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橋本治「窯変源氏物語」と「おおくぼ源氏」⑤ 葵 賢木 

「窯変源氏物語」の中に挿入される、おおくぼひさこの写真を語ります


 橋本治ってなんであんなに「六条御息所」のことが嫌いなんだろう。
「そんな嫌う?」ってくらい嫌ってる。
そもそも、この人はなんでこんなに女の事がわかってるんだろう。

「六条御息所」って、女はわりと嫌わない。
綺麗だし、頭いいし、女らしいし、それでいて情熱的だし。
瀬戸内寂聴も確か源氏物語に出てくる女人の中で「六条御息所」がいちばん好きだって書いていたように思う。
 生き霊になって浮気相手を取り殺してしまう女に、女はどこかで共感しているのかも知れない。
でも「葵」の章で橋本治が罵倒しているのは、源氏への「六条御息所」の執着とかしつこさではなく、もっとこう根源的な"女"というものに対してのような気がする。

「葵」の巻では、「葵の上」と「六条御息所」の対立を描く、有名な「車争い」という事件が起こる。

桐壺帝の譲位に伴い、新しく賀茂の斎院となった内親王の禊ぎの儀式に供奉する事になった光源氏。
この晴れがましい行列をひと目見ようと、都中の人々が二条の大通りに詰めかける。
その中にひっそりと「六条御息所」を乗せた牛車もあった。
この、人と牛車でひしめく通りに後からやって来て、他の乗り物を蹴散らし強引に割り込んでくる一団があった。
源氏の正妻「葵の上」を主に頂く左大臣家の牛車だ。
この時「葵の上」は妊娠していたが今日は体調も良いので、「仕方ないわねぇ。」という体で、行列の見物に来たのだった。
そこで「六条御息所」の一団と鉢合わせする。
従者どうしの、どけどかぬの言い争いとなり、「六条御息所」は左大臣家の従者に大声で侮辱された挙句、車を支えるしじをへし折られ、大きく傾いたまま放置されるという憂き目にあう。
これは本当に「六条御息所」が気の毒としか言えない。
この「車争い」に敗北し傷ついた「六条御息所」を、「窯変源氏」の中で橋本治はとんでもない言い様で表現する。

"叩き壊された牛車のしじはただ白い木肌を見せるだけだが、衝き崩された女の心は経血のような血を流す      誰にも知られぬ邸の中で。"

思わず本を取り落としそうになるような文章だ。
この人は女の生臭ささをちゃんと知っている。
女系の家族の中で生まれ育ったからといって、これほど女の事がわかるものだろうか。
 「蓮と刀」を読んだ時は、「ふふ、おじさん達かーわいそ。」とか、なんだかこっち側で傍観してられたが、「窯変源氏」ではぼんやりしていられない。
ド直球でえぐりに来る。
怖いったらない。

 橋本治が「六条御息所」の中に見る"女"とは何なんだろう。
「葵」「賢木」と読み進めていくうちに、私なりの考えも育って来た。
「六条御息所」は"見る女"なのだ。
そして「葵の上」は"意に介さない女"だ。

私にはスナックのママをしていた知り合いがいて、今は引退して悠々自適の一人暮らしをしている人だが、この人は"見る女"だ。
時々ご飯に呼ばれてホイホイ出かけて行くのだが、この人がまあ実に人の事をよく見ている。
飲み物は足りているか、ご飯のお代わりは大丈夫か。空いた皿はないか、そろそろコーヒーか。
仲間同士でワイワイやりながらも人の顔色、仕草に素早く目を走らせ絶妙のタイミングで、しかもさりげなく必要なものをサッと出す。
いわゆる「よく気のつく人」だ。
こうでないと水商売は務まらないのだろう。
でもこういう人は"意に介さない"人を許せない。
空気を読まない人にイラつくタイプだ。

そして私の母は見事にこの"意に介さない"タイプの人だ。
「私は気が利かないからいっつもお父さんを怒らすんやけど、気ィつかんもんは仕方ないよねえ。」
と、ケロッとしている。
さらに言うことには、
「あけみちゃんはホントによう気のつく子やねえ、感心するわ。」
 どうも私は"見る女"側らしい。

 橋本治は"見る女"が、多分嫌いなんだと思う。
指先でスッとなぞり埃を確認するような姑根性、といえば言い過ぎかも知れないが、こういう人は常に「なぜ?」と思っている。
「なぜ私の心使いに気づいてくれないの?」
「なぜ頑張ってるのに認めてくれないの?」
 そうして私の中でだんだん「六条御息所」が出来上がってくる。
「なぜ他の人を愛するの?」
「なぜ正妻にしてくれないの?」
「なぜもっと愛してくれないの?」
「私には知識も教養も美貌もあるのに!」

こういった、女のある種の生臭ささを、橋本治は女以上に嗅ぎ取ってしまう人なのかも知れない。

 「葵」「賢木」の章に挿入される、おおくぼひさこの写真は全部で4枚あって、どれも「六条御息所」に因んでいる。(と思う)
そしてどの写真も、本文とは違って「六条御息所」を悼む雰囲気がある。

 スモークを上げて止まる高級車の、車体の下で踏みつけにされる花模様の着物。
これは「車争い」のイメージだろう。
車の下から少しだけ着物の柄を覗かせて、その奥にはズタズタに傷ついた「六条御息所」がいる。
「経血のような血を流す」血まみれの「御息所」が。

2枚目の写真はショッキングだ。
タイル貼りのバスルームに置かれた猫足のバスタブから、女の長い足が伸びている。
上半身はバスタブの中に隠れて見えない。
湯気の立たない寒々としたバスルームで、黒いハイヒールを履いた足は美しくポーズをとっているが、バスタブの中で気絶しているようにも見える。

「六条御息所」は、「葵の上」のお産の為の加持祈祷で僧侶達が焚く護摩の香が、なぜか遠く離れた場所にいるはずの自分の体に染み付いている事に気づく。
着物を着替えても、髪を洗っても、いっこうに去らない「葵の上」の産室の匂いに彼女は絶望したことだろう。
生き霊となって「葵の上」に取り憑き、自分の執念の浅ましさを源氏に露呈させてしまって、それでも彼女はハイヒールを脱ぎ捨てず、淑女であろうとしている。

3枚目は氷で満たされたグラスの中で踊る、何枚もの賢木の葉の写真。
黒々とした賢木の葉は氷で冷やされ、触れるとその冷たさまで伝わってくるようだ。
でもその葉は、とても生き生きとして見える。

最後の写真は旅姿の女性の写真だ。
ロングコートにつば広の黒い帽子を被り、女優のようなポーズをとる女の顔半分は帽子に隠れて見えない。
でもそこから覗く唇は、モノクロでもそれが鮮やかな赤であるとわかるぼど艶めかしい。
彼女が抱き寄せている葉のない枝は娘の斎宮だろうか。

 「窯変源氏」の中で「六条御息所」が嫌いな橋本治は、彼女を執念深く、なかなか別れを決断できない弱い女として描いているが、そこに挿入されるおおくぼひさこの写真は、私には違って見える。
この4枚の写真だけを並べて「六条御息所」が独白するとしたらどんな感じになるだろう。

 「昔、光源氏って男と恋に落ちてね、幸せだった事もあったのよ。
それなのに彼ったら心変わりしちゃって。
まあ、今思えば私にも問題はあったと思うんだけどね。
それでぇ、いろいろあってもう別れようかってことになって。
そりゃ辛かったわよ。愛してたんだもの。
でもね、気づいたの。
あたし、もう愛されてないんだなあって。
心が冷えびえとしたわ。息が止まるくらいにね。
それでね、娘と旅に出ることにしたの。
彼ったら見送りに来て泣くのよぉ。
正直、ちょっと引いちゃったわね。
で、その時撮った写真がこれ。」

そう言って見せてくれるのがこの4枚目の写真だ。
帽子の下から覗く鮮やかな唇は微笑んでいるようにも見える。
右手をちょっと上げて、「じゃあね!」って言っるみたいだ。
 でもこんなにサバサバした「六条御息所」では物語にはならないだろう。
ちなみに、私にとっても「六条御息所」は苦手なタイプだ。
同族嫌悪ってやつかな。





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