしないでよと思うけれども、そういう時に限って音つきだ。申し訳ないと思いつつも、ピリピリピリピリ。面目なさもここに極まれりという感じ。
そんな日々が整形外科の場合、長期に続いていく。お互い様だからと許し合ううちにみんな仲良しになれたんだと思う。
真っ最中にいきなりカーテンから先生が顔を出したこともあった。
「ぷれこさん! こもってちゃダメじゃない」
バンっとカーテンを開けられて絶句。先生、いま、わたしは踏ん張ってる最中なのですよ。
先生はわたしが気落ちして、カーテンを閉め切って布団をかぶって寝ていると思ったようだ。女医さんだから、女性に対して遠慮がなかったとは思うけれども、男性のお医者さんにやられたらかなりショックだ。当時はまだ30代そこそこだったしね。
トイレひとつとっても、いろんなことがあった入院生活。その後も何度も様々な病気で経験することになるとは思ってもみなかった。
シャンプーしてもらった爽快感は忘れられないなぁ。当時は院内も禁煙ではなくて、髪を洗った後ストレッチャーに乗ったままデイルームに連れて行ってもらったら、交通事故で入院していた男の子たちが煙草を吸っていて、1本もらったっけなぁ。
これがクラックラッしながら美味しかったんだよなぁ。
早く退院しようと思ったものだ。
普段は忘れていても入院話は、書き始めると、いろいろ思い出されてくる。それだけインパクトが大きかったということだ。
このnote、書き始めたのはなんと2024年3月24日だった。ぼやぼやしていると1年熟成させることになっていたにちがいない。
noteのお題で今回、#熟成下書きというのがあったので、見直してみたら出てきた記事だ。
その時、リンクした「かすみを食べて生きる」さんの記事にうまく飛ぶかな。
noteの名前もペンネームもすでに変更されたようなのだが、当時はかすみを食べて生きるさんのnoteにずいぶん力をもらっていた。
あの頃は脳梗塞の方のnoteをずいぶん読んだ。昨年のまとめで、1年間にわたしが読んだnoteのトップ3が脳梗塞の方たちだったのもうなづける。
みなさま、ありがとうございました。おかげでわたしはこうして今もnoteを書いています。
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