約20年続けたHR領域の仕事を辞めて、40歳から新たな道(飲食×経営)にチャレンジしようと思った理由【前編】
こんにちわ。
はじめまして、のかた向けに、まずは簡単に自己紹介をさせてください。
◆自己紹介/略歴
株式会社クイックにて、人材紹介/キャリアコンサルタントとして、計8年勤務。その後、株式会社ビズリーチに転職。社内初のカスタマーサクセスの立ち上げ責任者をコアキャリアとし、各営業組織で部門長を歴任。計10年勤務。
2024年5月末にビズリーチ社を退職をし、7月4日から鮨職人の見習いとして3か月間専門学校に通います。
2~3年以内に自分の店を開業し、自ら店に立ちながら50歳まで複数店舗経営することを目標としています。
現在40歳、3児の父。趣味はゲームとバイクと料理。
学生時代は、いわゆるよくいる体育会系人材。
こんな人間ですが、新たな道に進む節目のタイミングで人生初のnoteを書いてみることとしました。
読んでもらえたら嬉しいです。
どれだけの人に読んでもらえるか分からないですが、前後半の2回に分けて書きます。
まず今回は前半として「なぜ新しい挑戦をするのか?」、後半では「なぜ飲食なのか?その中でもなぜ寿司なのか?どんな店を創りたいのか?」を書いていきたいと思います。後半は、来週以降で。。。(笑)
◆読んでもらう前に
上記について触れる前にまず伝えておきたいのが、自分自身の過去やお世話になってきた会社組織を否定したいわけではないです(この20年間を振り返っても、本当に愉しく幸せに過ごせてきたから)
ましてや他の方の生き方や考え方を否定したいわけでもありません。あくまで「自分自身はどう思うか」という、100%自分視点での話です。
この記事を読んでいただける方も「この人にとっては、そうなのね」と捉えてもらえたらと思います。
そして、できる限り本音で正直に発信するよう心掛けています。自分自身の好みとして、他者と本音と本音で深く繋がっていきたいから。繋がりの量ももちろん大事なんだけど、それ以上に深さを大切にしたい。
飲食業を通じて、そういう深い繋がりをどんどんと増やしていきたいです。なので本音で伝えて、少しでも共感・共鳴してくれた人が集まってくれたら嬉しいです。
ただ本音=どんな表現をしてもイイとは思っていません。読んでくれる人や今までお世話になってきた人を、不快にしない・傷つけない、という配慮は心がけながら発信に努めていきます。
◆noteを書いてみようと思った理由
いくつかありまして。一番大きいのは、同年代の知人・友人の発信をみて、学ぶことや考えることがあったり、純粋にイイ影響を与えてもらったから。
自分自身の経験や考えを誰かに発信することで読んでくれた人になにかしら響くものだったり、なにか新しい一歩進むためのエールになったらとても嬉しいです。
もちろん自分自身のためでもあります。気持ちの整理につながるし、これから新たな道を行く自分にとっての原点・振り返り地点にしたい。
くわえて、自分自身のことを発信し知ってもらうことで、これからの自分を応援してもらえたら尚嬉しいです。自分のことを発信もせずに「分かって欲しい、応援してほしい」ってのは流石に都合よすぎるから、まずは自分のことを知ってもらえたら。
あと、いつか自分の子供たちが読んでくれたら嬉しいな。「おやじ、40歳のときにこんなこと考えて生きてたんだな」って。
自分も父親の想いをもっと聞きたかったから。そんな気持ちです。
では、前置きはこれくらいで、そろそろ本題に。
なぜ、40歳このタイミングで新たな道に進むのか。
これについて語る上で、まず自分の根底にあるものから、ちゃんと伝えないといけないと思ってます。それは自分自身にとっての大きな大きな原体験であり、間違いなく人生の転機だったからです。
◆自分の原体験と根底にあるもの
知人・友人の中では知っている人も多いと思うけど、私は、両親を共に交通事故で亡くしています。
社会人1年目の12月に母親を、その8か月後に父親を亡くしています。二人とも、原付バイクでの交通事故です。
(そんなことがあったのに、今では、我慢できずにハーレーに乗っているから、バカだよねと自分で思います)
母は享年53歳、父は55歳。なので「自分自身の人生は55歳まで」と考えてしまっている節があります。
親御さんを亡くしている方(特に突然死の場合)は、たぶんこの感覚なんとなく分かってもらえる気がするけど、どうなんだろ。うちは男3人兄弟(自分は末っ子)なんだけど、兄弟でもまた感覚は違うかもしれない。
当然ながら実際はどうなるか分かりません。55歳よりも長生きするかもしれないし、それよりも早く人生が終わるかもしれない。まったく同じ55歳で人生が終わる確率は低いとは思うけど、でもやっぱり55歳がひとつの区切りとして考えてしまいます。
今年で40歳。だから「55歳まで、あと15年」しかないんです。人生100年時代と言われていますが、やっぱり自分はその感覚になれない。55歳を超えたときに、ようやくこの考えが変わるかもしれないですね。
でも、両親を早くに亡くしたことを自分は不幸だとも思ってないし、早くに亡くなってしまった両親のことを不幸だとも思ってないです。両親は幸せな人生だったと思っているし、自分もとても幸せな人生を過ごせていると感じています。むしろこういった原体験があるからこそ、このビジネスパーソンとしての20年間は、とても充実したものになっているとさえ思ったりします。
とにかく、こういった感覚(死生観ともいうのかもしれない)が自分の根底に強くあります。まぁ特殊なケースだと思います。
◆退職を考え始めた、きっかけ
きっかけは、ちょうど2年前。
大切な人(Tさん)を突然亡くしたことです。
※これは自分自身のnoteなので、個人名は避けさせてもらいますm(_ _"m)
とはいえ、分かる人は当然分かると思いますが。。。
仕事では、兄貴的な立ち位置で自分へ大きな期待や成長のチャンスをくれたり、そして時に厳しくも愛のある叱咤激励をしてくれたりと、信頼できる上司でした。ビズリーチ社を退職したあとに、出戻るきっかけを与えてくれた人でもあります。そして、プライベートではしょっちょう一緒にゲームしたりと、直近5年間でいったら間違いなく一緒に過ごした時間が最も多い友人の一人でした。
たとえ会社が変われど、この関係は一生続くものだとそう思っていました。
だからこそ、彼との突然の別れは、とにかく辛く、悲しい、受け入れられない出来事でしたが、この出来事をきっかけに「そうだよな、人生って有限だったよな」という感覚を久しぶりに、そして強烈に思い出すこととなります。
「いま人生を終えたとしたら、やり残したことはないか?今の生き方・在り方に後悔はないか?」そんなことを自問自答しながら、「いつか飲食業やるぞ」と言いながらどこか蓋をし決断を先延ばしにして、なんとなく人生を過ごしている呑気な自分にも気が付き、改めて、40代からの10年をどう生きていくか?と向き合うこととなります。
◆整理をして気付いたこと
自身がおかれている状況として、
・適切な労働時間で得られる十分な給料と家族との時間
・一緒に働く多くの素晴らしい仲間(同僚、経営陣)
・20年弱つづけたHR領域の仕事はやっぱり好きなこと
上記3つの観点で充分に幸せな状態でしたが、でも自分の感情としては100点ではなく、感覚的には60~70点くらいの満足度でした。幸せだけど、どこか物足りない。自分の未来を想像してワクワクしていない。そんな感覚。
(ほんと贅沢ものだと思います)
ないものねだりであることは、重々承知の上で
・もう一度、自分自身が熱狂できる=本気で成し遂げたい目標に向かいたい
・自分の世界観やこだわりを大切にし、人を幸せにしたい
・人生のハンドルを自ら握りたい(自ら決め、全責任を自分で負いたい)
上記の3点を最重要視し、次の10年を生きてみようと考え、かねてからの目標であった「飲食事業×経営者」に向けて、退職することを決めました。
人間長く同じ環境にいると、どうしても怠惰な生き物なので、意識的になにかを変えたり、みずから努力をしないと、いつのまにか他者批判(会社批判含む)をしてしまいやすいんだと思います。自分もそういう未熟な部分を思い当たる節がたくさんあります。そんな弱い自分だからこそ、会社に守ってもらうのではなく、矢面に自ら立ち、全責任は自分だ!と言い訳をせずに生きていきたいし、もっと横柄な書き方をすれば、人生は自分次第でどうにでもなる、と信じて進んでいきたいです。
でも、ここでいう自分次第というのは、全部自分ひとりの力だ、という意味では決してなく、自分を支えてくれる仲間がいてくれるからこそです。
これまでの人生の中で、人とのご縁が大切なんだと強く感じています。
そうして紡がれてきた縁の中で出遭えた人から応援してもらえる人間でありたいし、自分も誰かを応援できる人間でいたいです。
30代の10年間、今までWill・Can・Mustが重なり愉しくいきがいをもって働けていたこと。それ自体がとても恵まれた環境だったことも改めて気づけましたし、よくもこんな扱いづらいワガママ人材を、うまく活かしてくれていたなと、今までの上司と一緒に頑張ってきてくれた仲間に感謝してます。
ビズリーチの仲間は本当に大好きですし、ずっと応援しています。(前職クイックももちろん大好きです)
◆退職は、40歳の節目に。
気持ちを固めてから、退職するタイミングは1年後と決めました。
・ビズリーチ社に勤めて、ちょうど10年が経過したこと
・3人いる子供の上の2人が中学生になること
(6年間2人の子供たちと続けてきた小学生バレーボールの活動が終了)
上記の観点でも、ちょうど良きタイミングだったと思っています。
30代の10年は、家族とたくさんの幸せな時間を過ごすことができました。
そして、実はもうひとつ。このタイミングを選んだきっかけとして、前述のTさんとの約束を果たした、という気持ちもありました。
ちょうど10年前の30歳の当時「長田さんの飲食業の夢や想いは伝わったよ。でもビズリーチが上場するまでは、せめて一緒に頑張ろうよ。上場したあと、長田さんもビズリーチで得る経験や資金を元に、自分の夢を叶えたらイイじゃん!!ね!絶対そっちのほうがイイよ!」と、もしも、ビズリーチが上場したらどうなるか?それが人生にどれだけの影響を及ぼすか、そんなことをホワイトボードに彼は書きながら、夢を熱く語ってくれていました。
もちろん会社としては上場はゴールではなく通過点です。
でも自分にとっては、Tさんとの約束を果たせたという気持ちですし、きっと彼も「いいじゃん、そろそろやりなよ。応援するよ。」と言ってくれたと信じています。
本当は、経営者として闘い続けるTさんを癒せるような場所を作ることも目標の一つだったんだけどね。それだけは本当に残念です。
ま、その分、Tさんが大切にしていた仲間に還していくよ。
◆40歳こそ、Just do it!で、好きなことやってみるべきでは?
今は不安な気持ちも大きいですが、新たなことを始めるための気力・体力の観点で今が一番若いわけだし、なにより「今やらなきゃ、ずっとやらない」という危機感だったり、やらなかったことを死ぬ前に後悔したくないという気持ちが強くあるから、まずやってみる、を大切にしたい。歳をとるほど、リスクヘッジ重視の選択肢をとってしまう自分も認識しています。
とはいえ、もしかしたら会社を退職せずとも、もう少し違った始め方もあったとは思います。それこそ「このまま会社勤めをしながら、土日週末だけ飲食店経営するのもイイな」なんて、3〜4年前はふんわりと考えていたりしました。そっちのほうがバランスイイから、と自分には言い聞かしていたけど、本当はリスクをとるのが怖かったんでしょうね、きっと。
「ALL IN(これは社内で一時期流行った言葉で、自分も好きな表現です)」でチャレンジしたほうが自分らしいし、なにより自分が現時点で考えている理想的なゴール「飲食ビジネスで、多くの人を幸せにする」を踏まえると、今の仕事を続けながら片足だけ、みたいな生半可な覚悟では辿りつけないと感じています。
そもそもそんなことができるほど、器用な人間じゃないので。。。
全力投球した結果ダメだったら、また改めて目標設定すればイイや。そのときは、また大好きなHR領域の仕事に改めて向き合おうかな、なんていう気持ちもあったりします。
そんな生半可な気持ちでいいのか?なんて自問自答もしますが、なにしろ本当に新たな道なので、どうなるのか分からない(笑)分からなくて未知すぎるから、怖さとワクワクと半々くらい(本音は不安が70くらいかもしれない)の気持ちです。40歳にもなって、多少のビジネス経験も積んできた中で、こんな新鮮な気持ちで新たに始められることは、やっぱり幸せだなーと思っています。近しい知人友人からは「やりたいことあって、イイなー」なんてことも言われたりします。ね、楽しそうでイイでしょ?
経験を積めば積むほど、Can(できること)Must(やるべきこと)で仕事は作られていきます。だからこそ、それに応じた報酬を得られるわけです。
そういう意味では、今回は本当にWill=ただ自分がやりたいだけ、で選択した仕事になります。ある種、ひとつの検証だと自分は捉えています。
人は、40歳からWillだけで好きなことやって、本当に幸せになれるのか?
きっと幸せになれると信じています。(幸せになるぞ)
せっかくやってみたいことがあるなら、我慢なんてもったいないですよね。
「Just do it!」の精神で、これからも楽しんでいきたいです。
さて、だいぶまとまりもなく、長くなってしまったので、今回はいったんここまでとさせてもらいます。
飲食業を通じて、これからどんなことを実現していきたいのか?は、また別の機会で。
どれだけの人が読んでくれるのか分からない中で、長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
もしよければ、スキ!してもらえると、嬉しいです。
好きです。
40歳、3児の父、無職、鮨見習いを是非応援してもらえると幸いです。
鮨見習い/オノリ