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ロシアン・チャリンコ?

 共通語ネイティブの人には分かりづらいかも知れないが、地方の人間というのは、だいたいバイリンガルだ。
子供の頃からテレビで共通語を聞かされ、共通語の文章を読まされ、書かされして来たから、共通語は普通に扱える。
あたりまえだ。
そこに普段から使っている「方言」が加わるのだからバイリンガルだ。
 スゴイでしょ。
 私なんか関西弁の他に宮崎弁まで扱えるのだからトライリンガルだぞ。
 スゴイでしょ。

 京都、大阪人の共通語(特に東京弁)への拒否感は別として、その他の地方の人間にとって共通語というのはわりと便利なツールなのだ。
よそ行きモードに素早くなれる。
 知らない人と話す時、スピーチを頼まれた時、しつこい電話キャッチセールスを撃退する時にも、この共通語というのはなかなかいい仕事をする。
「せっかくですが、宅では間に合っておりますの。ごめん遊ばせ。」
 
「ごめん遊ばせ」が共通語かどうかは置いといて、別の自分になって武装する時には持ってこいだ。
実際、思春期こじらせていた14〜5歳の頃、私はこの言葉を使って硬く自分を武装していた。

「ピンクレディの振り付けだぁッ?!
誰がやるかそんなもん!バカじゃねえの?!」
「あーッもう、うるさいっ!男子の話なんかそんなもん興味ねえっつーの!バカじゃねーの?!」
「試験勉強?そんなもんやってるわけねーじゃんか!こちとら九九は小2で止まってるんだよバカヤローッ!」(これって共通語?)

あけみ、思春期心の絶叫だ。

 一見、大人しくて引っ込み思案の少女の心の中はこのように、言葉にこそ出さないが、常に噴火寸前のマグマがブクブクと泡を吹いて渦巻いていた。
あー、こわ。

ヤンキーにもパリピにも、秀才にもオタクにもなれない自分を認める事ができず、やり場のないイライラをどこへぶつければいいのかも分からなかった。
 親にしてみればこんなに扱いにくい娘はなかったことだろう。
 「なにがそんなに腹が立つの?」
半泣きの母によく言われたものだ。
そんなもん、自分でも分からないんだからどうしようもないんだけど。
でも、ごめんなさいお母さん。
今は反省してます。

 先日息子が車で帰宅して、なんだかブリブリ怒っている。
聞いてみると小学生を轢きそうになっそうだ。
「あいつらロシアン・チャリンコしやがって!
友達同士でセーフ!とか言ってゲラゲラ笑ってやがんねん。ホンマに轢いたったらよかった。」
ロシアン・チャリンコ?
なにそれ。
 よくよく聞いてみたら、小学生男子の根性試しみたいな遊びらしい。
自転車に乗って往来に飛び出して、車に轢かれなかったら勝ち。轢かれたら負け。
交通量の少ない田舎なればこその遊びだが、危険極まりない。
でもここら辺のガキにはまだそんな猛者がいるんだと感心した。

「ロシアン・チャリンコっていうんや、それ。
初めて知った。」
「いや、オレが今作ったんやけどね。」
おお、なかなかイケてるネーミングやんか。
「でもそれ、私むかし毎日やってたよ。」
「…え?」

 前述の通り、日々やり場のないイライラムカムカを持て余していた思春期の私は学校へ向かう自転車に乗って毎朝のように坂道を滑走していた。
 出会いがしらに車に轢かれなかったら勝ち。
轢かれたら負け。

 自転車で飛び出して来た女の子を轢いてしまったドライバーがどれだけ迷惑するか。
事故で怪我したり死んだりしたら親がどれだけ悲しむか。
何ひとつ考えなかった。
ただもう、毎日が面白くない。
今日は死ぬのか。
明日はどうだろう。
その事だけにしか興味がなかった。

あの頃の私が心の中で悪態をつく時、いつも関西弁ではなく共通語だった事に私は最近気がついた。
あの頃から共通語は私にとって、別人になれる大事なツールだったのだ。
 別人ではない本当の自分はどこにもいない。
いたとしても、それは自分が認める事の出来ないショボい自分だ。
 何もかもに自信がなかったのだ。

 結婚して娘が生まれた時、私は少しだけ気が重かった。
この子が私みたいな娘だったらどうしよう。
私もやっぱり半泣きでこの子に言うのだろうか。
「いったい何にそんなに腹を立ててるの?」

 若干メンヘラ気質ではあるが、娘は私のように思春期こじらせる事もなく素直に育ってくれた。
私の心配は杞憂に終わったわけだが、このロシアン・チャリンコの話しを聞いてからというもの、ずっと考えている。
今の私がもしあの頃の自分に会えるとしたら、私は彼女に何をしてあげられるだろう。
どんな言葉をかけるのだろう。

 考えても仕方のない事だとは分かっているが、やっぱり伝えてやりたいと思う。
抱き寄せて肩をさすって、言ってやりたいと思う。

「強くなろうね。大丈夫、なれるから。」


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