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橋本治「窯変源氏物語」と「おおくぼ源氏」⑥ 花散里

橋本治の「窯変源氏物語」の中に挿入される、おおくぼひさこの写真を語ります。


 還暦を過ぎて、いよいよ私も人生の答え合わせをするフェーズに入った。
ような気がする。

 古い友人達とお喋りをしていて一向に話題が尽きないのは、年月のストックの多さからだろうか。
「昔話しばっかり。お互い歳くったってことだねえ。」
やあねぇ〜なんて、お茶を入れ替えながらみんなでゲラゲラ笑う。
 色々と、本当に色々とあったけど、私らよく頑張ったよねえ。
「色々と」の中身は悲しさや悔しさ、愚かさがほとんどだけど、なぜか女にはそれを笑い飛ばせる日が来る。
布石を回収して「あれはこういう事だったのね」と、ぼんやりと納得してしまう時が来るのだ。
それは、長い長い時間がかかることではあるけれども。

ファミレスでおばさん達が騒がしくギャーギャー喋っているのは見苦しいし、聞き苦しいかも知れないが、人に迷惑をかけない限りは大目に見てやってほしい。
彼女達は答え合わせをやってるだけなのだから。

「花散里(はなちるさと)」

 「花散里」の巻はすごく短い。
桐壺帝の在位中に「麗景殿(れいけいでん)の女御」と呼ばれた人がいて、この人は光源氏の父である桐壺帝の後宮にいた人だ。
この「麗景殿の女御」の妹にあたる人が源氏の恋人で、源氏はこの恋人の事を「花散る里の君」と呼んでいる。

「賢木」の巻で右大臣が権勢を振るう世となりつつある中、右大臣家の姫「朧月夜の君」との密通が明らかになって、都を出る決心をする光源氏。
「花散里」の巻は、そんな源氏が恋人「花散る里の君」のいる邸に暇乞いに出かけて行くというだけの話しだ。
だから、すごく短い。
でもこのエピソードはとても重要で、のちに源氏が都に返り咲き権力者となって行く過程で生きて来る。
この巻は後に続く物語りの布石でもあるのだ。

「花散る里」と呼ばれる女人は源氏物語の中でも特に印象の薄い人で、「六条御息所」のような大きなドラマを持つ人ではない。
でも実は私はこの人が大好きなのだ。
 この人は「紫の上」のように傷つかない。
「夕顔の女」のように儚くもないし、「葵の上」や「藤壺の宮」のように冷淡でもない。
もちろん「六条御息所」のようにめんどくさくもない。
そして「末摘花」のような無能でもないのだ。
 源氏はのちに「夕霧」や「玉鬘」「秋好む中宮」といったジュニアたちを、やたらと預けてしまうほど「花散る里の君」を信頼している。
そこに男女のドラマはほぼないけれど、私はこの人の「来るもの拒まず、去るもの追わず」といった飄々とした態度が昔から好きだった。

「窯変源氏」の中の源氏は、というより橋本治はこの「花散る里の君」にはすごく優しい。
全編を通して流れるミソジニーの空気が、なぜかこの「花散里」の章だけスコンとないような気がするほどだ。
政争に負けて、それまでとは打って変わって弱っている源氏なのだから無理もないが「窯変源氏」の「花散里」の章は、私にはものすごく独特なものに思える。

 橋本治が亡くなったその同じ年の秋、私の親友が病気で入院した。
脳梗塞で倒れて、意識はあるが今も寝たきりで、何も分からない状態になってもう6年になる。
もちろん私の事も分からない。
コロナ騒ぎで面会もままならず、ご家族から時々の様子を聞く事しかできないので、6年間私は何とも言えない喪失感を抱えたままでいる。
 その彼女がまだ元気だった時、私に話してくれた事があった。
「パズルのピースがね、パチッて合う時があるよね。」
パズルのピース?
その頃の私はまだ彼女が何を言っているのか、あんまり理解できなかったが、最近ようやくわかるようになって来た。
家事や子育てや煩雑な日常の中で、
「なんでこうなるの?」
「どうしろっていうの?」
そういった不平不満が、ある時突然「ああ、こういうことだったのか」という納得に変わることがある。
別に問題が解決した訳でも好転した訳でもないのに、フッと自分の中で何かが収まった時に散乱していたパズルのピースが「パチッ」と合う。
「若い時ってこういう事わかんないのよね。」
 また二人でビールでも飲みながらこんな話しの続きをしたいと願っているが、もう無理なのだろうか。

 「花散里」の章にはパズルのピースの写真が挿入されている。
小さな黒いパズルのピースが何枚も散りばめられていて、それは舞い散る花びらのようにも、地面に落ちて散らばった花びらのようにも見える。
失意の源氏が花散る里の恋人の邸で見た、舞い落ちる橘の花びらを連想させる写真だ。
 この小さなパズルのピースは、その後「須磨」「明石」の巻を経て、パチパチと音をたてながら源氏を栄華へと導き、やがて大きなカタストロフを到来させる。

 あたりまえの事だけど、人生なにが起こるかわからない。
難読症に苦しんだ私が文章を書いて投稿するなんて日が来るとは思ってもみなかった事だし、一緒に年を重ねてババアになってファミレスでギャーギャーお喋りするはずだった親友は、まだ私の事が分からないままだ。

 まだ合わさっていないピースは、あとどのくらいあるんだろう。
最後のピースが「パチッ」と音をたてる時、私はそこにどんな景色を見るのだろう。


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